信仰のきっかけは、事情の解決がほとんどですね。
その願いがかない、お陰を戴いたとしても、それは瞬間的なもので、
そのときどき、毎日のように、事情が生まれます。
やがてそれを乗り越えるには、自分のことより相手の気持ちや立場の関係が理解できるようになります。
そこで初めて、真のお陰、人格的に変わっている、自分自身を知ることになるのです。
本当の願いは、自分がされたら嬉しいことを、相手にすることに気付くのです。
そこに、信仰生活の進歩があります。
日々の悩みは、これを身に付けることです。
事情の波は、さらっと深みにはまらず、
大事に至らず、乗り越えられるのです。
言葉や笑顔はお互い様。
良薬惜しまず与え求めず。