以前、このコラムで触れたことがありますが。韓国で母親と息子の関係には特別なものがあります。日本でマザコンの男といえば、女性にとっては最も忌み嫌う男性像の一つかもしれませんが、韓国の男はある意味100%マザコンならぬ韓国式表現でいうところの‘ママボーイ’です。日本に比べて宗族を中心とした強い父系制である韓国社会では、歴史上、女性の社会、家系での地位は男に比べ低く、周囲から切望された男子を出産することで女性は初めて息子の母として家族の中で確固たる地位を得ます。それだけに女性も生まれてきた息子を溺愛し、すべての愛情を注がれた子供も母を天上無二の存在と考え、両者には特別な関係が形成されるわけです。儒教思想が緩み、男性優位の価値観は、昔ほどではないとはいえ、やはり少子化の中、母と息子の絆は今でも日本以上のものがあります。それに比べ、父親との関係は、日本でも韓国でも息子にとっては、少し距離のある違った存在かもしれません。
哺乳類の世界では、胎内での成長期間を終えて、新生児が生まれた瞬間から母子関係は誕生します。その後も母から乳をもらい、その胸の中で眠り保護され、子供にとっては母親こそが必要十分な存在で、ここに父親の介入する余地はありません。哺乳類の世界で父親という存在が意味を持ち出したのは、集団生活を営む霊長類からといわれています。守られ保護されるだけの幼児期を経て、オスのリーダーのもとで、他の集団から仲間を守る術や己の集団を維持するための決まりを教わることになります。まさにこのオスのリーダーの役割が父性であり、今の人類でいうところの‘父親’誕生とも考えられます。母性は子供を自分の中に包み込んで保護し守ろうとするのに対し、父性は子供を親、特に母親から分離独立させて、一人立ちできるように外から指導、教育する役割ともいえますから、成長期の子供にとっては若干疎ましい存在にならざるを得ないでしょう。
戦後の高度成長期から、男は仕事詰めで、子育ては母親の役割が当然という考えは日本も韓国も共通し、それを「父親不在の時代」と呼ぶ人もいました。それでも私を含め当時の子供にとっては、その無言の背中を見て、時には反発し、大人になるのに越えなければならない存在と感じたものです。先日 父が他界し、果たして自分の背中は次の世代に何を語れるか改めて考えました。