今夜はどんな夜になるのだろう、ネクタイの結び目を整えながら、そんなコトを考える。ピンクのワイシャツの襟を直し、スーツの上着を羽織る。
さぁ、一日が始まる。クローゼットの中を片付け、もう一度鏡の中の自分を確認する。店の一番奥にあるクローゼットの扉を閉め、ゆっくりと店の中を見渡しながら、カウンターへと向かう。店、全体のトーンを落とし、背筋を伸ばしてカンウターの中に立つ。
店が一目で見渡せるいつもの場所に立ち、まだ今日は開かない鉄の扉を見る。今日の一番目のお客さまは、誰だろうか?
こんなとき自分一人、賭けをする。若い女のお客さまが一人でお見えになったら、今夜はまずまず。男性のお連れのお客さまが見えたら、今夜は忙しくなる。
その日によって、自分の中での賭けの基準は変わるが、今まで外れたことがないのが、密かな楽しみと自慢なのだ。決してお客さまにも誰にも言えない、自分への願掛けに近いものなのかもしれない。
カウンターの中に立つようになって、丸10年が過ぎた。カウンターの中からそれぞれの背負うものが見えてくるようのなったのは、いつのころからだろうか?
10年前は、ただただグラスを作ることだけに追われていた。お客さまの我儘が、許せない日々が続いた。どうして、自分がカウンターの中に立っているのかさえもわからず、片付けが終わるとグッタリとベットに倒れこむか、自暴自棄に酒をあおるか、そんな日々が続いた。何度やめようと思っただろう。
それがいつのころからか、ふと楽しみながらカウンターにグラスを置くようになっている自分がいた。
お客さまの前に出すグラスが、愛おしくさえ思えるような日々がある。
一度お見えになったお客さまが、今度はまた違うはじめてのお客さまを伴って、お見えになってくれる。そして、そのお客さまが、今度はまた違うお客さまを伴って・・・。
そうして、いつしか10年の歳月が流れ、毎日同じ流れの中に、日々違うものを見出す自分を見つけた。
一杯のグラスを作る。毎回毎回、同じ手順で。目をつぶっていても、このカウンターの中のものならば、同じようにお客さまの前に出せるような気にまでなった。
しかし、その同じは、毎回違う同じであって、全てが同じ同じではなかった。
マドラーを回しながら、その一杯のグラスの中に、お客さまの思いと自分の思いをひとつにしていく。それがグラスを作ること。
一人ひとりの違うお客さまと、そのお客さまに対する同じ自分が、グラスの中でアルコールと氷と水と絡みあい、溶け合っていく。
差し出すグラスの中に、それぞれの思いを思い描くことが出来るようになったころ、カウンターの中から、見えるものが見えてきたような気がする。
後ろの棚に並ぶ、様々な瓶を眺めながら、洗いあがったグラスをひとつひとつ丁寧に磨きだした。
今夜は、いったい何杯のグラスを作るのだろう。いくつの生き方を見せていただけるのだろう。
カチッと、鉄の扉のノブが回った。
「いらっしゃいませ!」
今日が始まる。
さぁ、一日が始まる。クローゼットの中を片付け、もう一度鏡の中の自分を確認する。店の一番奥にあるクローゼットの扉を閉め、ゆっくりと店の中を見渡しながら、カウンターへと向かう。店、全体のトーンを落とし、背筋を伸ばしてカンウターの中に立つ。
店が一目で見渡せるいつもの場所に立ち、まだ今日は開かない鉄の扉を見る。今日の一番目のお客さまは、誰だろうか?
こんなとき自分一人、賭けをする。若い女のお客さまが一人でお見えになったら、今夜はまずまず。男性のお連れのお客さまが見えたら、今夜は忙しくなる。
その日によって、自分の中での賭けの基準は変わるが、今まで外れたことがないのが、密かな楽しみと自慢なのだ。決してお客さまにも誰にも言えない、自分への願掛けに近いものなのかもしれない。
カウンターの中に立つようになって、丸10年が過ぎた。カウンターの中からそれぞれの背負うものが見えてくるようのなったのは、いつのころからだろうか?
10年前は、ただただグラスを作ることだけに追われていた。お客さまの我儘が、許せない日々が続いた。どうして、自分がカウンターの中に立っているのかさえもわからず、片付けが終わるとグッタリとベットに倒れこむか、自暴自棄に酒をあおるか、そんな日々が続いた。何度やめようと思っただろう。
それがいつのころからか、ふと楽しみながらカウンターにグラスを置くようになっている自分がいた。
お客さまの前に出すグラスが、愛おしくさえ思えるような日々がある。
一度お見えになったお客さまが、今度はまた違うはじめてのお客さまを伴って、お見えになってくれる。そして、そのお客さまが、今度はまた違うお客さまを伴って・・・。
そうして、いつしか10年の歳月が流れ、毎日同じ流れの中に、日々違うものを見出す自分を見つけた。
一杯のグラスを作る。毎回毎回、同じ手順で。目をつぶっていても、このカウンターの中のものならば、同じようにお客さまの前に出せるような気にまでなった。
しかし、その同じは、毎回違う同じであって、全てが同じ同じではなかった。
マドラーを回しながら、その一杯のグラスの中に、お客さまの思いと自分の思いをひとつにしていく。それがグラスを作ること。
一人ひとりの違うお客さまと、そのお客さまに対する同じ自分が、グラスの中でアルコールと氷と水と絡みあい、溶け合っていく。
差し出すグラスの中に、それぞれの思いを思い描くことが出来るようになったころ、カウンターの中から、見えるものが見えてきたような気がする。
後ろの棚に並ぶ、様々な瓶を眺めながら、洗いあがったグラスをひとつひとつ丁寧に磨きだした。
今夜は、いったい何杯のグラスを作るのだろう。いくつの生き方を見せていただけるのだろう。
カチッと、鉄の扉のノブが回った。
「いらっしゃいませ!」
今日が始まる。
「ロックですか?」
「いえ、ストレート、ダブルで、あっ、チェイサーいりませんから」
・・・・・・。
あれ?最初の客がおやじ一人でがっかり?
岡本かの子(岡本太郎の母)の「鮨」という短編がありますが、その中で「杭根の苔を食んで、また流れ去って行く。」という一説が好きです。
今日のブログ読んでいてふと思い出しました。
あ、私はジャックのダブルをロックで・・・
http://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/1016_19596.html
一人でのみたい時、ワイワイ呑みたい時、酒場にはそれぞれの思いをおきにいきますね。
バブさん、昨夜ははお一人だったのね(笑)
黙ってグラスを差し出されそうですね。
毎日毎日、同じに見える、同じことの繰り返しが、一瞬たりとも同じ時はないですものね。
ありきたり、当たり前のことにあまえてはいけない。いつの頃から、そんなことを思えるようになりました。
↓これ
http://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/1016_19596.html
昨日はコメント書き込むときに(今もですが)携帯からだったので、ネットにつながらなかったんです。
事務所について、すぐにプリントアウトしました。
同じにみえて、同じではない。
日々の暮らしの中で、気付かさる、そしてやり過ごしてしまうこと。
淡々とした風景の中で、 心にひっかかりを持って過ごしていたい。