アメリカ アトランタのコーヒーショップを訪れた韓国人客が、名前の変わりに「つり上がった目」を描いたカップを渡され、‘韓国人蔑視’と抗議した事が報道され、韓国で話題になりました。その少し前もニューヨークのピザ店で、店員が韓国人女性客に「つり目の女性(lady chinky eye)」と書かれたレシートを渡したことが波紋を呼んだこともあり、特にアメリカの韓国人社会で物議をかもしたようです。Chinkyとは割れ目、裂け目を意味する単語ですが、英米では中国人や中華料理店を指すやや侮蔑的な俗語として使われることもあるようです。当事者でない人間にとっては、軽率で思慮のない店員のした事で、そこまで大騒ぎすることはないとも考えがちですが、アメリカのような多民族国家に住む非白人種の人々が、平素様々な場面で感じる偏見や差別が表面化したものなのでしょう。
人間社会における‘不当な差別’の定義については、未だにいろいろな議論があり、はっきりしたものがないのが現状です。定義の一つに、「本人の特性・選択と関係ない事実や、個人の行動と無関係に作られた社会的集団に属している事などを理由に虐げ、不利益をあたえること。」といった表現がありますが、何か解りにくいですね。要は「選択・変更が困難な性質、つまり自分ではどうしようもない事柄を理由に否定的な区別をすること」と言えるでしょうか。アメリカでの出来事も、生来の人種的特長に対する容姿差別が、結局はその本質として人種差別と重なることが問題視されたものです。
韓国では外観や容貌の優越を、人の評価基準として重視する傾向は日本より明確です。それが今の化粧品やエステなどの美容産業、さらには美容整形などの発展を導いたとも考えられます。一方、差別という言葉は言い過ぎかもしれませんが、多くの人が就職や人間関係において、外見による待遇の差を感じる人が多く、またその人自身、見た目で相手を区別することに罪悪感を感じる人は少ないでしょう。人種差別が時に容姿差別と言う形で表面化されることを考えると、特に私のような美容外科を専門とする人間には些細な問題とは言えません。
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