
[成功は師なり、失敗も師なり。
文字も師なり、天地自然は生きた
る師なり。]
御神尊様は、過去の修行の過程で、成功もあれば失敗の場合もあった。
そして、修行のなかの成功を師とし、失敗もまた師として修行に励んだ。と、言われます。
具体的に、あらゆる宗教の経典や文献を読みあさり、
これはと思う書は、読んでは考え、考えては読みなおし、
また、[行間の文字、][字間の文字、無地の字]を読み、その中に、真理を追い求めた。
私は、天地自然にも多くのものを教えられた。と、述べておられます。
子供の頃を振り返り、うまれつき私は、学校が好きではなかった。
したがって、成績は芳しくなく、今も、通知簿(学習のあゆみ)を大切に持っているが、よく見ると、
小学六年では、『卒業のみこみは、ありません』と、記されていた。
それでも、まがりなりに卒業できたが、勉強ぎらいが、父のあとを継いだのは、宗教家の天命を担って
いたからであろう。しかし、宗教的、勉強になると、寝食を忘れ、絶対人に負けない気概をもってとりくんだ。
[やる気でやれば、けして挫折はない]つまりは、
[為せば成る]である。
いらい私の頭の中には、「為せば成る]という言葉がひびき、天地が裂けても
『やれば、必ずできる』との考えは、タダの一度も揺らぐことはなかった。
御神尊様の語られる、思いの深さ、天地自然を師として体得した、
[人間力]こそ、おかげを作り出す秘法。
[人間力を否定し、神のみの力を強調する宗教は迷信]と、断言されました。