30#9#6 沿革3回目
木ノ本有馬の続き~
保市を座敷に上げると、いったん大師堂に戻りました。ところが、いっこうにご両親は姿をみせません。
タミさんの話しは、青果商をいとなむ関係で、息子の病気をかくしていることがわかりました。
御神尊様は突然、「このままでは、保市が死ぬぞ‼️」といわれ、小山家にむかわれました。
九鬼夫妻とタミさんを伴われ、小山家の裏庭に入られて、〈水桶にひしゃく、簀の子の準備〉を指示されました。
小山家では、何が始まるのか、ご両親も保市も固唾をのんで見ています。
やがて、行衣に着替えた御神尊様は簀の子に座ると、九鬼虎次郎さんに、「みずをかけろ‼️」と、ひと声。
そこから、決死の寒中の水行がはじまりました。
粉雪まじりのさなか、水をかける九鬼さんも、かけられる御神尊様も命がけでした。
やがて、10ぱいが、30~50ぱい。時間とともに、御神尊様のおからだの様子もかわります。
血の気の失われた、真っ青な肌の色と、今にも倒れそうに、前後に揺れるさまは、九鬼さんをして、思わずひしゃくを投げ出して、逃げ出そうとするほど、「かけんかっ‼️」れっぱくの気合いに励まされて、一時間有余、水桶、40杯に及んだ頃、
軒下から、うかがうように見ていた両親が、さしもたまらず、「赤の他人でさえ、保市のために命がけ、私たちは」胸に迫る愛情の発露、これまでのことをすべて捨て、素直な気持ちのまま、御神尊様にすがりました。「私がわるうございました。もうおやめください❗️」
すると、座敷に臥せっていた保市は、いつのまにか縁側ににじりより、柱にすがりながら立ち上り、「たすかりましたあ」と、か細い声でさけんだのでした。
それを聞いた御神尊様は、「保市が助かったぞ」声をふりしぼり、その場に倒れられました。
時に、1935年、昭和9年1月15日、29才のみぎりでした。
〈御神尊様の捨て身の愛〉両親の心を変え、ざんげは神を呼び、6年の肺結核即決の救いとなりました。
御神尊様は、愛や恨みのなかに、〈病を作る力、病を治す力が、人間そのものに、あることを発見されたのです〉
保市青年は、その後近くの浜辺を散歩するようになり、やがて大師堂にも参拝するようになりました。
のちに、地元の役所に勤務、課長職にもつかれたそうです。
(長くなりました。今朝は、やめることが、できず、泣きました‼️)
合掌