ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ロコルナール  マクドナルド  エリンギ えろんぎ

2015-01-19 15:06:50 | 日々の暮らし・思い出
義父は横たわってばかりいる。

何かを口に入れ終わるとすぐに横にしてと言う。

寝てばかりではなく、なるべく身体を起こして・・と今日のナースは言う。

そうだなぁと思うけれど、ベッドを倒さないでいるとどんどん潜るようにして寝てしまう。

昨日の夕方、何かを私たちが問いかけたわけではないのだけれど、

寝ていたと思っていた義父が「焼酎を」と声を出した。

それを聞いて、夫とどうしようかと話したんだけど、

夕飯に作ったコーンポタージュを飲んでもらおうかということになった。

ハイと言って、温かいスープを手渡した。

義父は何も言わずに飲んで「あ~美味かった」と一言。

「焼酎を」という言葉を聞いたとき、

いま、焼酎を飲みたいのだな、と受け取ったのだけれど、

多分違っていたのかと思った。

転倒し、肺炎にもなって臥せるようになってから、

ずっと義父は寝てばかりいる。

寝ているということは身体を動かさないということで、

身体の動きと関連しての意識がない生活をしているといえる。

身体の動きと関係あるのは、何かを口に入れて美味しいと感じること・・・

身体を温かいタオルで拭かれたときにあ~気持ちいい、と気持ちよさを感じること・・・

大小便をしてすっきりした?と思うこと?・・・

…身体が動くことによっての意識はそれくらいかなぁ。

もうちょっとあるかもしれない。

痰が絡んでイヤだなぁとか・・・

でもそれら以外の時間は身体の動きとは関係ない意識だけがある。


寝ていて夢を見るのも意識がすることで、

横たわっていて夢ではなく何か思うこともあると思うけれど、

それも身体と関係なく思いだけが脈絡もなく浮かぶんじゃないだろうか。


そういう意識暮らしをしていると年令にもよるのだろうけれど、

夢か現かわからなくなるというふうになるのも当然かと思った。

「焼酎を」という言葉も夢の中の言葉で、

身体の動きとセットになっていないものだったんじゃないかと思った。

一日なんやかんやして、夕食に焼酎でも一杯飲もうか、

というような動きのないただの夢の中か、

無意識的に出て来た言葉だったのかと思った。


義母も倒れて臥せっていた時期、だんだん正気モードでなくなり、

長年服用していた「ロコルナール」という薬を「マクドナルド」と言ったりした。

言葉とその意味が分離してしまって、

マクドナルドのナルという音と薬のナールという音が近かったのでそれが出てきたのだなと思う。

自分でその薬を袋から出し、自分で口に入れたりする、

身体の動きと関連する言葉ではなくなってしまって、

そういう言い間違いが起こったということなんだろうか・・・


この前、私も『エリンギ』というきのこの名前が出て来なくて、

エロンギ、という言葉が出てきたことがあったよ。

でもなんか違う・・・それがなんだかわからない・・

そして冷蔵庫の中を見てその物を見たらエリンギと書かれてあって、

そうだ、エリンギだ、と思ったのだった。

ちょっとやばいよね~。

これも義母のマクドナルドと同じだよ。

痛いとか痒いとか美味しいとか身体と関係する言葉は忘れることは今の処ない。

忘れるのは人や物の名前が多い。

やはりこれも自分の身体の動きと関係ないただの記号のようなものだからじゃないのか。

そう、名詞は忘れやすい。

動詞や副詞や形容詞は忘れにくいんじゃないか。

名詞の中でも「エリンギ」より「しめじ」や「人参」や「大根」の方が忘れにくい気がするよ。

子どもの頃から使っているからね。

「エリンギ」なんてのは子どもの頃、私の生活に登場しなかったものね~。


ま、とにかく、寝たきりになると呆けるということがどうして起こるのか、

わからないでいたんだけど、こういうことなんじゃないかと思ったんだよ。


寝たきりでもない私の『エロンギ』・・・

これはどういうふうに納得しましょうかねぇ・・・
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バランスの上の介護生活

2015-01-16 17:00:38 | 日々の暮らし・思い出
所謂、介護生活をしている、というんだろうな。

この前書いたけど、この生活は今のところストレスは感じてない。

これは夫と私が立派だからということじゃないのは勿論で。


紙おむつとか口腔ケアペーペーだとか、高齢者用の栄養食品だとか、

こういう生活に便利ないろいろな品があることや、

チンしたらすぐに蒸しタオルが出来ることや、

ボタン一つで高さの調節はもちろん、膝曲げ、座位が出来たり、

褥瘡防止のための体位変換が出来たりする、

介護にとても楽ちんなエアーベッドが介護保険で借りられたり、

本当に多くの人の知恵の上で成り立っている介護だ。

こういう物がこういうふうに在ることの奥には

介護される人、する人たちへの温かい心と

それを実現する技術や方法がある。

凄いなぁと思う。


それと、義父の人柄によるものも大きいと思う。

認知症で歩き回る人の介護じゃないというのもある。

家族の身になってみれば、

その人に歩き回るのをやめてもらうのは本当に大変だと思う。
 

私たちが決まった仕事を持っていない、無職だということも、

介護には好都合だ。

・・・もっといっぱいあるけれど、

いろんな、いろんな、いろんなことが今、ここでこんなふうに現実化している、のかと思う。

「お陰様で」という言葉がぴったり来る。

これを成り立たせている多くの条件の一つでも欠けたりしたら、変わってくる。

義父が毎晩騒いで私たちが眠れなくなって、

私が超イライラして、それで夫婦仲が悪くなって・・別れたり・・

(多分、これはないと思うけど・・喧嘩位はするかも)

介護保険制度が破綻してベッドが安価に使えなくなったり、

世の中が変わって、布おむつを使わなくちゃならなくなったり、

大地震が起こったり・・・・

どんな可能性もある。

今のこの暮らしはそんなバランスの上で成り立っている。

まぁ、それは誰しも同じことだけど、

そういうことだなぁと思うと謙虚になれるし、

条件の一つとしての、自分の心をきちんと観て行くということをするのは

私が出来る仕事だなと思う。











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子供とテロ

2015-01-16 16:15:56 | ひとの幸福
テロを起こすような人たちは起こさない人より子供っぽいと言えるかもしれない。

子供と大人で子供は大人より悪いわけじゃない。

ただ子供だということで。

小学生と中学生ではどっちが良いか?・・なんて?が可笑しいのと同じで。

シャルリー…出来事についてちょっと書いたけど、本当に難しい。

けれど、シンプルに考えよう。

わけのわからない子供が刃物を持ったら危ない。

大人はそれを取り上げなくちゃいけない。

だからといって、その子供に対するまなざしが犯罪者を見るものじゃいけないんじゃないか。

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『私はシャルリー』だそうなんだけど・・・

2015-01-15 20:52:54 | 新聞を読んで
「私はシャルリー」というのがパリで流行っているらしい。

イスラム教盲信者を風刺する週刊誌の会社へのテロに対しての抗議活動で生まれたらしい。

そのニュースを見るとどうも落ち着かない。

暴力はいけない、というのはよくわかるし、本当にそうだなぁと思う。

表現の自由を!とフランス人やいろんな人が叫んでいるけれど、

何のための表現の自由なんだと思ってしまう。

表現の自由を守るために戦争になってもいいんだろうか・・と思っちゃう。

戦争になってもかまやしない・・・そんな自由なんだろうか。

相手のことなど眼中にないその自由を行使することで、

相手に何が生まれるのか、世界がどうなっていくのか、

考えているのかなぁ・・と思ってしまう。

テロをする人にもそれは同じことだけど。

でもそれをやめてもらうのに、その方法では無理と思うよ。

世界が自由なるものになるために、風刺し、

私はシェルリーと叫ぶことが有効なんだとはとても思えない。


本当の自由は勝ち取るものじゃない、元々人間に備わっているものと思う。

それを自分の中にみつけさえすればいいのかと思う。

・・・これは脱線だけれども。


風刺漫画というのものは、ヘイトスピーチというこの頃よく聞くものと、

対象を否定しているという点で、一緒なんじゃないかと思う。

風刺を洒落た表現だなんていう風潮があるみたいだけど、

風刺ははっきり言って、からかいだ。

それを書く人、見て喜ぶ人は、

その絵に出ている人より自分の方が偉い、程度がいいと高みに立って居る。

その絵に出ている人たちがどうしてそういうことをするのか、なんて考えてみようともしない。

“自分が正しい”に決まっているから。

それこそがテロや戦争の元だよねぇ。

表現の自由なんてそういう本当のことを曇らせるんちゃうかなぁ。

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小さな物語

2015-01-15 13:36:01 | 日々の暮らし・思い出
義父にいつもの年賀状が来ていた。

その人から又はがきが来た。

小学校時代の同級生の女性から義父へ見舞いのはがきだ。

彼女は彼の心の恋人??かな。

彼によると富司純子に似ているそう。

彼女とは年賀状の付き合いがずうっとあるようで、

今年も頂いたのだけど、義父はそれを見ても書こう、というモードにならなかったので、

私が勝手に代筆をしたんだ。骨折してしまって・・云々と。

そうしたらすぐにこうしてお見舞いのはがきを書いてくれたみたいだ。

義父がそれを読むところを私は見てなかったんだけど、夫曰く、

顔を輝かせて読んでいたそう。

見せてもらうとはがき一面に字が連なっていた。

それも杓子定規のものじゃなくって、私も骨折したことがある・・云々の

とても活動的な生き生きとした文章だった。

確か去年頂いた賀状には、

自分は弱って来たけれど、○×さんはどうぞお元気で・・というような文章だったと思う。

よく覚えているな、と思われるかもしれないけど、

彼に来た賀状は議員からのと彼女からのだけだったし、

東京の彼女のお住まいへは義父から頼まれて会いに行ったことがあって、

90才を過ぎてもこうしてはがきを送り合っているのがとても素敵だなぁと思って、

この二人に温かいエールを送っているもんでね♪


今年のはがきを読ませてもらって思った・・・

去年のと比べると今年は元気に違いない。

そして義父がここで元気に暮らしていることが

98才の彼女にとっても励みになるんじゃないかな・・

そう思ったら、ちらっとこんな小さな小説を想像した・・・


義父に万一のことが起こったとしても、

彼女には年賀状を私が代わって出し続ける。

口述筆記だと書いて。

「骨折の後遺症で右手が動かせなくなり、嫁に代筆を頼んでおります。

○△さん、元気で何よりです。

もうじき吾々も100才を迎えますね・・・」

・・なんて。

彼女はそれを楽しみに年賀状以外にも徒然をはがきで出してくれるようになった・・・

私は代筆だといって亡くなった義父のつもりでその返事を書く・・・

東京の彼女から又はがきが届く・・・

そんなやり取りが続いた・・・

けれど、その1年前から、はがきを書いているのは同居している彼女の娘さんだった。

彼女の娘さんも義父のことを思って、

うそのはがきを出し続けていたのだった。

彼女は義父が亡くなってからちょうど1年後に、

私が代筆で書いたはがきを持ったまま静かに亡くなっていた・・・終わり。

・・小さな物語でした。
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ふたりで。

2015-01-12 15:16:14 | 日々の暮らし・思い出
今朝の4時頃、二階で寝てる私に「○×ちゃん、ちょっと来て」という夫の声。

私が風邪をひいて以来、私は二階で寝て、夫は義父と同じ部屋に寝ている。

こんな時間にどうしたんだろう??

でも、夫の声は落ちついている・・・???

急いで行ってみると・・・

義父は下半身が痒かったようで、自分でおむつを全部外して、

情けなさそうな顔で太ももをポリポリ掻いている。

おむつかぶれか、乾燥肌のかゆみか・・?

どっちだかわからないけど、手から脚から背中から全部チンタオルで拭いた。

大の方も少し付いていたみたいで、そこを掻いたから、

手も少しだけど汚れている。で、石鹸で洗い、レンジでチンしたタオルで何度か拭き取った。

股のところはかゆみ止めを塗って、その他のところは乾燥肌用のかゆみ止めを塗った。

シーツも毛布も寝間着も全部替え、全作業が終えた頃、

義父の顔はいつものように穏やかになった。

痒みが止まったんだろう。

痒いのは本当につらいものだ。

その後で夫と話した。

義父は痒いから掻いただけで何にも悪くない。

自分でトイレにも行けないし、痒み止めを塗ることもできないんだもの。

痒くなるようなままにしてたのは私たちだ。

これからは身体を拭いた後には乾燥肌用のクリームを必ず塗ろう。

陰部は常にチンしたタオルで清潔に保とう。

今まで、小だけの時は身体拭き用のペーパータオルでそこを拭いていたけど、

浴用タオルのチンした奴で拭く方がきれいになるだろうからね。

なんだかんだと1時間くらい経ってしまい、それから又寝たら、

目が覚めたらなんと9時半。

ホント、よく寝るわ。

夫はもっと早くに起きたみたいで、既に今朝がたの多くの洗濯も終えていた。

と、いうことは・・・私が寝てる隣の部屋でそれを干していたはず。

そんなことにも全然気づかないで寝ていたみたい。

時間が決まった仕事を持ってるわけじゃないこともあるけど、

こうして好きなだけ寝させてくれる夫に感謝感激だよ。


起きてから夫と話した。

わたしたち、朝早くにあ~いうことがあっても、

二人とも何にも思うことなく、するのはいいね、と私。

夫は「そうだね、受身だからじゃないからだろうね」と。

ホント、ぴったりの言葉。

受身じゃないからだ。やらされ感が無いからだ。

二人ともやりたくてやってる。

二人とも自分のこととしてやってる。

これって、別に自慢じゃないんだよ。

あ~、私たちそう“なってる”なぁって。
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対岸からの冷たい風

2015-01-11 19:12:15 | ひとの幸福
さっぱりとした気性。

陽気。

僻み根性が強い。

ひとの心に思いが行く(よくもわるくも。ひとの心を忖度したり、心遣いをしたり)

いろんなことをすぐ忘れる。

所謂、頑張り屋・・・周りに人が居ることを忘れ、一人で頑張ってしまう傾向大いにあり。

やりたいと思ったその事がやれる事柄ならすぐに行動に移すタイプ。

動くことを厭わない。

模様替えが好き。引っ越しも好き。

ごはん作りより片付けや洗濯が好き。

不便だなと思うとすぐ解決したくなる。

ひとと接するのが好き。

嫌いな人がいない。(気に入らないと思う行為はあるけど)

怒りの感情をぱっと出せない傾向がある。

・・・・自分がどんな人か客観視してみようと、、、なんだかそう思って書き出したら、

最後?にこれ、「怒りの感情を・・・」が出て来たよ。

・・・これが出て来るまでのなんだかんだだったのかもしれないと思った・・・


失敗したことに、非難の風を感じた・・のに、すぐそれを出せない。

そんなふうな風に当たるのはイヤだと言えない。

はげだと軽蔑されて、それがイヤと感じるというようなことは、

はげてるのはみっともない、というような価値づけが自分の中にあるからで、

相手に言うことでもないと思うけど、

上に書いた事例のようなのは、そういったものじゃない。

でも、同じようなものか・・・


ムッとしたその気持ちを自分だけで収めてはいけない、そう思った。

私はそういう気持ちをぱっとしまってしまう傾向がある。

非難風を感じてイヤだと思った私なのに、

それに対して又非難風を送ることになってしまうとわかるからだ。

イヤという気持ちに相手への非難がセットで付いている・・・

なんだ、相手と同じじゃないか・・・

そんなふうに思ってしまって「イヤだ」が出せない・・

でもそれは私にとっても相手にとってもよくないんじゃないか。

よし、今はじっくりと観察しよう。

ひとの失敗を批判非難する行為の元は、

対岸に居て何もしようとせず、偉そうに見ている・・

そういう風のように思う。

そうだ、『対岸とこっちの岸』という二つの世界からの風はとても冷たいものなんだ。

けれど、そういう風を発してしまうことは誰にでもある。

そういう風をいっぱい受けて来たから、

(みんな、小さな頃から観察してきた)

ついつい真似してしまう。

いま、自分が対岸から見てるな、と思うことがある。

それを風にしないことが出来るのは、

そういう処に自分が居るとわかっていて、そうしたくないという意志があるからだ。

(自分が自分をわかってない場合が多いので、

自分の心の居場所がわかってない場合を除いてのこと)


そういう対岸からの風を受けたときは、

あなた、今、そういう風を起こしたよ、それは冷たい風だからやめてね、と頼めばいい。

発した方は自分で自分が発した風に気付いていないんだから、

伝えたらいいんだ。

書き終えた今、なんだかとてもすっきりしてる。

これから、冷たい風が吹いてきた時には、冷たいよ~と言おう。

伝わらなかったら仕方ない・・ね。

でも、伝える、ということをしないよりずっといいはず。

自分にとっても相手にとっても。
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安堵感

2015-01-10 15:30:13 | 日々の暮らし・思い出
一日中居間に義父は居る。

そういう居間で私たちは食事をしたり、お茶を飲んだり、

テレビを見たり、本や新聞を読んだり、手芸したり、

お見舞いの人の相手をしたりしてる。

義父はほとんど目を瞑って横たわっている。

ぐうぐう寝入っているときもあれば、夢うつつみたいな時もある。


年末に夫の娘たちが見舞いに来てくれた時、

義父(彼女たちからすればお祖父ちゃん)についてのいろいろな思いを話しているとき、

義母のことが思い出された・・・


倒れるまでほぼ一日居間の籐椅子に座っていた義母。

その義母が倒れて寝たきりになった時、

当然だけど、それから居間の籐椅子に座ることがなくなった。


そうだっ・・・あの時ほっとした私だった・・・・・

と、誰も座らなくなった籐椅子を見た時の思いが

その時初めて浮かび上がった。

あぁ、あの時私は義母がそこから居なくなったことに

大きな安堵感を覚えたのだったなぁ。

その思いにスポットライトをあててなかったから

記憶の闇に葬られていた。

そう、そして、義母が義母の寝室で寝るのは当たり前なんだし・・・

なんて一人で無意識のうちに言い訳していた自分を思い出した。


いま、義父は居間に置いたベッドで一日を過ごしている。

退院したらここに居てもらおうよ、と夫に言った私だ。

そういう言葉が自然と口に出た。

寝るのは寝室で当たり前、なんて考えは露ほども浮かばなかった。


けれど、寝ていても目を覚ました時に人の気配がある部屋に居る義父に比べると、

寂しい思いをしたかもしれない。

でも仕方なかった・・・そう思う。

そうしたい、という思いが浮かばなかったんだもの・・・

夫も私も。


義母に比べると、自己顕示欲の強くない、空気とまでは言わないけど、空気のような義父は

自然と周りの人をそういう気持ちにさせてしまうのだなぁと

このことで、また思ったよ。

人の心はと人と人とのその時その時の相互作用でそうしたくなったり、

そうしたいと思わなかったり・・・で動いていくのは自然なことなんだろうと思った。

でも、お義母さん、ごめんね。

寂しかったね・・・
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寝る寝る寝る寝る・・・・

2015-01-09 13:43:12 | 日々の暮らし・思い出
ここのところ義父は寝てばかりいる。

で、眠っていても声をかけさせてもらう。

目を瞑っている(寝ているのかと思う)時に、

「おとうさん」・・「何か飲もうか」と飲む真似をしながら声をかけると、あぁと言ってくれる。

食べるより飲むことを欲するように見える。

水分をとるのがいいのだろうけれど、水分だけでお腹が一杯になるようで、

ポカリを飲むと、その後もう要らないと言う。

で、最近、テレビで三浦雄一郎が出てるコマーシャルのメイバランスというのや

カロリーメイトを飲んでもらっている。

うまい!と言ってくれるのでちょっと安心してる私たちだ。

ちょっとしか口に入れないので、少量でも栄養価のあるものをと考えると、

そういった食品になってしまう。

メイバランスというのは125mlで200Kcalもある。

義父の口に入る普通のご飯や魚の量ではそれだけのエネルギーを取り入れられないので、

そういうものに頼ることになる。

義父もあれから焼酎を飲みたいとかも言わないし、

好きだった刺身も食べたいと言わない。

一度、鯵とはまちの刺身を食べてもらったけど、小さいのをほんのちょっとだけだった。

寝込んで嗜好も変わったのかもしれない。

もとより、アレが食べたいこれが食べたいなんてほとんど言わない人だったからね。

転倒する前も食欲はぐんと落ちていたし、

風呂上りは息切れがひどかった。

一夜でダウン、というふうに見えたけれど、

彼の中では一日一日衰えが進んでいたのだろう。

それにしても、急激的な眠りの量の多さよ。


来客があって普通に話が出来たり、

自分で飲んだりしてる姿を見ると、

あぁ、これならだんだん元気になって春、夏を迎えられるだろう♪

というような気になって、ほっとして、

荒い息遣いと無呼吸の繰り返しの、ただただ寝てばかりいる姿を見ると

もう危ないんじゃないか・・・などと思う・・・・

そんな気持ちの繰り返しをしている。

そんなことを夫に言ったら、同感同感というふうに頷いていた。

さっきは「今日は畑はやめておくわぁ、外は暑いから・・」と言っていた。

きっと夢のなかでは真夏だったに違いない。

義父の人生で最後の畑行きは去年、6月24日だった。

なんだか、その日が畑での最後の日のような気がして憶えている。



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「なにもかも解放された」

2015-01-09 12:53:31 | 日々の暮らし・思い出
昨日のこと・・・

義父に声をかけて起きてもらった。起きてもらうといっても、

ベッドのリモコンを押すだけなんだけど。

その時だったか、彼は静かに「もう何もかも解放された」と呟いた。

この頃はおむつ替えも抵抗が無くなった。

そう言うほど大それた抵抗があったわけじゃないんだけど、

退院してすぐの頃、(おむつの中の)大便はそのままでいい、

と彼は言ったことがあった。

私や夫にそういうことはしてほしくない、というのがあったのかもしれない。

町の広報などで亡くなった人の名前が載っている欄があるのだけど、

その中で95才誰某なんていうのを見ると、

こういう人は施設にいて寝たきりの人だ、とか彼は言っていた。

何の根拠もないと思うのだけれど、彼はよくそう言っていた。

高齢であっても寝たきりでなく、

いろんな面で自立していることが彼の誇りだったんだろうと思う。

それがたった一夜にして寝たきりの人になってしまった。

まさか下の始末までしてもらうようになるとは・・

・・・というような思いがかなりあったのかもしれないと思う。

けれど、彼はそういう最後のプライドも捨てた・・・

それが「なにもかも解放された」の言葉なんじゃないのか・・

と、私は思った。

勿論勝手な解釈だろうとは思う。

義父のその言葉の本当の意味がどういうことなのか、

多分私にはわかってないのだとは思うのだけど、

なんだかそんな気がしたのだ。


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持病(私の)が又発作を・・・

2015-01-07 16:50:46 | 日々の暮らし・思い出
今朝、パパ(義父)は何日か出なかった大便をしていた。

便を取った後、お尻を石鹸で洗ったり、ゆすいだり、拭いたり、

新しいおむつとパットをセットしたり、

ついでのシーツのしわ伸ばしとかいろいろある。

私が主だってやっていたんだけど、その時手順が上手くいかずに、

パパを何度もあっち向いたりこっち向いたりさせてしまった。

骨折したところが痛いだろうから、手際よくやらないと、と夫が言った。

それはその通り。

やり方を体得してないのだから、

やる前にちゃんと手順を描いておかないからだ、とも思った。

で、その作業が終えた後、大便の場合の手順を紙に書きだした。

ついでにいつも私がしているおむつ替えの準備も書き出してみた。

お尻拭きペーパーを温めておくとか、ゆすぎ用の適温の湯や、

チンしたタオルを用意するとか、汚れたおむつを包む新聞紙を広げておくとか、

新しいおむつとパットを用意しておくとか、

そういった雑事も書き出してみるといろいろとある。

書き出してみて、気付いた。

・・・私は夫から、「全部あなたがやって下さい」なんて、

頼まれたことなんてなかったのに、またまた全部メインになって、

“気持ち的に”一人でやろうとしてた!!

本当に懲りない私だ。

ほんとうにやれやれ・・と思ったよ。まだ言いたい、やれやれ・・


その2時間後くらい後で、寝間着とシーツを替えようということになって、

夫にその作業のメインになってもらった。

そうしたら身体が楽だったということもあるけど、

気の方が本当に楽だった!!

私は彼のフォローで彼がやりやすいように動いた。

共にやった。

(気持ち的に)共にやる、そのことのなんという気の楽さ。

あぁいいなぁ、と思った。


その後で、彼に提案した。

これからはさぁ、おむつ替え(下)担当はメインがあなたで、

私はおとうさんの食(上)の方の担当、というのはどうかなって。

おむつ替え担当者はおむつやお尻拭きペーパーやパットの在庫管理などもして、

おむつ替えにかかわる全般を見て行くということもする人。

けど、場合によってはその作業はどっちがしてもいいということで。

彼もそれに同意してくれた。

それに、

義母の時も私が居る時は大便の始末は私がしてた。

夫はそれを私に、頼むよ~♪なんて言ってた。

そのこと自体はイヤというのがなかったから、

私がずっと大便処理担当をやっていたけど、

やらないと上手になれないし、

私も風邪をひいたり、どうなるかわからないから、

あなたもやれるようになってねと話したんだよ。


義母の時と違って彼は今回やる気だよ。

義父は夫と同じ男類だしね♪


やり方の手順も①なになに②なになに③・・と書いて壁に貼っておこうとか、

書いたものをファイルに入れてそれを見ながらやるとか、

彼と話して、ファイル説に軍配が上がった。

手書きじゃなく、パソコンでプリントするそうだ。

彼はそういう遊びが好きなんだ。


でも今回こういうことがあってよかった。

私の、『人が見えずに一人勝手にやる病・我一人病』という持病がまたみつけられたし。

発見できないと治療も出来ないからね。
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皮が剥がれること と 自律

2015-01-06 13:57:59 | ひとの幸福
お義父さんの人となりが現われたエピソードを書いたけれども、

こういうことも思った・・・

以前読んだ何の本だかわすれてしまったけれど、

認知症になった母親の性的なあられもない言葉に娘がびっくり仰天した話。

そのお母さんは認知症になる前はとても上品な穏やかな人だったんだけど、

認知症になって、性的な発言を大声でわめいたという。

ただの猥褻な小噺というようなものじゃなく、

こうしてとかあ~してとかの話だったそう。

そんなことは想像もできないような母親だったから、

娘のショックは大きかったという記述があった・・・と思う。


認知症になるのはそういうのが恐いなぁ、と思ったよ。

私も何がどうなるかわかったもんじゃないよ。


『自律』という言葉がある。

・・自分で自分の行為を規制すること。

外部からの制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること。

・・・と、広辞苑にある。

この人は認知症になる前、自分を律していたのだろう、と思う。

自分の行為を規制するとは、何かの、こうしたい、こうしたくない、という思いがまず生まれて、

それを、行為に移さずに規制する・・・

最初浮かんだ思いのままに行為しないということだ。

そういう行為をてんからまるでしたいとも思わなかったら規制することもない。


けれど、規制といっても、そうしたいとパッと思ってしまっても、

やっぱりそういうことはしたくない、と自分の意志で心底しない規制と、

本当はしたいのだけれど、みっともないからしない、というような、

外部を意識した規制とがあるのかと思う。

あ、広辞苑にもちゃんと外部からの制御から脱して、自身の規範に従って行動すること・・・と書いてあるね。

上に引用したお母さんはどっちだったんだろう・・・

自覚の上、そういう行為はしないと納得していたら、

呆けてもそういうことはしないだろうか・・・!!???


それともこの人は言いたいことを我慢していて、それが残り火みたいに

潜在意識に残ってブスブスとくすぶっていたんだろうか・・・???


認知症になる前に自覚納得の上、そういう行為をしないで居ても、

呆けるとそのようになってしまうということもあるんだろうか・・・???


でも、待てよ・・・

娘さんが知らないだけで、そのお母さんは性の世界では奔放な人だったのかもしれない。

認知症になる前から性的な意志をあっけらかんと出していたのかもしれない。

それなら、夢の世界でセックスしてて、

地のまんま、そういう言葉を発していたのかもしれない・・・


さて、どうなんだろう・・と興味津々な私でありました。


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しょぼ~ん・・・うなだれるパパ

2015-01-06 10:35:15 | 日々の暮らし・思い出
昨夜夕飯もおむつ替えも終えて寝てもらう頃、

パパ(義父)は「風呂に入るわ」と。

倒れる前の意識になってたよう。

私たち夫婦は風呂に入った後だったけど、夫は「今日は入れてないんや」と言うと、

言葉は特に発さなかったけど、実にしょぼ~んと情けなさそうな顔。

倒れる前、昼間、日帰り温泉に行った晩にも

今日は風呂は?と聞いたことがあったパパ。

その時に、私はえっ?という反応してしまって、それでも、

「おとうさん、入りますか?」と言うと、

「いや、ええんや」で終わってしまった。

本当は入りたかったんだろうけど、私の様子を見て諦めてしまったんだろうと思う。

風呂で温まって寝たい、というのがあったんだと思う。

そうだ、いつも風呂に入る時は「ぬくたまって来るわぁ」と言っていたんだもの。

私が(昼間入ったのに?夜も?)なんて反応の顔をしてしまったから、

遠慮して風呂に入りたいという気持ちを引っ込めてしまったのだろう。

その時は昨日みたいな本当に情けなさそうな顔はしなかった。

今、思うと申し訳ないことをしてしまった。

その義父の姿は自分を律していた、と言ってもいいかなと思う。

私に気を使っていたのだと思う。

昨日のあの瞬間、義父は自分の今の状態がどうなっているか、

わかっていない呆けモードだったから、

所謂、裸のままの義父が出たのかと思った。

風呂に入りたかった、という気持ちをしょぼ~んという表現で表す。

彼は強く自己主張したりしない。

倒れる前の「いや、ええんや」は理性の皮がついていたけど、

呆けモードの時、その皮が剥がれて彼そのままが出たのかと思った。

本当に情けなさそうな顔をした。

前に「焼酎は今日はこれでおしまいです」と言った時も、

実に情けなさそうな顔をした。

あれも同じだなと思った。

倒れる前にそんな顔をされたら、きっと私はすぐに風呂の用意をしただろう。

思わずそうしてしまっただろう。

相手の意思を曲げようとはせず、(なんで風呂を用意しないんだ、なんて批判せず)

ただ、残念だという自分の気持ちを表現するだけの義父。

思わずそうしてしまう人。

それが義父なんだと思う。

そういう表現で現われた意志は無理なく人に伝わって、

人をそうしたくなる気持ちにさせるもの、

・・・なんだろうと思う。

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風邪か!!??

2015-01-05 17:32:19 | 日々の暮らし・思い出
昨日の朝、パパ(義父)のおむつ替えやら身体拭きなんかをせっせとやって、

し終わったら、どっと汗が出た。

ここんとこちょっと風邪っぽい感じはあったんだけど、

変な汗の感じがして、これはいけないと思い、すぐに寝床へと。

そうして液体葛根湯を3回も飲み、一日布団の中。

ちょうど義弟が来ていたのでよかった。

彼が夫の手伝いをしてくれたよ。

夜は夜で朝までぐっすり寝て、今朝を迎えた。

昨日はちょっと起きてるだけでだるくなり、全身で息をする感じだったけど、

夫と一緒におむつ替えをしても、なんと全身の疲労感がない!

くるくると動いても元気が戻ってる!

やったぁ!

こんな風邪が一日で治るなんてのは珍しい。

パパに移ったら大変と、『治す!!』と気が入ったからか・・

でも油断禁物。マスクをして今日は。

これからもマスクはしてた方がいいかもしれない。

そして換気も気を入れてやること。

換気するのを忘れても不快感がないから、しないで何時間も経ってしまうことがある。

さっきパパが柿が食べたいと言うので、好きな熟した柿を一個。

全部食べました。

熟れ過ぎた柿を家で冷凍してたものなんだけど、

あと10個くらいしかない。

山形から冷凍柿を以前買ったことがあるから、まだあるか聞いてみよう。

パパは食べた後、「幸せや」と。

そして私にも柿を食べよと言う。

自分だけ幸せじゃ申し訳ないというのが食に関して凄くあるパパ。

よく聞くけど、思ってくれてるのが嬉しいよ。

今回風邪をひいてしまったけど、介護はどちらかが倒れると即大変なことになるとよくいう。

そうなりそうになったらヘルパーさんに入ってもらおうと思う。

ショートステイも利用できるかもしれないし、

介護保険があることが本当に有難い。

今回の退院に際してもケースワーカー、ナース、ケアマネージャー、ドクター、役所、介護関係の店なんかが

連携して退院後の暮らしのいろんなことの解決をしてくれた。

ケースワーカーが仕組みがありますからね~と言っていたけど、

その通り、よい仕組みがあると物事が円滑に進む。

無駄な労力も無駄な気使いも要らない。

世の中・社会の他のいろんな仕組みも今のより、

もっと人間が幸福になるものがあるはずだよね~

今の社会の仕組みでいろんなひずみが生まれてるんだもの。

人間というものがこの程度だなんて人は諦めるはずがないよ。

あれ・・風邪の話からこういう話になっちゃったね~

ま、いいか。
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あ~だこうだ言わずに・・

2015-01-02 16:42:48 | 日々の暮らし・思い出
来客がなければこうしてパソコンに向かう時間はあるし、

夫と二人どちらかがパパの近くに居ればいいし、

うちは介護の暮らしといっても評判のように厳しいものじゃないよ。

肝心のパパは今日なんか寝てばかりだし。

まぁ、私は旅も好きだし人が好きだから出かけるのも好きだけど、

家でなんやらかんやらやることも好きだから、

この暮らしに不満はないんだろうな。

それにパパを一人にして家から出るのは今のところ私が恐いから、

家に居たくて居るしね。

でもいろいろ外で活躍してる人は家族に介護が必要になるとすぐに問題発生だ。

病気の年寄りや最期に近い人を家でみるのが一番というわけじゃない。

人それぞれに事情があって当たり前。

いろんな形があると思う。

様々な折り合いをつけて人は生きて行く。

そういうのも流れに乗るということだと思うなぁ。

それにひとりで抗うのは大変だ。


パパの退院後のここでの生活スタイルを夫と退院前によく考えた。

外の景色が見えるように居間にベッドを置こう・・

けどその部屋は居間でもあるから私たち夫婦のくつろぎの部屋でもある。

今は冬で他の部屋を我々用に暖房するのも経済的にやる気にならないし、

なによりそこに居ればパパの様子がすぐにわかるのがいい・・

けれど、パパが寝た後、灯りをつけたままテレビも見たい・・

本もそこで読みたい・・

でもパパは寝てるんだからまぶしいのは快適じゃないだろう・・・

衝立を置こうか・・でも、うちにある衝立は背が低いし、

藤製だから光をそのまま通してしまう・・・

もう少しましな衝立を買おうか・・・

いや、天井にカーテンレールをつけて病院の大部屋みたいに仕切るか・・・

…こんな感じでこれがいい、いや、それよりこれが・・なんて二人で言ってたけど、

何も買わず、何もしないで、退院を迎えた。

その晩、パパが寝た後も天井灯だけ消して、

テーブルの上のポイント照明は付けたままにしてやってみたら、

パパも前後不覚に眠っているみたいだし、

灯りが気になっている様子はうかがえないので、そのまま。

ちょっと明るいかなと思った日には

藤の衝立に大判のインテリア布を懸けただけで済ませてしまった。

退院するまで、あ~だこうだ言ってたのが全くの無駄だったように思った。

やってみて・・・それが実際どうなのか、見て、次が描けるんだとつくづく思ったよ。

どうなのかはやってみないとわからないのに、

やる前にこっちがいい、それはいまいち、とか言うことは本当にナンセンスだと思ったわ。

考えは何処かに投げて、やってみての実際の姿を見れば自ずと道は見えてくる・・

それに方法とか言う時って私の考えの方が正しい、なんてなりがちだものね。

今回は二人とも自分の考えに自信がなかったからよかったけども。
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