京都ホリスティックアロマセラピストてんてんの ~幸せの風日記~

生きることは愉しいことヽ(^。^)ノ~起こること・・すべては愛~

○○女

2008-02-15 15:43:23 | インポート

昨日のハッピ~バレンタイン、わ~いわ~い、てんてんももらったっちゃった~。

でもA子はてんてんが女だってわかってるかなぁ?

やっぱり、A子の目には「のりお」にしか見えないのだろうか・・。

まぁ、いいやぁ~。。A子ちゃん、ありがとね~~。

昨夜は夫の「ために!」買ってきたチョコレートケーキを家族3人で

おいしくいただきました~。幸せは家族で分け合わないとね。

夫が会社の方からいただいてきたチョコも家族3人でおいしくいただきました~。

毎回アロマのレッスン前、生徒さん達が1週間の中で起こった様々な体験や気づきを

いろいろとお話してくださる。

そんなみなさんのお話を聴かせていただくのもてんてんの楽しみのひとつなのだ。

昨夜もA子から彼女の職場での様々な体験を聴かせてもらい、てんてんのOL時代と

すごく重なるところがあり、「いっしょ~わかるわかるぅ~私もそうやったよ~!!!」と

大笑いし合ったのだった。

なんだか懐かしいなぁ・・あの頃が・・。

昔てんてんにはある3つのあだ名がついていた。

まず1つめは先日もブログに書かせていただいたが

「用件女」 

とにかく、長電話ができない。まず自分からあまり電話をするということがない。

てんてん家の電話代は今もなおほとんど基本料金だけだ。

携帯電話もほとんど自分からかけることはない。

まるで着信専用。

例えば仮になにかの役まわりでてんてんが誰かに連絡をとらなければいきないときも

こんな風だ・・。それがどんなに久しぶりにお話をする友達であったとしても、、、、

「あ!もしもし~元気やったぁ?久しぶりぃ~。ところで○○の会やけど

○時に○○で待ち合わせやって~。ほななぁ~。ばいば~い」と会話を終わらせようとする。

友は「ちょっとたけちゃ~ん、久しぶりやのにそれだけかいなぁ?ほんまあんたはいつも

用件だけやなぁ~」とよく言われたものだ。

でもてんてんとしては話は会ったときにたっぷりすればいい・・と思っているので、

どれだけ「愛想がない・・」と言われてもそれ以上会話を続けることはなかった。

そんなてんてんを知ってくれている友は愛想のないてんてんと解ったうえで

今もなお、笑って許して友達でいてくれる。ありがたや~。

そして2つめに命名された呼び名が「定時女」

これが昨夜生徒A子と盛り上がったネタだった。

そうそう、以前テレビドラマでやっていた「派遣の品格」の主人公、大前春子を

想像してくだされば早いかな。

(※注1 但し、てんてんは大前春子のように決してかっこよく仕事が

テキパキばりばりできたわけでない。)

17:30の終礼のベルがなる5分前から帰る用意をスタンバイし始め、

キンコンカンコ~ン♪のベルと同時に「お先に失礼しま~す。」ととっとと

部署を出てさっさと着替えて17:35には会社を後にする・・。

(※注2 但し、もちろん月末月初のほんとーーーに忙しい時期はしっかり、きっちり

残業させていただいた。)

けれど、普段それほど忙しくない時に残業するなんて、てんてんの辞書には

なかった。

「やる時はやる。」 「休む時は休む。」のてんてんなので、どれだけ上司が残っていようが

後輩が残っていようが、おかまいなしに定時には仕事を終えて「さっ!!」と疾風の

ように去っていった。

「仕事は定時内にこなすもの」これがてんてんのモットーだった。

仕事を終えると自分の時間を自分なりに思いっきり満喫していた。

自分の楽しみの時間をしっかり作らないと翌日の仕事がうまくはかどらないのだ。

映画・喫茶店巡り・ショッピング・フィットネスクラブ・友達との食事

きっといろいろ周りから言われていたと思う。

しかしその頃のてんてんは自分が周りからどんなふうに言われようが全く気にならなかった。

やはり「我が道をゆく」人生を貫いていた。

6年半勤めたその会社を退職する日、こんなてんてんでもみなさんが快く送別会を

開いてくださった。

てんてん:「そういえば・・・私この6年半たったの一度も男性社員から晩ごはんとか

誘われたことなかったなぁ~。これだけたくさんの男性社員がいて一度もないって

やっぱり私って魅力に欠けるのかなぁ?」と話すと・・

社員A男:「あたりまえやんか~。終礼のベルがなったら疾風のように去っていく

子をどうやって誘うねん。」

てんてん:「あ・・そっか・・。」

そらそうだろう。まぁ・・でも多分残業していても我が道をゆくこわ~いてんてんを

誘う殿方はきっといなかっただろう。

そして3つ目のあだ名「自転車女」

とにかく・・とにかく・・自転車が好きだった。

自転車好きが芽生えたのは高校生の頃だった。

今も高校の時の友達と会うと「てんてん」といえば「自転車」といわれるほどだ。

当時アルバイトの燃えていたてんてんは学校の終業のベルが鳴ると

疾風のように自転車に乗って一目散にアルバイト先に向かった。

高校は塔南高校といって京都の人にはわかると思うけれど、

久世橋通りにある学校だった。

そしてアルバイト先は山之内のジャスコ(京都ファミリー)だった。

久世から山之内まで何分で行ってただろう?昔のことだからよく覚えてないけど

多分20分かかったか、かからなかったくらいだろう。

友達の目撃証言によると、てんてんの自転車をこいでいる姿はすさまじかった

そうだ。声もかけられないほどにまっすぐに前をみつめやはり疾風のように

その場から去っていったそうだ。

またてんてんの友達はいつもてんてんに巻き込まれた。

どこかに遊びに行こう~となっても必ずてんてんはみんなを自転車で集合

させたらしい。(でも今から思うとなんでみんな「イヤ」って言わなかったのだろう?

なんだかんだ言ってもみんなも自転車好きだったのかも・・)

(へ?もしかして、イヤって言わせないほど威圧的だったのかしら・・)

例えば、四条河原町にでかけるときも絶対自転車。

藤森の科学センターにいくのも自転車。

卒業写真を撮影する為に行った清水寺へもてんてんのグループは自転車だった。

あのすごい五条坂をみんなで必死にこいだ。

卒業記念にみんなで白梅町にある串八に行くときも自転車。

公共機関を使わずに自転車で移動できる喜びをいつも感じていた。

しかも交通費がいらずタダでどこまでも行ける自転車は高校生の頃

そうお小遣いが多くなかった高校生のてんてんにとってはやはりささやかな喜びだったのだ。

てんてんの自転車好きはそれからもとどまることがなく、社会人になっても続いた。

職場は室町押小路。家は西京極。

あの通勤ラッシュがたまらなく苦手だったてんてんにとって自転車通勤は

快適そのものだった。しかも原付とちがって一方通行がない。

一方通行が多い京都にとってやはり自転車は最高の乗り物だった。

ある時、社員のおじさんに言われた。

おじさん:「あんたぁ~今日西京極から西院の間の道を必死で自転車でこいでたやろ~?」

てんてん:「へ?どこでみたはったんですか?」

おじさん:「阪急電車の中や~。あんためちゃめちゃこぐのん早いなぁ~」と・・。

阪急電車の時速ってどれくらいなのだろう?

でも阪急電車が走っている車両の中からそのおじさんがてんてんの顔をしっかりと

認識できたのだからどれくらい自転車こぎが早いか想像していただけることだろう。

親友がてんてんの職場と一筋違いの背中合わせの会社に入社した。

高校の頃一番の親友だったので、仕事が終わったらよく2人で遊んだ。

その時もてんてんはやっぱり自転車だったので、彼女を後ろに乗せて

2人乗りで四条大橋を渡り、祇園なんかにもよく遊びに行った。

今は四条どおりは自転車で走ってはいけないことになっているが、当時はまだ

そのような規制がなかったのでとてもありがたかった。

「用件女」・「定時女」・「自転車女」

そう・・・今思い返してみるとあの頃のてんてんは「自分中心に地球が回っている」と

思っていたようだ。

唯一救われるのはてんてんにはあの頃あまり「念」というものがなかった。

「念」というのは「本当はこうしたいのに・・・本当はこう言いたいのに・・我慢してお腹に

溜める言葉や行動や想い」のことだ。

何度も書いてきたけれど、てんてんに「我慢」とい文字は存在しなかったのだ。

お腹に溜め込まないのでストレスというのがほぼない状態。

それはある意味、いいことなのかもしれない・・。

でも年齢を重ねていくうちに、やはりいろんな壁に当たるようになってきた。

自分だけが快適~ではすまされないこともいっぱい起こりはじめた。

自分の思い通りに生きているのだから自分がストレスは溜まらないだろう。

しかし地球はてんてんを中心に周っているわけではなかったのだ。

あたりまえだ・・。

年を重ねるほとに自分が人の気持ちを「思いやる」ということにどれだけ

欠けていたか・・思い知らされることが次々と起こった。

あれだけ自転車移動で浮かしたお金もそういえば・・原付バイクに乗るように

なりスピード違反で何度も捕まってどれだけの違反金を払ってきたことだろう。

優しい生き方をしていないと優しい生き方を本当は望んでいるてんてんの魂が

容赦しないのだった。

自分では「素」で生きているつもりでも、理不尽なことにたくさん巻き込まれたりもした。

このように何度も痛い目に遭って人は大切なことに気づきはじめる・・。

そしてひじょ~~~~におそまきながら

てんてんは「人の想いに寄り添う」という優しさを知った。

「そっと寄り添う・・・」なんて優しい響きを持った言葉なのだろう。

人はそれぞれ違った様々な生い立ちで育ち、様々違った生活環境の中生きている。

自分とは違うタイプの人達・・。

自分とはまったく違った環境で生きてきた人達・・。

そういった人達のことを今までどれだけ相手の立場にたって考えたことが

あっただろう・・。

深く深く・・・深く深く・・反省した時期があった。

いっぱいいっぱいごめんなさいを言った。

そんなふうに思えるようになってきたのもてんてん自身の心が癒されてきたから

こそだった。

今はちょっとだけ長電話ができるようになった。

「もしもし~あ~久しぶり~最近どう?」

そう・・「最近どう?元気にしてる?」という会話が続く言葉が言えるようになった。エライ?

(相変わらずこちらから電話をかけることはほとんどないけど・・)

今は残業という場面にはでくわさないけれど、今のてんてんだったら

定時が来て、まだ仕事を終えていない人がいたら

「お手伝いしましょうか?大丈夫ですか~?」と声をかけられるだろうか?

これは一度是非体験してみたいような・・・。どれだけ自分が成長したか見てみたい。

今はみんなを自転車で集合させるなんてことはありえない・・。

そんな体力はもう「自動車女」になりきってしまったてんてんにはどこにも残っていない。

けれど誰かになにかを強要するということはまずしないだろう。

今、もしてんてんに「○○女」と命名するのならば○○にはどんな言葉が入るのだろう。

このブログの「プロフィール欄」に「あなたがどんな人なのか一目でわかる自己紹介文を入力

します。1文で簡潔に表現してみてください。」と書かれているのだが未だに書けない。

自分のことを「こんな人」と一文で簡潔に表現しろと書かれてもわからない。

よかったら最近のてんてんを知っている人は是非てんてんの新たなる「○○女」を

命名してほしい。よろぴこ~。

やさしく・・やさしく・・このテーマは永遠にてんてんの中で続くのだった。

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