[1940年、昭和15年2月20日〜4月10日まで]
[長崎県平戸市、赤坂山50日間、ご入山。]
小西さんの助かりで、御神尊様をしらない人は、平戸にはいなかった。
『これはいかん。思いあがるぞ』
かつての朝鮮時代を思い、人生山あれば谷ありならば、自ら谷におちてこそ宗教家ではないのか?』
老夫人の土下座は、<真理探究>のさなか、驕り高ぶりになるのではないか?
すぐに、主な信者に、参籠に適した山中を探すよう命じられました。
ところが、信者は、平戸で尊敬の的の御神尊様に、これ以上の御行をされる必要があるだろうか?
『思い止まってほしい』と、お願いしました。
ところが、思いがけないことを、言われました。
「この50日間接見禁止の行にはいるぞ」
動かしがたい決意に、ようやく本腰を入れて行場を探し、赤坂山の中腹に、
格好の場所を見つけ、寒風ふきすさぶなか、大勢の信者によって、
藁葺きの粗末な行庵が建てられました。
当時、戦地に赴く兵士の千人針にならい、御神尊様の入山と供に
ありたいの思いを『布地のは切れ』にこめ、継ぎ合わせて行衣を献上しました。
その[百ハギの行衣]こそ、[平戸御行の象徴]であり、[歴代教主、永遠の聖衣]として、伝承されていく
ことになります。