美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

韓国の葬儀

2011-06-02 12:01:55 | Weblog

 

先日、親戚の不幸の知らせを受け、急遽 家内と共に、羽田より韓国へ向かいました。まだ30代前半で、つい数か月前には電話で、家族と日本に遊びに来ると、話をしていた矢先の出来事で、信じられない思いでした。空港より大邱行の深夜高速バスに乗り、遺体の安置されている病院を目指しました。私の手持ちのカバンには、ディズニーの人形が入っていました。もし震災がなければ、日本に来て、楽しみにしていたディズニーランドにも、親戚の幼い子供たちを連れて行けたかと思うと、そして、その事が、今回の事故とは関係ないにしろ、運命の歯車が変わっていたかもしれないと考えると、遣りきれません。

人は悲しく、辛い出来事に対峙した時、どのような反応をするのか、或いはするのが自然なのか、韓国の葬儀に身内の一人として出席して、あらためて考えました。韓国では、喪主や、縁者は、その悲しみを表現するように、慟哭し、周囲に支えられなければ立っていられないほど、激しく悲哀のエネルギーを放出します。そしてしばしば、意識を失い運ばれることも珍しくありません。そして、周囲の人も、その様子から、悲しみの深さを共感し、また故人を偲び、哀悼の気持ちを深くするのです。葬儀で雇われ「アイゴー、アイゴー」と連呼することで、葬儀の場を盛り上げる‘哭き女’という職業も存在し、形式や習慣と言った面もありますが、感情を前面に表現することが、当たり前の文化だと言えます。そのような韓国人の目で見ると、日本人の遺族が、その悲しみを懸命に堪え、時には、

周囲の人々にその死に関連し、むしろ身内の不幸で他人に掛けた‘迷惑’を謝罪までする姿は、驚嘆すべき精神力、忍耐心として映る反面、若干奇異にも見えるかもしれません。感情を露わにすることを‘恥’として、他人に迷惑を掛けないことを最大の道徳としてきたのが日本人の価値観でした。

大切な人を喪失した内面の悲しみは、民族、人種、国籍を問わず共通であるはずですが、外面上の表情は、その社会、文化、習慣によって異なるものです。韓国へ行った人々が、口をそろえて言う解放感は、悲しいときは全身で悲しみ、楽しいときは全身で笑う、そんな人々の姿が新鮮に感じるのかも知れません。

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