人類と宇宙
地上から400キロ上空に位置する国際宇宙ステーション(ISS)の一部である日本の実験棟 ‘きぼう’が完成しました。レーガン元大統領が「宇宙で人間がが住める基地を作る。」と1984年に発案し、世界15カ国が参加して計画はスタートしました。当初は10年で完成の予定でしたが、予算や様々な問題から25年目にして、ようやくゴールが見えてきた状況です。日本の実験棟‘きぼう’だけで過去20年間に6000億以上の開発費がかかっていますし、今後も維持費を含め年間400億以上必要とされます。つまり、宇宙開発というものが技術力と共に、国の経済力を示す、指標でもあるというのは事実でしょう。
残念ながら韓国はこの開発には参加していませんが、今年6月に全羅南道羅老(ナロ)に初の国産衛生ロケットを発射する‘羅老宇宙センター’が竣工し、独自の宇宙センターを保有する13番目の国となりました。まさに韓国宇宙開発元年と言ってよい一歩であるでしょう。こちらでも、衛生ロケットの開発費、宇宙センターの建設費に1兆ウォン近い費用がかかっているといわれますが、衛星成功のあかつきには、宇宙需要の経済的波及効果は3兆ウォン以上と期待しています。
しかし、一方このような莫大な時間とお金をかけた世界的な宇宙開発の動きに対して、その費用対効果を考え、全くの浪費に過ぎず、無駄であると考える人たちがいるのも事実です。40年前にアポロ計画のもと、アポロ11号が始めて月面に立ち、その後5回、月に宇宙飛行士を送ったのが最後になったのも、それだけの費用と危険をおかして、人間を送る意味がなく、無人探索気で十分だと考えたからでしょう。そして、宇宙開発にかけた情熱、時間、費用を、世界の食糧、環境、貧困問題にあてればどれだけの人々が救われるだろうと考えるのも当然でしょう。
半面 今は無駄と思われることに、‘きぼう’を持って投資できる力が 所謂 国力、文明力なのかとも感じます。小学生のとき、「宇宙の果てはどうなっているのだろうか?」 一人考えて眠れなかった夜を思い出します。今 宇宙開発に関わっている技術者、科学者たちはそんな大きな子供の集団なのでしょう。