天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

9/29 御神尊様御帰幽

2018-09-29 13:46:07 | 神と人


昭和52年9月29日午前4時33分、70才でお亡くなりになりました。

いまも、昨日の事のように52年9月29日を思い出すのです。

当時私は、戸畑支教会の准教師をつとめていました。

午前中、教会長より電話に耳を疑ったものです。
思わず受話器を取り落とし、家族が心配するほど号泣しました。

親を亡くしたきの、涙の非ではありませんでした。
命のもと、頼みの綱がプツンと切れて、空中に漂う思いでした。

10月1日から、3日まで瑞光殿に安置された、御神尊様とのお別れにまいりました。

亡くなられて、なお神々しい、オーラに包まれたみすがたに、おすがりしました。
信者さんで、あふれかえっていました。

御神尊様は、小学校で学んだだけですが、〈人間運命の解明〉に捧げられた一生でした。
救済のみ教えと殿堂をお建てになられた、偉大なおかたです。

そして、永遠の救いのあかしとして、《御右手御遺顕》をお残しになられれました。

その後、聖主様の50日大行によって、《神如善隣教祖、力久辰斎、幽顕自在之尊》 と、御神名をいただかれたのです。

私もまた、今朝の祈りのなかで、不退転の決意を新たにしました。
やります!

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9/28 人に尽す

2018-09-29 13:38:16 | 運命と生活


道にご縁をつなぐきっかけは、願いを持ち、その目的のためです。

やがて御神尊様の御行と、御慈悲にふれるとともに、家族や人様のために尽くし、
人を喜ばせて、人がよろこぶ世界を知ることになります。

あるご主人は、壮年期から、リウマチにかかり、
手足が変型、ついに歩行が出来なくなりました。

一時は、松葉杖を短くしたものを使い、奥様の背中を借りて、移動していました。
私は、何度もご夫婦にご縁がありました。
この逆境を、御神様の御行になぞらえ、うd
〈とにかく、明るく、感謝〉
卑屈にならず、動きの悪い指先でタイプをうち、観音様を彫るのです。
そして、感謝の言葉ともに、奥様の背中におんぶされます。
奥様も、当然のように背中をさしだしました。

〈人〉とは、とんでもない遠くの人ではなく、まずは、夫婦・親子・そして隣人です。

そのご夫婦の姿に、周囲は感動にうたれ、どんなに勇気をいただいたことでしょう。
池の波紋のように、ご夫婦の生き方は、苦しき中に楽しい人生を教えていただきました。

晩年、祖霊殿で、「御神尊様、おなつかしゅうございます。もうすぐ、お側にまいります。やりまあーす」と叫んだ声が、忘れることができません。

どんな環境でも、施愛の生活は出来るものです。
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9/27 実るまで努力

2018-09-29 13:32:14 | 運命


努力をかさねてきた人は、あきらめない人であり、
努力しない人は、諦めた人。

祈りひとつ見ても、毎日朝夕繰り返す、実に単純な行為です。
すると気が緩み、いつの間かお休みになる人がいるようです。

そして結論は、継続することより「集中できない、色々かんがえます。どうしたらいいんでしょうか?」
こだわって欲しいのは、どんなことがあっても、続けること。
この一点こそ鍵です。

《為せば、成る》の鍛練です。
〈成る〉結果を気にするより、
〈為す〉すること 。

内容は、自然ついてくるのです。

「私ほど、幸せ者はいない。ありがたい」そんな心境も、努力あってこそです。
「物事に、タナぼた」はありません。

まずは、祈りにこだわってみてください。

塾の看板に、〈努力は、実る〉とありました。
しかし私は、伝道の行き帰りに、それを見ては、御神尊様を思い、
《実るまで、努力する》と読みとったものです。

生活習慣、という。努力の世界にもどりましょう。
み教えの実践も、たやすいものになります。
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