天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

9/15 信念と頑固は、表裏一体

2018-09-15 12:41:00 | 信仰


人生には、予期しない出来ごとが、たびたび起こります。

想定内、想定外と言う言葉が、とびかってます。

私たちは、道によって日々努力を重ねてきました。
その精神は、どんな出来事があっても、道に照らして、軌道修正ができる喜びのところにあります。

昭和40年頃、当直の深夜、電話がなりました。
「何事?」講習会の最中、声の主は、留守宅の奥様。
主人を出してください。悲痛な叫び、息子が暴れてます!

懐中電灯手に、当時の宿舎の部屋を回りながら探しました。

すると、さっと起きたご主人は、すばやく電話にでると、「そうか そうか、わかった心配するな!」電話を切り、木鉦を手に経塔に座ると、午前2時から4時まで祈りに祈りました。

そして、何事もなかったのかのように、「ご迷惑おかけしました。大丈夫です‼️」と宿舎にいかれたのです。
平然と取り乱すことなく、祈りを通じて、御神尊様になかだちをお願いして、「自信と信念」で事を処理する姿勢を見たのです。

翌日仔細をきいたところ、息子さんも、ほどなく寝られたそうで、後日快癒の知らせをいただきました。

信念と頑固は、裏 表でもあります。
相手の気持ちに寄り添いつつ、祈りを砥石に、精神を磨きましょう。

やります!
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9/14 子どもは神に近し

2018-09-15 10:08:37 | 神と人



幼稚園に上がるまでは、どんなに悪いことをしても許されるけれど、学校に上がったり、弟妹ができると、「お兄ちゃんでしょ、お姉ちゃんでしょ。」と、
突然に、叱られる立場になり、いらない知恵をめぐらし、可愛いげがない子。などと言われる事があります。

じゃ、言ってる親や大人が、素直で優しいかといえば、人生経験がおおいにものを言い、〈煮ても焼いても、〉食べられない人に成ったりします。

幼いころは、誰かの庇護のもとで、瞬間的に生かされる日々であり、何事も根がありません。
だから、神にもっとも近いといわれます。

大人になれば、素直さがプライドにかわり、「何で頭を下げなくちゃならないの、」とか、「絶対に許さない」と、何年も物言わないで平気になったりします。

「ほんと!大人になりたくない。」なんて、聞きます。

楽しさをけずりとり、摺りきれていくのが、大人のようです。

楽しいけんか!って、出来ないでしょうか?

合掌
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9/13 反省ではなく、懺悔

2018-09-15 10:03:24 | 運命の原理


御神尊様は、四国の遍路の道中、助ける側と助けられる側の、関係に疑問を持ち続けていました。

本当に、人間はこんなに弱いものなのか、立ち上がる力はないものかと。

やがて、〈心と運命の関係〉に気付き、〈心は運命の製造者にして、生活は運命の製造所なり〉の宗教的、大原理は四国に於いて、すでにお悟りになられていました。

しかし、〈なぜ、たすかるのか?なぜ、即決が生まれるのか?〉
これが解らない。

20年の修行の目的は、「この人間力」の発見によって、集大成をみることになります。
そして、それは人間に等しく与えられた、神の子としての霊力でもありました。

〈反省は罪の半ばを消し、懺悔は罪のすべてを消す〉とのちにあります。

切れて離れた関係を繋ぐよすがは、このみ教えにあり。
どこにいても、病床に臥せっていても、立ち上がる力は、この人間力にあるのです。

内容には踏みこみませんが、だからこそ、運命は自らの手によって作ることができるのです。

(今朝は、理屈にはしりました。明日は体験で語りましょう)
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9/12 新しい信仰

2018-09-15 09:53:26 | 信仰


旧態信仰と、御神尊様は表現されていました。

人間の身の上に起こる出来事は、人智を越えた力の働きによるとしたものです。
これを、〈運命、運命的〉などと、世の中ではいわれてきました。
しかしこれは、〈宿命と運命を一緒〉にしたものです。

御神尊様も、前期10年は、(30才ごろ)祈祷と霊能透視で、〈貧困、病気、争い〉の解決にあたってきました。

しかし、助けても助けても、病気は再発し、楽になれば怠けて、元の木阿弥。
仲良くなっても、またぞろケンカ好きのくせ。

この繰り返しに、〈人間ほど、哀れな存在はない〉〈私は今まで、何のために、苦しみになく人々を助けてきたのか?〉

それからの5年間の修行によって、〈革命的な悟りの世界に入り、運命開拓の扉をひらくのです。〉

それは、〈人々の心の中に、神ごころの発見と、それの発露である、人間力にたどり着いたことです。〉

そして、人間としての生き方を、道に寄って示したことです。

新しい信仰とは、あくまで〈この道〉です。

新宗教と言われて、相変わらずさわり祟りをいうのは、迷信です。
やります!




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9/11 変幻か変化

2018-09-15 09:42:09 | 運命と生活


妙なくせとは、〈性癖〉と書いて(くせ)とよみます。

良いくせは気持ちよく、悪いくせは嫌な感じがします

つまり、人間関係に支障をきたす(くせ)ですね。

とくに、身近の人に出やすいから、困ったものだになります。

腹をたてて不機嫌になると、何日もモノを言わない。機嫌を取られないと返事をしない。
何に引っかかっているのか、お互いに理解できずに、無口の時間がながれていく。
でも、自分からは絶対に声を掛けない。「向こうが、悪いんだから、」これが、夫婦の間で、度々なら、子供たちは、たまらない。

その、妙なくせは、殆んどが親からのプレゼント。
長年に渡って、教育されてきてるから、治すのも四苦八苦するのは当たり前です。

治すための努力ならいざ知らず。
気付いていて、素知らぬ顔で、〈嫌われているくせ〉を使う。
子供たちが、次に「困ったちゃん」になって苦しんでます。
お互いに、「変化しましょう」〈へんか、とは、変わってしまうこと〉
妙なくせに封印すること。もとに戻らないこと。

でも、「相手が悪いんです」と、「へんげ」変幻自在の人がいます。

どちらを、選択しましょう。へんか?へんげ?
この変化も、読み違うと、幸、不幸の分岐点です。
今、どちらへ向かってますか?
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9/10 愛の生活

2018-09-15 09:38:07 | 家庭生活


昨日、男性の講習会が終わりました
実に、整然と始まり整然とおわりました。

昔は、道座が静かで、盛り上がらず教師は困ったものです。
集合は時間通り、スケジュールも坦々と進みます。最近は男性もおしゃべりになりましたね。

今朝の、み教えを書いて思うのは、〈恩着せがましい〉昨日も登場の恩着せ名人の私自身でした。
苦労したとの思いが人一倍強いと、どうしても言わずにおれない。年来の性格が頭をもちあげるのです。

特に、男性方に傾向を見受けますね。

私をさらに分析すれば、幼少期に〈そこにいるの〉〈お腹すいてない?〉などの親の愛情を知らずに育つと、その分求める気持ちのはたらきが強くなります。
だから、〈人の〉と有るのは、もっとも身近か方をさしています。
そこが、もっとも苦労するからです。

誰もが聞いてもらいたい。でも聞いてくれない、理解する人がいない。
行き着く先は、見えています。
理解の努力こそ、愛情のうらおもて。
自分のことは後にまわしてでも、まずは家族の胸のうちを、訪ねてみましょう。

合掌
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9/9 玉となるより、数珠となれ

2018-09-15 09:30:42 | 運命と生活



簡単に言えば、道徳的なことは社会のルールであり、倫理的なことは家庭内のしつけです。
これを基本として、法律のあみでスッポリと包まれています。

これは、人間関係を組織として、うまく運ぶために作られ育てられたものです。

しかし、あくまでそれを運用するのは、一人ひとりの個人の生い立ちからくる人間性に任されています。そこに、運命の善(よし)と悪(あし)が生まれる、余地があるのです。

私が〈脳内出血で倒れたとき〉心因をつかんだのが、大きな分岐点でした。
殆どの患者さんは、医療スタッフのたらなさを挙げ、家族の看護の不足を鳴らしていました。

私の心の分析は、〈固い、短気、恩着せ、完全主義。〉の発見にありました。
ただしいづれも、自己の反省点とすれば立派なことです。

ところが、これを周りの関係者にあてはめると、気分はつねに奈落の底、〈人を咎める、道具と化してしまう〉事情の原因を常に外に探す習慣があります。

いくら探しても、外からくるものでなく、あなた自身から考え方からくるもの。
「蟹は甲羅ににせて穴を掘る」です。

その心を〈明るさ、柔らかさ、優しさ〉で、枠を広げるよりないですね

それは、〈玉となるより、数珠となれ〉です。
性格の悪用は糸の切れた(玉)であり、善用は糸となって、家族ひとり一人の心を繋いで、〈玉をつなぎ、円をつくり、隙間をなくすこと〉
これでは、不幸のはいる、隙間がありません。

合掌

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9/8 徳島県むやに、上陸~

2018-09-15 09:25:59 | 沿革


今朝の、沿革で3回目を終わります。10月の1日から、四回にはいります

御神尊様は、托鉢をしながらの修行、舟に乗る直前の、頭陀袋(ずだぶくろ、ぬのぶくろ、肩から斜めにかけられる、)には、71銭しかありませんでした。
楽をするのは行ではないと、托鉢でいただいたお金は、途中で行き会う遍路さんにあげていました。
だから、淡路の渡船場では、舟賃50銭、お菓子代20銭、残り1銭になっていました。
(当時の1銭は、今の30円、大卒初任給90円、今の20万)
舟に乗る前に、20銭でお菓子を買い、子供たちに配るのです。これでひとときの、舟旅がにぎやかになりました。

私が、御神尊様のまねごとで遍路をしたときは、撫養は都会、大きな国道の交差点で、「撫養の石碑」を発見したときは、感動したものです。「御神尊様の上陸地点」
にいる、四国の一歩、ここからの始まりと、しばしたたずんだものです。

西国三十三箇所の道中では、〈心と体の関係、今でいう心身相関〉の病理について、おぼろ気ながら概略をおつかみになられていました。

四国では、核心に迫る、
臨床実験を、自身の信念養成と、人生苦のなかに求めて行かれるのです。
まずは1番札所、霊山寺から打ち始めます。
徳島県には、札所のお寺が23箇寺あります。

11番藤井寺あたりから山路になり、やがて12番焼山寺の難所、別名〈遍路転がし〉にかかります。
この時代は、歩く以外に交通手段はないのです。平地から山の難所で、挫折する遍路がたくさんいました。
現代でも、その当時と変わらず、挫折する人々がいるように聞いています。
(では、10月を楽しみに、)
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