天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

12/15 長久体験記

2018-12-15 12:06:19 | 生命力


義母は、30代ごろから、猫を飼うようになりました。
犬、猫、大嫌いの母(以下、母とします)の様子に、驚いたものです。

その理由は、当時小3の妹が、学校帰りに、子猫を拾ってきました。
すると母は、『猫はね、ノミを沢山、持っているから、』
『捨てておいで』と、妹を厳しく叱りました。
ところが妹は、激しく泣いて抵抗しました。

忙しく働いている母は、なだめるのが面倒になったのか、
『貴女の責任で、お世話するのよ!』といって許しました。
しかし、妹はすぐに飽きて、母がお世話することになり、こぼしながら、世話をしていました。

大人になった猫が、ある日突然下半身にマヒが出て、動けなくなりました。
猫嫌いの母は、座布団に湯たんぽを入れ、寝ったきりの猫を看病しました。
やがて、亡くなりましたが、その時の取り乱した様子は、ただごとでなく、
声を忍ばせ柱に取りすがって泣くのです。
母は、『もう、飼わない』といいながら、その後も、犬、猫を次々に飼うことになっていき
ました。しかし、犬も猫も短命でした。
裏の庭は、犬、猫の墓場化しました。

御神尊様にご縁のない時代、まさか、家畜や犬 猫までも、運命共同体などと、思いもしません。
ご縁をいただいてみると、義父の兄弟、親戚を含め、憎み合い咎め合いの、
心の暗闘(あんとう)の日々でした。

合唱




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12/14 一日 一善 一楽

2018-12-15 10:19:03 | 運命と生活


私達は、たとえ80〜90才まで長生きをしても、毎日が楽しくなければ、生きている甲斐はありません。
楽しみとすべきは、とにかく『人から親しまれ、人のためになる生き方を、することです。』

そうでなければ、命が喜ばないからです。
いのちは、『何かの、誰かの、ために』で躍動し、エネルギーを供給してくれます。

自分の好きなことは、良いのですが、相手と分けあうものが、なければ、空しいものとなります。
たとえば、相手から声をかけられるの待つ姿勢には、笑顔がきえ寄り付きにくいもの。

良いことをしているのに、良いことをしている人に見えないのです。

年を重ねると、性格が先祖がえりするといわれます。
御神尊様は、心がけとして、[1日1善 1 日1楽]と教えられています。
我人ともに、喜び楽しむ熟年を迎えたいものです。

まとめて言えば、『熟年者は、もう、勝ったの負けたのはいけません。』
病いになり、[勝つ気でいれば、痛みはひきません][負ける気になれば自然に引きます。』
ありがたいですね。

そこに、上手な年の取り方があるようです。
お互い様、道の実践で魅力のある背中を、みせましょう!

みうた、1585 [幼な子は 親の背中を見て育つ、祈る背中と 愛する背中]


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12/13 血縁関係

2018-12-15 10:12:01 | 運命の原理


信仰というものは、今が、苦悩のまっただ中、
だからこそ、なんとかしたい!
と、不可能と思えることも、可能にする力を引き出してくれます。

その際の手がかりは、血縁関係を振り返ってみることです。

言うまでもなく、私たちには親があり、ご先祖様がいて、さらに辿れば、御神尊様と
ご縁が繋がります。
けして目に見えるわけでもないのに心中深く、心の糸、たましいの糸で結ばれているのです。

その血縁関係の乱れに気ずけば、運命を立て直すことができるでしょう。

しかし、ことが進行して抜き差しならず、『もう、親子の縁を切ってしまう』とか、『目の黒いうちは
家の敷居は、二度と跨がせない』などと、心にもないことを言って、取り返しのつかない関係を、きくこともあります。どんな、関係になろうと血縁を絶つことは、できない相談です。

天地の間に生かされる私たちは、あらゆる人間関係の中で、運命に直結する血縁関係は、
神様が、ちゃんと見届けています。
だからこそ、切るに切れないものと認識を改めて、
[反省の力、懺悔の力]を持って、血縁関係を立て直すことです。

運命が思うようにないと嘆く前に、ぜひ、血縁の関係を疎かにしていないか?
義理ある関係にも思いやりの心で、接していたのか?
我が心を、点検してください。

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12/12 幽界物語(2)

2018-12-15 10:01:40 | 沿革

御神尊様は、幽界への旅立ちを、予感されてのお言葉でした。
やがては、多くの信徒、ご先祖様の、守護神(まもりみたま)としてのご存在を、視野に入れて
のことでしょう。この時、すでに御霊殿や、祖霊殿祭祀の芽生えが見られ、幽界も顕界も
独自の、御霊祭り(みたままつり)が行われるようになりました。

とりわけ御神尊様は、み教えを伝えることに生涯を捧げた、
功労者の慰霊祭を大事にされました。
春秋2回の祭典が、現在のひな形となりました。

昭和54年9月29日午前4時43分に、ご帰幽を迎え
御神化(ごしんげ)されることにより、『幽界のことは、まだ早い』と
『私は、ここには、入らない』は、御遺言のひとつとして、生命三斎の確立につながりました。

今朝は、幽界物語をこれから書き遺しておくために、
皮切りの2日間とさせていただきました。
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12/11 幽界物語、(1)

2018-12-15 09:41:27 | 沿革


かつて御神尊様は、佐賀本部の頃、ある教学研修会の席で幹部さんが質問されました。
『御神尊様、幽界のことは、どのようになっていますか?』
その質問に、『幽界のことは、まだ早い』といわれ、それ以上触れることは、ありませんでした。

やがて時はめぐり、昭和50年道祖50年祭のみぎり、はからずも、その答えが、明らかになってきました。
それは、記念事業として[平戸根本道場、原田全国御行場遥拝所]が建立されました。

その陰で、佐賀県久保田村大立野にある、願福寺の傷みがはげしいため、改修の話しになりましたが、予算がたたず、御神尊様は、[たとえ我が身は、水を飲み、塩をなめようとも、親孝行は
させていただく]の決意で檀家を説き伏せ、話をまとめました。

そして、『両親を始め、ご先祖様のお住まいになる、家作りだ。私たちが、立派な家に住みたいよ
うに、ご先祖様にも、立派な家にお住まいいただくように、努力するのが、子孫の務めだよ』
と、お語りになられました。

願福寺の改修に合わせて、お墓も建立され、
この時、『私はここには入らない、道祖様までである』と、重大なお言葉を遺されました。

余談ですが、この際の改修委員長として、絵画、書、などの、御真筆に精魂をこめ、費用を捻出されました。


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12/10 運命開拓

2018-12-15 08:08:51 | 沿革


こんなふうに言われると、健康と思もいこんでいる人にとり、
とてもショックなことでしょうね。

では、病気になれば、ふつうは病院に行き、診察されて病名を、もらう訳ですが、
それは、あくまで肉体上のことです。

しかし、ここでいう病気とは、運命に直結し、人生を左右する事柄を言っています。

つまり、目に見える前にすでに、あなたは病気を抱えていると、
神様は、あなたの心の中をのぞいて、診断されています。

それですべて、病人であると言われるわけです。
うーん?なに?でしょうね。訳わかんないぞ!

つまりは、[病気とは、精神上の中心を失い、日常生活が乱れて、人間らしさの失われた状態をいう]
と、続いています。かなり、長いのです。

御神尊様によれば、人間は病気になる前に、必ず、[精神上、性格上、生活上、そして、人格上の病気に
かかっていると]御指摘いただいています。

つまり、自己精神の中心におく、神やご先祖様の存在を忘れるだけでなく、
夫婦、親子、家族が切れて離れた生活をして、人間らしい、思いやりの心を、失った状態は、
病気そのものと言われます。

今朝は、運命開拓の基本的な入り口の認識ですが、日々の言葉はここから、枝を伸ばしていきます。
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12/9 沿革秘話 [力久少年物語、2回目]

2018-12-15 08:01:35 | 沿革


御神尊様は、明治39年10月28日にお生まれなりました。
その当時のもようを親戚で友人のTさんが、語られたのは、
[神への道]にある誕生のこと。

Tさんの父親の話では、夜明けに漁に出る船を見回りにいくと
うすぐらい雲の切れ間から、異様に大きく光る星がみえたといい。
漁師は、星とともに生きる仕事、『なにごとかあるな』と、感じたままでした。

母親は、女性の直感で、「ひょっとすると、西の家に子供が、産まれたのでは?』
西の家とは、力久家が西方にあり、そう言っていたのです。
直感が的中、元気な男子誕生、それがのちの御神尊様でした。

天地の神は、明治から大正期、昭和の中期の、悪夢のような苦悩の時代に、
かけて、力久家に与えられたお子でした。

育ちは、病い知らずで運動神経はバツグン。
性格は、頑固、負けん気の強さ、反面、ひょうきんで、思いやりの心にとみ、
友人も多かったようです。

Tさんがいわれるのは、日頃一緒にいて、本人が何気なく話したことが、
数日後に事実になり、驚かされたそうです。
[神への道]のなかで、帽子をタンスの裏から、発見したこと
などは、ほんの一部の出来事でした。









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