一昔前の不良学生(通称‘ツッパリ’)のトレードマークといえば、リーゼントスタイルの髪型に、わざと上着丈を長くし、ズボンはダボダボと特別に誂えた詰襟制服、所謂「学ラン」です。学ランという言葉の由来は諸説がありますが、江戸幕府の鎖国政策の中で、唯一交易がわずかにあった阿蘭陀(オランダ)が西洋を意味したため、西洋の学問は蘭学、西洋人の着ているものは蘭服、それで学生用の蘭服ということで学蘭(学ラン)となったというのが有力です。詰襟式の学ランは。明治期に軍の士官服をモデルに学習院で導入されたのが最初とされます。その後帝大(東京大学)でも採用され、当時はエリートの象徴でもありました。
韓国の中高でも80年代以前は、男子は詰襟の制服を使用しましたが、1984年全斗愌大統領の時、日本の植民地政策の名残として廃止され、今はブレザー型の制服に代わっています。詰襟制服の廃止後、一時制服自体なくした時期がありましたが、長く続きませんでした。制服の必要性に関しては、暫し学生のディベートの題材に取り上げられ、学生の自主性や自由を訴える反対派と規律や協調性、さらにあれこれ着る服に迷う必要がないという利便性を主張する賛成派の間で白熱した意見が行き交いますが、いまだ大多数の学校が採用しているには理由があるようです。ただ、中学から高校へと進むに従い、徐々に詰襟は減少しているのは、やはり軍服から生まれた学ランに対しては、成長と共に違和感を覚えてくるのではないでしょうか。
日本では女子生徒が卒業式に、憧れた先輩から制服の第二ボタンを譲り受けるという、どこか甘酸っぱい習慣がありますが、その由来としてこんな話があります。太平洋戦争当時、兄は出征し、兄嫁と大学生の弟が残されました。弟は後ろめたくも密かに兄嫁に恋心を抱くようになりますが、当然そんなことは口にも出せません。やがて弟も出征となったとき、死を覚悟した彼は、自分の心つまり胸に近い第二ボタンを兄嫁に残していったという事です。軍服から学ランが生まれたとしてもその逆は悲劇でしかありません。