2020年より始まったいわゆる‘第4次韓流ブーム’は、コロナ禍で外出の機会が減り、自然と動画配信サービスの需要が高まったことが大きな原因であった。その時人気を二分した韓国ドラマが「愛の不時着」と「梨泰院クラス」。若者を中心に男女問わず高い評価を受けたサクセスストーリー「梨泰院クラス」は、その後日本でも「六本木クラス」としてリメイクされた。一方、北朝鮮のエリート将校と韓国財閥の娘のラブストーリー「愛の不時着」は、日本は勿論、世界のどの国であっても再現は不可能だろう。
大戦後の東西冷戦を起因とした分断国家のうちベトナムは76年、ドイツとイエメンは90年に統一した。唯一現在も分断状態であるのが韓国と北朝鮮である(中国と台湾を分断国家と定義すべきか異論はあるが)。この現実は歴史上の悲劇であり今も多くのの問題を抱えている反面、文学、演劇そしてドラマや映画などエンターテインメント分野の題材としては数多く取り上げられてきた。しかし、その描き方は時代や政治背景により異なっている。南北の関係をテーマにした作品が登場し始めたのは、韓国戦争(六二五戦争、朝鮮戦争1950~53)の傷跡が未だ癒えていない50年代後半からである。そして60年代から70年代は軍事政権下の反共法もあって、北朝鮮を好意的、同情的に描くことが許されず、無条件悪く描かなければ「容共」と見なされた。厳しい検閲による画一的な表現が変化してきたのは、
80年代の民主化運動を経験した60年生まれの「386世代」が映画界に台頭してからである。カン・ジェギュン監督による「シュリ」(1999)や「ブラザーフッド」(2004)、パク・チャヌク監督の「JSA」(2000)など、金大中政権で検閲が廃止され抑圧されてきた様々な物語が噴き出してきた。
その後、韓国映画は世界進出を目指すなかで、海外で広く受け入れられる娯楽性を強め、ファンタジーの要素を多く取り入れた作品が増えていった。今回紹介する「コンフィデンシャル 国際共助捜査」も、前作「コンフィデンシャル 共助」(2017)の続編として制作された痛快アクション大作である。ドラマ「愛の不時着」で寡黙だが、命がけで愛する女性を守り抜く北朝鮮将校を演じたヒョンビンが、ここでも実直で屈強な北朝鮮特殊捜査員(少佐)役として登場する。映画のストーリーは、北朝鮮の特殊捜査員リム・チョルリョン(ヒョンビン)が、北から逃亡した国際犯罪組織のリーダーの逮捕と消えた 10 億ドル奪還の任務を受け再びやってくる。北朝鮮側の捜査協力要請に対して、捜査の失敗により左遷されていた南の破天荒なベテラン刑事カン・ジンテ(ユ・へジン)は、現場復帰をかけ相棒役を志願する。 こうして2 人は前作に続いて 2 度目のタッグを組む。今回の注目は、チョルリョンに恋するジンテの義妹ミニョン(イム・ユリ)との再会とて恋の行方は?さらに、米国からも犯人を追って訪韓するイケメンFBI 捜査官のジャック(ダニエル・ヘニー)の登場で奇妙な三角関係の成立?と、さらにアクションだけでなく、韓流美男美女の共演もスケールアップし、男女ともに楽しめる。
韓国ドラマや映画では暫し、娯楽作品であっても社会に存在する現状や問題、権力者の横暴、腐敗などを描き、それを乗り越えていく主人公に視聴者はカタルシスを感じる。そして
南北分断は歴史的にも、国の根本的なあり方や、国際政治その他の面でも最も根本的なテーマである。反面、分断から70年以上過ぎ、韓国の人々にとって現況への一種の慣れと、現実の受け入れが進み、切実な統一への希望は希薄になっている。映画で北朝鮮の登場人物を魅力的な才能の持ち主や、スーパーマンのように描くのは、何とか人々の関心を繋ぎ止めようとする意図もあるのではと勝手に想像もする。先日のニュースは、北朝鮮内のコメントで韓国に対して’南朝鮮‘ではなく‘大韓民国’との表現を使用したことが伝えられた。もはや別々の国であるという意味であろうか。現時点では、北朝鮮こそ韓国にとって最も近くて遠い国になっているのかも知れない。
2000年代初め、‘冬ソナ’や‘チャングムの誓い‘などのドラマ放送をきっかけに‘第一次韓流ブーム’が巻き起こった。それに伴い韓国文化、社会に対する関心も集まるなかで、韓国の美容外科の現状が興味本位で伝えられた結果、「美容整形大国」いう表現がメディアで使われ始めた。この言葉の裏側には、それまで普通の日本人の感覚=所謂「親からもらった体にメスを入れる」行為への抵抗感もあり、少なからず否定的な意味合いも含まれていたと思う。しかし、あらためて考えると日本以上に儒教が社会規範や価値観に強い影響を持った韓国で、なぜ美容外科が広く受け入れられたのだろうか?
韓国では子供の頃、しいては出産直後から、容姿や外見を評価される。親戚を含め周囲から男女限らず、この子は美男だ、美女だ、あるいはその逆も歯に衣を着せず言われる。それは幼少時から大人になるまで続き、褒められるにしろそうでないにしろ本人は当然強く意識せざるを得ない。ヒトは性格や個性、能力を持って総合的に評価される。しかし、韓国のように価値評価の中で外見の占める割合が高いと考えら社会では、特に女性の場合、美を追求することが自己価値を上げると考えるのも当然と言えば当然。最新の美容法や化粧品が広がる以前から、民間療法的な美容法や美肌法が多くあるのも、韓国女性が昔から美容に高い関心を持ち、実践してきた証拠である。美容外科をはじめとした、美容医療が発展し、広く受け入れられる土壌は十分であっただろう。市場の原理として、重要があれば供給が生まれる。私が韓国で医学を学んでいた80~90年代には既に、美容外科の基礎である形成外科は人気であり、専門医過程に進むのは狭き門であった。結果的に優秀な学生が集まり、結果的に現在の韓国美容医療の発展に至っている。
現在、韓国全体で美容外科、美容皮膚科は4千数百件とされるが、その半分がソウルに存在する。その中でもお洒落なショッピング街として知られるソウル江南地区の狎鷗亭(アックジョン)には、通称‘美容整形通り‘といわれる一角もあり、およそ800件が集中している。今回の作品は、この狎鷗亭(アックジョン)亭を今のような「美容整形の聖地」にまでに創り上げた男の物語である。ストーリーは、狎鷗亭(アックジョン)で生まれ育った風変りだが憎めない主人公テグク(マ・ドンソク)を中心に展開する。生業は不明だが、とにかく比類のない顔の広さと、愛嬌、それに腕っぷしで、頼まれごとは何でも引き受ける不思議な人物テグクは、天才的な技術を持ちながら騙されて医師免許はく奪の上、多額の借金まで背負うことになった美容外科医ジウ(チョン・ギョンホ)と組み、かつてない新しい美容整形ビジネスをこの地で始めようと決意する。かつては弟分だったヤクザの実業家、中国人の富豪、怪しげな美容サロンの女主人と、一癖も二癖もある人間たちを巻き込んで話は展開していくのだが・・・ 主演のマ・ドンソクはシリーズ化した「犯罪都市」の大成功で、今韓国映画界でNo1ヒットメーカーの座を確実にしている。今回は、腕力こそ多少封印したが、ユーモア溢れる存在感は健在だ。
最近、人種や性差別に対する人権運動の高まりと共に、ルッキズム(lookism、外見重視主義)を批判する論調もよく目にするようになった。韓国はある意味わかり易い?ルッキズム社会である。一方、日本は建前上「見た目より中身、外見より心」を当然の理として語られて来た。大ヒットした韓国映画「カンナさん大成功です(2006)」は才能があっても容姿で損をしてきた女性歌手が、整形手術を受け大変身し成功を目指すストーリーである。まさに映画の舞台となったのは、今回の作品とほぼ同じ時期の話だが、実はその原作は日本の漫画であった。現在では美容医療も韓国に劣らず人々の中に浸透しているが、当時の日本社会の本音を、韓国映画の中でより成功物語として映像化したと考えると面白い。
本作品を観て映画「パラサイト 半地下の家族」(2019)を思い浮かべる人も少なくないだろう。「パラサイト」は言わずもがな、非英語作品初のアカデミー作品賞獲得、さらにカンヌ国際映画祭の最高賞であるパルムドールも同時受賞という韓国映画に輝かしい歴史を刻んだ作品である。制作、指揮したポン・ジュノ監督が当初の「内容が余りに韓国的で、世界では十分に理解されないだろう。」という憂慮は見事に裏切られる。そのテーマに関して世界のメディアは「多くの国における普遍的な格差の問題を描いた作品」と評価した。しかし、私はこの作品こそ、韓国的な家族愛、時に苦しいほどの肉親に対する執着心を描いた映画であり、今回の紹介する「高速道路家族」にも同じ何か痛々しい愛憎の匂いを感じる。
先日、日本政府が異次元の少子化対策案を発表した。日本に限らず近年、アフリカと一部の中東国を除いて世界的な少子化傾向は確実に早まっている。特に先進諸国、中でも2022年度の韓国の合計特殊出生率0.78という値は衝撃的である。韓国で少子化が叫ばれてから過去16年間、日本円で27兆という巨額な対策費が投じられて来た。しかし、歯止めがかかるどころか7年連続で過去最低値を更新し続けている。人類文化史から考えても、ある程度成熟した国での少子高齢化はやむを得ないとしても、韓国の極端な少子化への説明は簡単ではない。よく言われる、競争社会における子供への教育の必要性と、それに対応すべく親の重圧、負担が挙げられてきた。だが、それ以前に若者の未婚、晩婚問題がより深刻ではないか。そこには‘家族’そのものの在り方や意義という、儒教思想をもとに培われてきた社会全体に対する反動が隠されているかも知れない。
映画「高速道路家族」は、メガホンをとったイ・サンムン監督にとって初の長編映画作品である。アジアで新人監督の登竜門ともいえる釜山国際映画祭(2022)で「『パラサイト 半地下の家族』に次ぐ大傑作!」「ユーモア、サスペンス、アクション…映画のすべてが詰まった傑作」と称賛され、見事なデビューとなった。ストーリーは、仲良くヒッチハイク?をしている家族の様子で始まる。実はギウ(チョン・イル)ジスク(キム・スルギ)夫婦と幼い姉弟の4人家族は、高速道路のサービスエリアを渡り歩きながらのあてもないテント暮らしをしている。身づくろいは駐車場のトイレで、食事代は見知らぬドライバーに、財布を忘れたと嘘を言い2万ウォンを借りて?済ませる生活。ジスクは母親として、子供の将来への不安を感じながらも、ささやかな今の家族の絆だけを思い生きていた。しかし、ある日別のサービスエリアでお金を借りたヨンソン(ラ・ミラン)と再遭遇し警察に通報されてしまう。ギウは逮捕され、行き場を失った母子3人をヨンソンは連れて帰り、面倒を見る。我が子を亡くしたヨンソンにも、埋められない心の穴があったのだ。しかし、不思議な縁からの新しい家族を得た彼女らの前に、留置所を抜け出したギウが現れる・・・。大胆な家族の設定と人間像、そして後半は進むほど一気にサスペンス調に変わっていく展開に最後まで目が離せない。
韓国はいま少子化どころか、結婚さえ選択しない若者が急上している。つまり自ら求める‘家族’の必要性、意味自体が問われているのかも知れない。一方、映画やドラマの世界では夫婦、親子の絆をテーマにしたものが未だ多い。そこでは主人公や登場人物たちが、家族を守り、愛情を取り戻すために自らを犠牲に命懸けで奮闘する。時に方法や手段は、無謀で非合法的で、周囲の人々や第三者を傷つけることも厭わない。‘家族’同様必ず取り上げられる‘社会悪や権力者の不条理’に立ち向かう弱者側のヒーロ―の活躍がそうであるように、現実には困難であるからこそ観客はカタルシスを感じる。家族の絆や愛情も、映画やドラマ内だけで描かれるメルヘンの世界にならないかとちょっぴり不安に駆られた。
ソウルの正宮である景福宮(キョンボククン)の南門、光化門一帯は、朝鮮時代以後、歴史と政治の心臓部の役割を担ってきた。この場所に2009年にオープンした光化門広場には、韓国人が最も尊敬する二人の人物の銅像がある。世宗(セジョン)大王と李舜臣(イ・スンシン)将軍である。1418年朝鮮王朝4代国王に即位した世宗は、様々な学問に対する博識と分析力に秀でた人物で、ハングル文字の発明をはじめ、民衆の生活に役立つ発明をし、
韓国の歴史上もっとも優れた君主として1万ウォン札に肖像が描かれている。光化門も「王の大きな徳が国を照らす」という意味である。一方、李舜臣将軍は、豊臣秀吉による朝鮮侵攻(壬辰倭乱、文禄 慶長の役)で20万近い圧倒的な日本軍勢に対し、劣勢の朝鮮海軍を率いて多くの海戦に勝利した救国の英雄だ。しかし、韓国ギャラップ調査でも常に歴史上の尊敬する人物トップの李舜臣将軍と次点の世宗大王を比べると、前者は輝かしい戦歴や武功伝承と同時に、苦悩と悲劇性が伴い、そこがまた韓国人の恨(ハン)の心を揺さぶらずには居られない存在である。実際、李舜臣の生涯は決して華やかで、英雄としての待遇で彩られたものではなかった。豊臣秀吉の明国制圧の野望のもと、1592年に釜山に上陸した小西行長をはじめとする軍勢は瞬く間に釜山鎮を陥落させ破竹の勢いで北上、半月余りで首都漢城(ソウル)に占領する。朝鮮国王もやむを得ず、都を捨て平壌からさらに北に向けて避難する。朝鮮の命運も尽きようとしたその時から、李舜臣の戦いは始まる。友人で朝廷の中心人物でもある柳成龍の推挙で、47歳で全羅左道(チョンラジャド)海岸防衛の長官・全羅左水使に7階級特進で任命された彼は、釜山の東南、巨済島(コジェド)玉浦(オクポ)に停泊していた藤堂高虎が率いる日本水軍に奇襲をかけ、二六隻の船を喪失させ朝鮮軍の初勝利を挙げる。此の後6年、途中同僚の元均に陥れで獄に繋がれ、白衣従軍(一兵卒として従軍)として過ごした時期も経て、再び最高司令官・三道水軍統制使に復帰し最期の戦いとなる露梁海戦に臨み、敵の銃弾を受け亡くなるまで朝鮮軍の海の城壁であり続けた。
今回紹介する映画「ハンサンー龍の出現」は、初戦の玉浦海戦からおよそ2か月後、日本水軍脇坂安治との巨済島先 閑山(ハンサン)島沖での海戦を描いた作品である。この映画は、キム・ハンミン監督自らが企画した‘李舜臣の海戦 三部作’の一作目で、韓国で1700万人動員と記録的ヒットになった前作「バトルオーシャン 海上決戦」(2014)に続く第二部である。前作は戦乱末期1597年の鳴梁(ミョンリャン)海戦を描き、この時50代の老獪で貫録を備えるも、長い戦乱と同僚の裏切りからか、苦悩と疲弊がみえる将軍を名優チェ・ミンシクが演じた。今回は遡ってその5年前、任官し数カ月、指揮官としての経験は十分ではないが、思慮深さと胆力を兼ね備えた壮年期の李舜臣を、今最も注目の俳優パク・ヘイルが演じている。その他、李舜臣最大に好敵手として登場する脇坂安治役のピョンヨハン、己の命を犠牲に日本軍をおびき寄せる囮を志願するオ・ヨンダム老将役のアン・ソンギなど、いつもながら適材適所の俳優陣の演技には瞠目する。そして、何より歴史的な一戦でありながら、正確な資料の乏しい「閑山(ハンサン)島海戦」を入念に検証し、最先端のVFXとアニメーション技術で、圧巻の「海で撮影しない初めての海戦映画」として完成した。
6年にも及ぶ戦乱中、映画でも登場する ‘降倭’と呼ばれた投降日本兵も数多くいた。として記録に残り、後に朝鮮王に認められ金忠善(キム・チュンソン)の名と官位を授かった‘沙耶可’もその一人だ。彼らの子孫は今も半島で生きている。一方、司馬遼太郎の短編「故郷忘じがたく候」の主人公 薩摩焼第14代陳寿管のように日本に連行され、先祖の血と技術を受け継ぎながら生きる人々も。戦った武人以上に多くの人生に影響を与えた侵略であった。
韓国近代歌謡の歴史を遡ると、1930年代から日本による統治時代に入った演歌の影響を受けた「トロット」と呼ばれるメロディーラインが庶民の間で広く親しまれた。そして大戦終結による独立、また朝鮮戦争(六・二五戦争、韓国戦争)を経て、在韓米軍の社交場で演奏したポップスやシャンソンなども登場し、民放放送開局(1962)とともに数々のヒット曲も生まれる。そのような時節、南珍(ナム・ジン)による「カスマプゲ」が大ヒットし、後に国民的歌手となる羅勲児(ナ・フナ)もデビューした1967年、鄭薫姫(チョン・フンヒ)が謡う「アンゲ(霧)」という曲が世に出た。彼女の澄んだ歌声と、霧の中去った恋人を想う歌詞、甘く哀しいメロディーは、すぐに多くの人々の心に響く。今聞いても懐メロと呼ぶ古臭さは全く感じず、カラオケでも広い世代で愛唱される曲の一つである。そして、今回紹介する映画「別れる決心」は、この曲から生まれた作品である。
パク・チャヌク監督がドラマ制作の仕事でロンドン滞在中、韓国への恋しさからいろいろな曲をネットで探し聞く中、チョン・ウンヒの「アンゲ(霧)」から忘れていた若い頃の感情、様々な想いが沸き、この思いをいつか映画で表現しようと考えたとインタビューで話している。打算や欲ではなく、純粋に誰かを愛し、やがて別れる悲しみを描いただけに、カンヌ国際映画賞でグランプリに輝いた「オールドボーイ」(03)を始めとする復習三部作や、「お嬢さん」(16)などの代表作と異なり過激な暴力や描写を極力抑えた作品となった。
ストーリーは、岩山に登頂した60代の男が転落死した事件を発端とする。捜査を指揮するのは、不眠症であることを言い訳に、昼夜を問わず仕事に没頭する真面目で礼儀正しい刑事チャン・ヘジュン(パク・ヘイル)、一方妻からは「殺人事件が起きたら嬉しい?」と皮肉られている。亡くなった男の若く美しい妻ソン・ソレ(タン・ウェイ)は、中国出身で韓国語はまだ苦手、事情聴取でも多少の行き違いや齟齬はあるが、へジュンはそれ以上に彼女から何かを感じ取る。ヘジュンはソレの監視を開始し、取調室では事件について語り合う中で、容疑者に対する別の感情を抱き始め、ソレもまた彼の想いに気づく。事件はやがて思わぬ展開を向かえていくのだが、葛藤の中でお互いにある決心をする。
この映画はカンヌ国際映画祭で監督賞の受賞をはじめとして、アカデミー賞 国際長編映画部門、ゴールデン・グローブ 作品賞 非英語部門など数々でノミネートされている。前述したように今までのパク・チャヌク作品に比べると、動的な激しさや表現は控えめだ。それは監督が意図した主人公と‘穏やかで、清廉で、礼儀正しく、親切な刑事’と、悲運な過去と現実の中でも、強いプライドと意志を持ち生き抜いてきた異国人という二人が出会いによる眼に見えない心の化学反応という形で魅せたかったではないか。理性で抑え込もうとするほど内部の圧力は高まり、遂にヘジュンは「(私は)完全に崩壊しました。」と呟く。彼を翻弄し、利用しているように振る舞うソレの「あなたの未解決事件になりたい。」という台詞の裏にも自分でも理解できない感情が隠されている。
ジャンルで言えばミステリーロマンスと表現できる本作だが、最大の謎は二人の愛の選択と結末であろう。哲学者ニーチェの言葉、「愛からなされるものは常に善悪の判断の向こうにある。」が思い浮かんだ。パク・チャヌク監督曰く「大人に語りかける、繊細さとエレガンスとユーモア をもった喪失の物語」の映画である。
末筆ながら、2023年を迎え最初の映画を紹介しながら、ここ数年にわたるコロナ禍や世界に漂う様々な‘霧(アンゲ)’が今年こそすっきり晴れてくれることを心より願うばかりである。
2020年1月30日、世界保健機構(WHO)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への国際的な公衆衛生上の緊急事態宣言されて間もなく3年になるが、今後もウイルスが完全に消滅し、感染者もゼロになることもないだろう。それでもワクチン接種、治療法の確立、そしてウイルス感染に対する社会全体の理解が進んだことで、ようやくコロナ前の生活を取り戻そうとした最中、韓国の梨泰院において多くの若者が犠牲になる惨事が起きた。このような事態を防げなかった理由として、群衆を整理する警備不足や道路整備の不備が問題とされるのは当然だ。一方、コロナ禍で抑圧された若者たちのエネルギーが、数年ぶりに捌け口を求め通年の数倍の群衆が一気に集中したと考えると、目に見えないウイルスが人間の心理や行動に及ぼした悲劇とも言えないか。
ウイルスは細胞構造を持たなく、消化、呼吸、光合成といった代謝活動もしない。一方、RNAやDNAなどの遺伝情報を持ち、他の細胞に侵入してコピー体を作って活発に増殖するが、一定の条件下では塩のように結晶化もする。まさに生物と無生物の境界線にある不思議な存在だ。そんなウイルスは太古より共存しながら、人や動植物に感染し疾病も起こす厄介者だが、同時に遺伝子変化を助けることで生き物や人類の進化にも寄与してきた。今回紹介するのは、テロを目的に一人の科学者の手によって飛行機内に持ち込まれた最恐のウイルスが引き起こすパニックを題材に、そんな最悪の事態で当事者や、周囲の人間たちは何を考え、どう立ち向かうべきかをテーマにした作品である。
この映画の題名「非常宣言」とは、「飛行機が危機に直面し、パイロットが通常の飛行が困難と判断し不時着を要請すること」で、この宣言により航空機に着陸優先権が認められ、同時にいかなる命令も排除できる,いわゆる航空運航における戒厳令を意味する。ストーリーは、過去の航空事故のトラウマで操縦できなくなった元パイロットのパク・ジェヒョク(イ・ビョンホン)が娘と共にハワイへ向かう場面から始まる。この父娘との些細な口論から同じ便に乗り込んだ元製薬会社研究員リュ・ジンソク(イム・シワン)。彼は体内に自ら強毒変異させたウイルスカブセルを埋め込んでいた。ベテラン刑事ク・イノ(ソン・ガンホ)は、ジンソクがバイオテロを企てている可能性に気づき、テロを阻止すべく必死の努力をする。実は同便には偶然ク刑事の妻も搭乗していた。ウイルスにより次々と犠牲者が発生する中、テロの知らせを受けた国土交通大臣のキム・スッキ(チョン・ドヨン)は、緊急着陸のために国内外に交渉を開始するが、感染拡大を恐れ外国政府はどこも自国への着陸を拒否される。燃料は底をつき、ついにはパイロットまで発症し操縦困難の事態を直面していく。
ソン・ガンホとイ・ビョンホンの初共演は、非武装地帯での南北の兵士の許されざる交流と友情、そして悲劇を描いたパク・チャヌ監督の「JSA 共同警備区域(2000)」であり、私が韓国映画の秀逸さ、完成度の高さに気づかされた作品の一つでもあった。今では世界的なスターとなった二人に加え、チョン・ドヨン他、現時点でトップクラスの俳優が一同に集まったことも大きな話題になった。「一度に7本の映画を撮っているよう。」と誇らしげに語ったハン・ジェリム監督だが、そんな豪華なキャスティングを可能にしたのは、「優雅な世界(2005)」「観相師(2013)」「ザ・キング(2017)」など数々の作品で高い評価を受けたハン監督に対する映画界の期待度と信頼の厚さがあってこそだろう。
ウイルスは、増殖し続けるため様々な変異を繰り返す。それはまるで自ら意志や知能を持った集団のようだ。皮肉な見方をすれば、地球から見ると人間も環境を破壊しながら増加する点で似たような存在かも知れない。ただ映画のラストで監督が描きたかったのは、弱い存在であっても人間が人間であるための尊厳と希望ではなかったか。
今やエンターテインメントの世界では、一つのジャンルとして確立した韓流コンテンツ。ネットによる動画配信サービスの拡大に伴い、ドラマ分野でも世界的な評価を受ける作品も登場してきた。記憶に新しいところで大ブーム巻き起こした「イカゲーム」は、今年度米国エミー賞6部門での受賞が伝えらたが、そもそも非英語圏のドラマがノミネートされる事自体が初である。社会現象まで起こした「イカゲーム」のような爆発的なインパクトはないが、この夏に配信され、韓国は勿論、世界各国で話題のドラマがある。天才的な記憶力と思考力を持つ自閉症スペクトラム症の新米弁護士の成長を描いたヒューマンコメディー「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」だ。
「自閉症」という言葉はよく耳にしても「自閉症スペクトラム症」は余り聞きなれない表現だろう。‘スペクトラム’とは分光器で光を波長ごとに分解し並べたものを差すが、この場合、色の濃淡がグラデーションで変化していく帯をイメージして欲しい。精神医学で定義する「自閉症スペクトラム症」も症状の軽いものから重い(明確な)ものまで、一連の流れを集合体として捉えた意味として、そこに属する病名である。この枠組みで、さらに個々の患者によって症状の程度、パターン、知的レベルや言語能力などの特徴が異なることを考慮し細かく分類、診断する。その中には映画「レインマン」の主人公のような「アスペルガー障害」「サヴァン症候群」と呼ばれ、得意の分野で天才性を示す人々も存在する。基本的に「自閉症スペクトラム症」の患者の特徴として、「社会的コミュニケーションの障害、対人的情緒関係の欠如」や「限定された興味」などから相手を理解し、人間関係を維持、発展させることが困難とされる。
ドラマの主人公ウ・ヨンウ弁護士も、ソウル大学法学部、法学大学院を首席で卒業し、司法試験もほぼ満点で合格する能力の持ち主である反面、相手の気持ちを察し理解することが苦手、笑う、怒る、悲しむなどの表現も頭で記憶し練習しないと難しい。また、食事も正確に並べられたキムパプ(韓国海苔巻き)しか食べられず、音や新しい空間(部屋やエレベーター)に対する過敏性、イルカやクジラへの異常な執着や興味など「自閉症スペクトラム症」の診断基準に適合する女性である。しかし彼女は、シングルファザーである父親の献身的で深い愛情のもと、障害を持ちながらも純粋な心と才能を開花、超一流の法律事務所でキャリアをスタートする(実はこれも訳ありだが・・・)。物語は毎回、ウ・ヨンウ弁護士(パク・ウンビン)が担当する裁判をめぐって、彼女をできる限り理解し、サポートするシニア弁護士チョン・ミソク(カン・ギヨン)、や友人のチェ弁護士、そしてお互いが強く惹かれ合っていく事務のイ・ジュノ(カン・テオ)、更にはヨンウの待遇や能力に嫉妬し貶めようと謀るクォン弁護士たちを中心に展開していく。案件も夫婦のDV、宗教法人の観光収入権利、過度な受験教育、知的障碍者の性被害、地方開発、兄弟間の相続権そして、主人公とは全く異なり家庭内に引き籠り社会活動が困難な自閉症スペクトラム症患者の障害事件など様々な社旗問題を扱う。裁判の行方は、ウ・ヨンウ弁護士の天才的閃きで暫し解決の糸口が見出されるのだが、必ずしもハッピーエンドではない。だが、それが彼女自身の人間的成長に重要であることをドラマが進むごとに視聴者は追従することになる。
弱者と強者、少数派と多数派という社会における恒久的テーマが韓国でも存在する。脚本を書いた82年生まれの女性作家ムン・ジウォンは「ウ・ヨンウは周囲が配慮と譲障害を持つ弱者であるが、同時にいくら努力しても追いつけない強者でもある。そして周囲の人物は複雑だ。それゆえ作家自身の考えを伝えるのでなく、伝えないように警戒する。」この言葉に秀悦な脚本と台詞が生まれた理由が少し垣間みえる。
第二次大戦以降、多くの国が取り入れてきた議会性民主主義。しかし、この制度が正しく機能する為には、国民が誰でも自由で公正に参加できる選挙の実地が前提である。しかし現実には、途上国や独裁国家において不正選挙の報道も多く、また日本、米国、フランスなどの先進国でも、国民の無関心から投票率の低迷が問題となっている。韓国は、「3人集まれば政治の話題(批判?)」と言われる程に政治への関心度は高く、それは投票率にも反映されている。特に社会の中心にいる5~60代は、韓国の民主化は自分らの学生運動を発端に成し遂げたとする自負心も強い。さらに朝鮮半島の歴史を顧みると、国民が監視の目を緩めれば、再び権力者や外部勢力に利用されてしまう不安や不信が潜在的にかも知れない。
今回紹介する作品は、1961年のクーデターからスタートした朴正煕元大統領による軍事政権時代、最大のライバルであり、後に15代大統領となる金大中氏初期の選挙参謀として暗躍した実在の人物’ 厳昌録(オム·チャンノク)‘をモチーフに描いた物語である。彼は、「国民自らの手による民主主義社会実現」という理念を掲げ立候補するも落選続きであった金大中候補に自ら志願し、無償での参謀役を申し出る。選挙運動を指揮した厳昌録は、資金力と権力側のサポートを受け圧倒的に優位な与党支持者に対抗すべく、あらゆる心理戦、手練手管を駆使する。いつしか彼は「マタドール(最後にとどめを刺す闘牛士)の鬼才」「選挙戦の狐」の別名が着けられるも、いつしか人々の記憶からも政治史からも忘れ去られていった。
映画「KING MAKER キングメーカー 大統領を作った男」の制作は、第70回カンヌ国際映画際ミッドナイトスクリーニング招待作「野良犬の輪舞(2017)」でその才能を世界に知らしめたビョン・ソンヒョン監督。真の民主主義国家を実現し、独裁下にある人々の希望の光となるべく奮闘する政治家キム・ウンボム役に名優ソル・ギョング。「光が強く輝くほど影はより暗くなる」自身の理想と現実に疑問を感じながらも、同じ目標のために進む選択であると信じて、勝利のための戦略を駆使する天才選挙参謀ソ・チャンテを演じるのはイ・ソンギュン。彼は韓国芸術総合大学演劇科1期生出身で俳優としてスタートし、様々な人気ドラマ、映画に出演し人気を博し、アカデミー賞受賞作「パラサイト 半地下の家族」のエリート社長として参加することで国際的にも知名度と実力を認められた。当然のごとく第58回百想芸術大賞では、監督賞、最優秀男性演技賞/男性助演賞を独占するが、主演二人以外にもユ・ジェミョン、チョ・ウジンをはじめとするバイプレーヤ―達の演技、60~70年代の選挙戦を表現する演出、カメラワークも傑出した今年度有数の作品である。
監督がこの映画を観る人々に投げかけたテーマは、政治における目的と手段、理想と現実に対する問いである。キム・ウンボム議員は、冒頭ソ・チャンテと出会う場面で「正義こそ社会の秩序だ」とアリストテレスの言葉を挙げるのに対しソ・チャンテは「正しい目的のためなら手段と方法を選ばない」と師匠プラトンの言葉で反論する。選挙結果で存在価値を証明し、いつかは表舞台で活躍することを夢見るソ・チャンテにキム議員は何度も確認する「(
自ら出馬する)準備は出来たか?」彼の選挙戦術、人心掌握の優秀性は認めながら「どうやって勝つかより、なぜ勝たなければいけないか」が重要であると。牧師、宗教学者、哲学者であったジェームズフリーマンクラーク(1810~1888)が述べた言葉がある。「政治屋は次の選挙を考え、政治家は次の世代を考える」。選挙は勝ってこそ議員つまり政治家と呼ばれるが、目的や理念を忘れたものは選挙屋に過ぎないということだ。「政治において、ふさわしい人に投票すると誰もが思う。しかしときに見た目や、単に雄弁な者に投票してしまう(プラトン)」こちらは選ぶ側の責任かも知れない。
スポーツを通じ、世界中が人種や国境を越え一つになる’平和の祭典’とのスローガンで開催されてきたオリンピック。しかし、近年はその意味に疑問を抱く人も多く、オリンピック候補地として積極的に手を挙げる国も減少していると聞く。だが、80年代の韓国で過ごし当時の雰囲気を知る一人として、東京オリンピックに24年遅れたとは言え、1988年にソウルでオリンピックを開催に対する国民のある種の達成感、高揚感とは確実に存在した。そしてまた、軍事独裁から民主化へと向かう歩みと共に、年平均9%以上の高度経済成長を遂げ、新興国が世界に名を知らしめる機会との期待もあった。それ以前は、隣国の日本でさえ、ソウルが韓国と北朝鮮のどちらにあるかを知らない人も少なくなかったと記憶している。今回紹介する映画は、ソウルオリンピックから3年後に起きた実話を基に制作された作品である。国際的なイベントを成功させた韓国ではあったが、未だ国連には加入できずにいたと言う事実を改めて思い知る。勿論、これは国力や知名度の為ではなく、韓国、北朝鮮の停戦状態であり、各々両国を支持するアメリカ、西側諸国とソ連中国の対立が大きな要因であった。作品内で繰り広げられる韓国、北朝鮮の外交官たちによる、既に国連に加盟していたアフリカ諸国への支持取り合戦は、まさに冷戦時代当時の状況をあらわす縮図である。
このような時代背景下、当時ソマリア駐在のカン・シンソン韓国大使(映画ではハン‣シンソン大使)の体験手記から、外交官家族と一行に起きた実際の出来事をシナリオに作品化された映画が「モガディシュ 脱出までの14日間」である。舞台は1991年、ソウル五輪の成功の勢いに乗って、韓国政府は国連への加盟を目指し多数の投票権を持つアフリカ諸国の一つ、ソマリアでロビー活動に励んでいた。ソマリアの首都モガディシュで韓国大使を務めるハン・シンソク(キム・ユンソク)は、現地政府の上層部に何とか取り入ろうとロビー活動に励む。一方、すでに韓国より20年以上早くアフリカ諸国との外交を始めていた北朝鮮のリム・ヨンス大使(ホ・ジュノ)も国連加盟のために奔走し、両国間で妨害工作や情報操作は活動が行われていた。そんな最中、ソマリアの現政権に不満を持つ反乱軍による内戦が激化。暴徒化した群衆に大使館を追われた北朝鮮のリム大使は、本来絶対に相容れないライバルである韓国大使館に助けを求める決意をした。韓国のCIAと言われた安全企画部出身のカン・テジン参事官は、北朝鮮外交団を亡命させて己の手柄にしたい含意から受け入れに賛同する。お互いの様々な思惑が交差しながら、南北の外交官一行の命がけの脱出劇が展開されていく。
「生き残るための3つの取引」「ベルリンファイル」「ベテラン」など数々のサスペンスやアクション映画で韓国は勿論、海外でも高い評価を受けたリュ・シオン監督により、本作は内戦で孤立した人々の恐怖や緊張感をリアリティー溢れる物語として完成した。制作当時、渡航禁止となっていたソマリアに対して、入念な資料調査や取材、聞き取りを行い、ソマリア首都モガディシュの雰囲気を出来る限りモロッコの都市エッサウィラに再現、100%オールロケで撮影に臨んだ。結果的に2021年度韓国映画No1ヒットとなり、様々な映画賞を獲得、94回アカデミー賞国際長編映画部門の韓国代表作品にも選ばれる。
この映画を観てすぐ頭に浮かんだのが、昨年8月米軍のアフガニスタン撤退に伴うアフガンの状況だ。タリバンの監視や威嚇のなか、韓国大使館職員の退避に加え、現地の協力者や家族400名余りの救出が必要であった。この作戦は韓国軍が指揮し、「ミラクル作戦」と命名される程困難であった。韓国に到着した彼らと大使館職員が抱き合って喜ぶ映像を思いだす。リュ・シオン監督がこの映画に込めたかったメッセージは何かと聞かれ「果たして戦争と理念は誰のためにあるのか」と答えている。
6年前に訪れたポーランドの記憶と言えば、到着したワルシャワ・ショパン空港でハングル文字の標識を眼にした時の親近感以外は、何となく心に霧がかかっていたようで曖昧である。思うに、後に訪問したアウシュヴィッツ強制収容所と、その時のどんよりした空のイメージがあまりに強すぎたか為かも知れない。第二次世界大戦下、この地で主にユダヤ人を標的に、ナチスの優生思想により劣った民族と判断された百数十万がここで殺害された。ナチスドイツの占領下であったとは言え、ポーランドの人々にとって、この地は消えることのないある種に懺悔の念を抱かせる存在ではないか。そして、私にとって今回紹介するドキュメンタリーを理解する一助ともなった。
映画「ポーランドへ行った子供たち」は、1950年代、北朝鮮から秘密裏にポーランドへ送られた韓国戦争(六二五戦争、朝鮮戦争)孤児たちの知られざる歴史に焦点を当てたドキュメンタリー作品である。監督は、ホン・サンス監督の「気まぐれな唇」などで女優としても活躍してきたチュ・サンミ。当初より演出のも関心を持っていた彼女は、数年目より本格的に映画監督を目指して大学院で学び、今回が初の長編映画となった。本作品は2018年韓国で上映され、ドキュメンタリーとしては5万人以上を動員するヒットとなり、国内外の映画祭でも高い評価を受けた。作品制作のきっかけは、チュ・サンミ監督が産後鬱を患ったことで、子供への過度の愛情と不安の間で揺れていた時、偶然北朝鮮の孤児たちの映像を眼にしたことから始まる。1950年代、自国も厳しい情勢下に異国の孤児たちを我が子のように育て面倒をみるポーランド人教師たちと、彼らを「ママ」「パパ」と慕う朝鮮の子どもたち。チェ監督は、孤児たちの‘心の傷’と、そんな彼らを真摯に受け入れて面倒をみるポーランド教師たちの愛情の意味を知りたいと願う。その為に、監督は北朝鮮の戦争孤児をテーマに制作予定の劇映画のキャスティングオーディションで出会った脱北者の大学生イ・ソンを連れてポーランドを訪問し、いまだに子どもたちを懐かしく想い、当時を思い出しては涙を流す教師たちと出会い話を聞く。
1950~53年に朝鮮半島で起きた戦争により10万人以上が孤児になったとされる。そして北朝鮮では孤児たちの一部が、当時共産圏であった東欧諸国に送られ現地の孤児院で教育受けた。しかし、その目的や詳細は謎のままである。本作品内でも登場するが、この事実に関してはポーランド人ジャーナリストのJolanta Krysowata氏により最初に取り上げられ、ドキュメンタリー映画「Kim Ki Dok」として2006年に発表された。北朝鮮の要請に応じて東欧各国に送られた孤児は総6000人余り、ポーランドはそのうち1500人ほどを静かな森に囲まれた村プワコビツェ(Plakowice)に受け入れた。第二次大戦で大きく破壊され、国全体が貧しい生活を強いられる中、外国人の受け入れが反感を買わないように孤児院はできるだけ人目に触れさせない意図であったらしい。(コリア・ヘラルド)
孤児たちに同行した北朝鮮の監督者は思想教育への妨げになると「愛情と甘いもの」を与えない事をポーランド教師に要求する。しかし、彼らは愛情を十二分に注いで育て面倒を見た。チュ・サンミ監督はその理由を知りたいと切実に想い旅と取材を続け、ある結論に達する。紛争や戦争は過去から現在まで、ウクライナも含め世界中で絶えることない戦禍。国の指導者や権力者は戦闘や戦果に関しては多くを語るが、最も弱い立場にある人間は忘れ去られ、記録にも残らない。監督が幾度か口にする「傷の連帯」という言葉の中に、彼女がこの映画で訴えたかった本質と、映像の中に登場する人々の涙の意味が刻まれている。