

2日目
御神尊様が、赤坂山の行庵に入られたのは、昭和15年2月20日のことでした。
善隣の道発祥の御行は、すべての接触を断ち、孤独の境地で、ひたすら神の心を感得されるため、
ギリギリまで己を追いつめる行でした。
行庵の塀の手前には、[面会謝絶]の木札が建てられ、指名された信者が食料をはこびました。
それとても門口に置いて、置くだけで面接は許されず、
御神尊様は、『見ざる、聞かざる、言わざる』の『孤独の行』でした。
人間の最大の苦しみは、その『孤独』にあること。
一切のかかわりを断つ、いまだかつてない行となりました。
初めの7日間は、あまりの淋しさで、お祈りが出来なかったほど。
人と離れて、切れて暮らすことは、身を切ような耐えがたさでした。
それで、淋しさを紛らすために、日に何度も、行庵周辺を掃除して『あまりきれいに、されたら、
木立に栄養がなくなり、たち枯れるから、やめてください』と、山主の北村さんが嘆いたほどでした。
また行庵の下に、井戸があり、水汲みも日課のひとつでした。
天秤棒に水桶を担いで、坂道を登り降りしますが、淋しさを堪えきれず、
何度も水桶の水をぶちまけては、また通うことの繰り返しでした。
汽船の汽笛の音は物悲しく、涙がひとりでにこぼれることも、珍しくなくなりました。
木の間がくれに見える帆船、人家の屋根、どれひとつとってもなつかしく、
飽きることなく、眺めることも再々でした。
今朝は、ここまで。