経済という言葉は、古代中国の「経国(世)済民」、つまり「国を治め、民を救済する。」という政治政策的な意味からきているものです。これが明治時代になり、economyの訳語に使われるようになりました。そして、この[economy]という単語、ギリシャ語のoeconomiaに由来し、‘家を管理する方法’ひいては‘共同体の在り方’を意味し、やはり国や共同体でのルールや治め方を表す点では共通しています。つまり、本来経済とは、人が集団で生きていくために必要な仕組みを示すものであるはずですが、現代の経済学者や専門家が考えるところはかなり違うようです。物々交換や労力の代価として、モノを与える時代から、やがて貨幣によって財を蓄えることができる時代になっていきました。しかし働くにしろ、モノを生産するにしろ、何かしらの努力をすることでその代価を得るということは簡単に理解ができます。しかし、いつしか金融工学、経済工学という学問が誕生し、難解な数学やコンピューター分析を用いて、画面上で莫大なお金がやり取りされる今の状況は、私のような経済音痴には説明されてもなかなか納得し難いものです。
勿論、今世界を不安にしているヨーロッパの金融危機にしろ、遠く離れた日本や韓国まで、その影響を受けざるを得ないのは、原油などの価格や輸出入に直接影響を与えるからという点では当然かもしれませんが、やはりここにも投資家と言われるマネーゲームで莫大な富を操っている集団の存在も大きいのではないでしょうか。日本に追い付き追い越せと、盛んに他国との貿易協定を進めてきた韓国が、韓米FTA締結という段階になってから、韓国内で野党の反対を受け連日紛糾しています。これは実務的な交渉に入り漸く実際の内容が見えてきたからかも知れません。しかし、サムソンと現代という二大財閥がGDPのかなりの割合を占めるうえ、GDPの7割を輸出入である典型的な外需国である韓国は、最終的な活路はやはり外国との貿易ということで、リスクを覚悟しても出ていくでしょう。反面8割は内需による経済活動の日本では、PPTの内容が不透明な中、判断材料が不足しているのは間違いありません。
「国富論」のアダム・スミスは、市場原理として‘最小の労力で最大の利益を得ようとする人々の欲求が、神の力により社会の利益と調和をもたらす。(神の見えざる手)’と述べました。しかし、最小の労力もなく知力?のみで最大の利益を得ようとする人々の出現までは予想しなかったようです。
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