美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

文学の力

2015-09-25 11:35:58 | Weblog

お笑いコンビ ピースの又吉さんが文芸誌デビュー作「花火」で見事芥川賞を受賞しました。 ご存じ芥川賞は、1935年より直木三十五賞とともに創設され、純文学分野の新人に対して与えられる文学賞として最も名誉あるものでしょう。今回の受賞は、お笑い芸人出身初の快挙というだけではなく、純文学作品としては受賞前から異例の60万部以上のベストセラー作品が芥川候補となり且つ受賞した珍しいケースです。報道によると既に120万部を超える勢いで、購入者も通常多くない10代、20代の若い世代に多く、長く出版不況に喘いでいた業界にとっては待ち望んでいた救世主と言えるかも知れません。

‘読書離れ’といえば、昨年行われた文化庁の調査によると、マンガや雑誌を除く1カ月の読書量は、「1、2冊」と回答したのが34・5%、「3、4冊」は10・9%、「5、6冊」は3・4%、「7冊以上」が3・6%だったのに対し、「一冊も読まない」との回答が最も多く、47・5%に上っています。3年前の調査に比べても「読まない」のポイントは増加しており、年代別では高齢者ほどその割合は高く、必ずしも若者だけの活字離れとは言えないようです。勿論、インターネットの普及とともに、読書数の減少は世界共通の傾向ではあります。韓国出版研究所の調査では、韓国人の一カ月平均読書量は1.5~1.8冊で日本と同様の結果で、やはり4人に一人は一冊も読まないと回答しています。ただ日本以上にネット依存度が高い韓国では今後さらに減少する可能性は高いだけに、国内の読者だけではなく海外でも広く読まれる本、作家の登場が出版社や文学を志す人にとっては切望されるところです。しかし出版の世界ではK-popや韓流ドラマが日本を発端に世界中に浸透したことに比べると真逆といってよい現状です。ここ数年、韓国で出版される日本の翻訳書が年間800冊以上なのに対し、日本で紹介される韓国の本は20冊程度です。この出版格差がそのまま両国の文学力の差を反映するものではありませんが、存在を知られなければ魅力が伝わるわけもありません。より遅れる前に韓国も文学の韓流普及にも目を向ける必要があるでしょう。

韓国で直木、芥川賞に該当する文学賞を挙げるなら、東仁文学賞や李箱文学賞でしょうか。先日読み始めた本は、2009年にこの李箱文学賞を受賞したキム・ヨンス氏の「世界の果て、彼女」(新しい韓国の文学シリーズ10、株式会社クオンCUON)です。あとがきで著者はこう書いています。「僕たちは多くの場合他者を誤解している。僕たちは努力しなければ互いを理解できない。そして他社の為に努力するという行為そのものが、人生を生きるに値ものにしてくれる。」

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刑罰と更生と

2015-09-25 11:34:37 | Weblog

昨年7月、長崎県 佐世保市で起きた高1女子生徒殺害事件の加害者少女に対し、長崎家裁は「第3種(旧・医療)少年院」送致とする保護処分を決定しました。家裁送致時、長崎地検側は「刑事処分が相当」との意見でしたが、最終的に裁判長は「少女の特性からは、刑罰による抑止は効果がなく、治療教育の実施が望ましい」と判断したものです。未成年者であるという以上に、今でも殺人欲求を持ち続けていると伝えられる加害者の精神的特殊性を加味した場合、通常の刑務所での拘留は症状を悪化させるだけかも知れません。刑罰としての意味も与えられず、反省や贖罪の気持ちも生まれない留置生活より、医療少年院での治療による更生の可能性に裁判所は賭けたのでしょう。一方、大切な命を奪われた被害者の家族にとっては、刑罰ではなく更生の為の治療という判断は、事件の内容や加害者の情報公開も一切制限されてしまい納得できるものとは言い難いでしょう。さらに医療少年院の収容期間が最長でも26歳未満までで、その後の社会復帰の問題も国全体の考える課題となります。

紀元前4世紀から3世紀初め遼河流域に存在したとされる古朝鮮には「八条禁法」が定められていました。これによると、人を殺した者は直ちに死刑に処し、人に傷害を加えた者は穀物で賠償しなければなりませんでした。また、他人のものを盗んだ者は奴隷にしたが、許しを請うためには50万銭を払うことになっています。この法律のおかげで、人民は泥棒の心配がいらず門を閉める必要もなく、すべての女性は貞節を守って、淫乱やひねくれたところがなかったと。禁法を通して古朝鮮の社会が一定の法律のもとに統治されていたと伝えられています。社会が存在し、人類が初めて社会という集団体制の中で法を定めたとき、罰は法を犯したものに対する懲らしめや報復でした。ハンムラビ法典や八条法禁も被害者や家族が直接‘かたき’を討てない時に国や社会が代わって刑罰を与えることで、民衆を納得させ秩序を維持させたわけです。やがて近代になり、刑罰の意味に加えて、矯正の意識が生まれてきます。特に人間的に未成熟と見做される未成年者に対しての少年法の理念はまさに更生手段としての考え方にあります。

韓国の少年犯出身の3人に2人は成人犯に発展するというデータがあります。韓国だけでなく、日本を含めた先進国が試行錯誤を繰り返しながらも少年法のあり方や更生プログラムに力を入れているのは、罰よりも矯正することが社会にとって最も効率的であると感じているからでしょう。しかし、仇討を禁じた以上、被害者とその家族に対しての精神的ケア―や補償システムも決しても社会全体で進めていかなければ片手落ちです。

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