昨日は大きな出来事は起こらないで、無事に終わると思っていました。
母はいつもの如く朝から血圧が高くミオコールスプレーを使いました。
でも、その後も食欲がもどらず。
ヘルパーさんが9時30分にいらした時「籠もり熱があるわ」
37.3℃でした。
お昼前にKちゃんが貸してくれたパソコンに電源が入らないので来てくれました。
その時、ちょうど母は果物その他を食べ始めていました。
(11時15分〜11時50分)
いつもの🍎🍍🍌果物🍇🍏🍋
母が少し回復し落ち着いて横になっていましたので私は1時間半ほど瞑想したり、その後は公園に歩きに行ったりしました。
お天気は☀️晴れから☁曇りへ。
ご近所に建っている建物がコーポだとわかりました。
我が家のお花
⤵️頂き物
ゆずはお正月のおせち料理に使おうと思っていますが。。。
来年の丑年のチョコレート。
母は年女です。
夕方になってやっと母がお台所で食事をしました。
デザートにゼリーも食べましたがまたその後ベッドへ。
寝てしまってお薬が飲めなくなってはいけないので、早めに飲ませました。
母は水分を取らなくていけないと思ったようで、しばらくベッドを起こしてお茶をがんばって飲んでいました。
まだ、飲んでいたのでお布団をきちんとしなくていいかと私はしばし、居間と母の部屋を行ったり来たり。
その時に、お茶にむせて、激しく咳き込み始めました。
それが多分直接のきっかけとなり、息づかいが荒くなり始めました。
ゼイゼイと苦しそうなので、喘息の発作時に使うサルタノールをしようと声をかけましたが、最初は嫌がっでいました。
でも、見ていると苦しいはずなので(私も昔経験あり)サルタノールを吸入しました。でも、収まるどころかひどくなるので、訪問看護ステーションに電話をし、喘鳴も聞いてもらい、サルタノールをもう1回出来るのか尋ねました。
看護師さんは「そんなことまでわからない」と言われ、またいつものように「どうしよう、どうしよう」と悩まれ始めました。
私は調べて教えて下さいと言うことと、病院で母を診てもらえるか聞きましたが、担当がわからないので何とも言えない云々。
その間にも母は苦しがっています。
電話を切った後、もう救急車を呼ぼうと母に言いましたが、最初は嫌がっていました。
でも、電話や母の返事を待っている場合ではないので、救急車が来るまでにしておかないといけないことをテキパキとこなし(私ももう寝る格好をしていましたので着替え、保険証やお薬手帳その他の準備等)、119にかけました。
待っている間に母が寒くないように着させ、玄関に電気を付けてドアを全開にし入って来やすいようにソファその他を動かし、私は鍵を締めて勝手口から出るのでそこへ荷物を運びました。
サイレンの音が聞こえた時にナースステーションから電話があり、「サルタノールは」「もう救急車を呼びました」「そうなんですか、では
院長が診てくれます」
救急隊員はすぐに酸素濃度を測り酸素吸入を始め、母を救急車の中へ。
二人でも重そうで、もう一人は何かをされていましたので、私に酸素を持って救急車まで行って下さいと言われました。
外は雨。
病院からOKが出ていることを話していましたので、即、電話されていましたが、受付とドクターと2段階で説明。
その間、息苦しい母にお一人が心臓マッサージのようなことを始めて下さいました。
今の状況を話したところ、かかりつけ病院では対応が出来ないと言われ、急遽、総合病院へ。
この間、熱を測って下さったら何と38.4℃。
暖房はしているし、血圧ばかりを気にしていましたので熱に気が付かずびっくり。
でも、熱の為に拒否されたのではないと言われました。
この時期なので、コロナを心配しました。
救急医学隊員の方が容態が悪いのでドクターにすぐに対応して下さるように言って下さっていたおかげで、着いたら即対応して下さいました。
最初、娘が救急車を呼ばないように言われていたことを話すと「いやいや、こういう時は絶対に呼んで下さい」と言って下さり、病院が決まり救急車が動き出すまでには時間がかかりましたが、あと何分で着きますから大丈夫ですからねと励まし続けて下さり、救急隊員の方々が天使に思えました。
最初、ベッドに来られた時には私をケアマネージャーと思われたようです。
発作が起こり始めた時間は 8時25分〜30分あたりで、サルタノール、8時34分吸入。
母と救急隊員の方々が玄関を出る時に時間を見たら確か9時10分だった気がします。
あと、8時55分も記憶にあるのですが、救急車の到着時間だったのかもしれません。
半分くらいは心配やら緊張してドキドキしている自分もいたのですが、半分以上は妙に冷静な自分が居てテキパキしていました。
高熱があっても「大丈夫ですよ」と安心させて下さった隊員の方々。
質問に答えたり、文書にサインしたりしつつも、いろいろな数値が表示されていますのでチェック。
母は変わらず苦しそうでした。
病院に着いてからは私は受付へ。
その後、待合室で長い間待ちました。
いろいろなことが頭の中を去来しました。
いずれは別れは来る。
でも、それが今なの?
Kちゃんに連絡していましたので、ちょうど仕事が終わったとのことで来てくれました。
途中で女医さんがいろいろな確認に来られました。
また、しばらく後に処置室に呼ばれ、母に会うことが出来ました。
まだ喘鳴が完全には収まっていませんでした。
入院が決まった時にインフルエンザには罹っていないけれども、コロナは明日でないと検査が出来ないと言われました。
肺は大丈夫。
熱は39℃とのこと。
それから一緒に病棟へ上がりました。
最初は個室のICUと言われていましたが、母より重症患者さんが来られたそうで、普通の個室になりました。
コロナの検査結果次第では、病棟が変わり7階になると言われました。
病棟のロビーでも長い時間が流れました。
書きかけていた何枚もの書類も書き終わりました。
母が帰るなら泊まってくれる予定だったKちゃんですが、私を送ってくれて帰って行きました。
長い1日が終わりました。
寝ようとしてベッドまで行くと病棟から電話がありびっくりしましたが、靴を持って来て下さいというお電話でした。
疲れているはずなので、ぐっすり眠れるかと思いましたが(リラクゼーション音楽をかけ、ホットアイマスクをして寝ました)夜中に目が覚めて、また、早朝娘から電話がありました。
娘はコロナだと思っているようでした。
そして、あんなに外出するな、人を家に入れるなと言ったのに、しかも、なぜコロナの検査をしなかったかについても責められました。
彼女の病院では休日でも夜間でもしているそうです。
私自身、そもそもが最近コロナに関係なく外出が億劫ですし、圧倒的に外出回数は少ないはず。
しかも、高校時代からの親友のご主人が20日に高熱を出したので(1回切りでしたが)友人ともいろいろな約束をしていましたが会わないようにしていました。
Kちゃんもですが、友人も気を付けながら普通に生活していますが、特に友人は万が一のことがあってはいけないからと、ご主人のこととは関係なく絶えず気にしてくれています。
(彼女のお母さんは施設にいますが、 40℃の熱で入院中。結局は尿路感染症だったようです。退院も決まりましたが、一時は万が一も考えておいて下さいと言われたそうです)
娘に言われて、何がいけなかったか振り返ったりしましたが、心はずっしり重くなり、万が一、コロナだったら私の責任だと思えました。
Kちゃんはご主人(ドクター)と尿路感染症だろうと話していたそうです。
8時30分になり、小規模多機能施設の方がお薬を持って来て下さいました。
ほっとしたら泣けて来ました。
「これからお迎えなのに、私までもらい泣きするじゃない。何か食べたの?食べて元気を出して」
それから、いつものように果物を切り、目玉焼きとサラダを丁寧に目の前のことに集中するように努力し作りました。
そして、母の荷物を用意して、母にメッセージを書いて病院へ。
裏にメッセージを書きました。
前に入院したかかりつけの病院のように自由はききませんので。
病院に来ること自体を極力止めて下さいという感じでしたから、新聞もおやつも今度はダメだと思います。
必要なものは病棟のナースステーションまで持って行くシステムですが、もちろん会えません。
受付に行くと患者サポートセンターに行くように言われて、でも、そこでは???
結局、病棟に電話をして下さいました。
明日から休みになるので、その場合は夜間休日受付から電話をしてもらうようですが、今日までは何も言わなくても病棟に上がれたようでした。
昨日の看護師さんのお話は休日対応だったようです。
母の熱は下がっていました。
コロナの結果を尋ねると9時に出したのでお昼頃だと言われました。
ここでも話しているとうるうる。
病院を出て検査結果を聞くまで家でじっと一人で待つのは不安でした。
それに携帯に電話があると思っていましたのでいつものように教会に寄りました。
しばらく祈り、ロビーを見ると陽光が燦々。
そこの御聖堂が見える場所に移動し、1時間半過ごしました。
ぽかぽかと暖かく心までほぐれていき、すっかり落ち着きました。
立ち上がると羽根がありました。
天使が「一緒にいるからね「」のサインだと思うことにします。
座る時にはありませんでした。

そう言えばもう忘れてしまっていましたが、今日は22もよく見ました。

12時30分、また母の入れ歯を持って行かないと行けませんし、家に帰るとすぐに、家の電話が鳴りました。
ドクターからでした。
コロナは陰性でした。
どんなに感謝したか、またそこで電話を切った後に泣きました。
もしコロナなら母は苦しむに違いないと思いましたし、小規模多機能施設にも迷惑がかかると思っていたからです。
この間の心配と心労たるや。。。
朝も熱が下がっていることを小規模多機能施設に電話をしていましたが、またすぐに安心して下さるように電話をしました。
それから、再び、病院へ。
そして、帰りにまた教会へ。
感謝の祈りをしていると、安堵だけではなく、この2日間の張りつめた思いが溢れてきました。
さめざめ泣いた後は安心しましたので、ウォーキングへ。
途中、高校時代からの友人から電話があったので話しながら歩いていると14周もしました。
今、万歩計を見ると12982歩。
夕方、訪問看護ステーションから電話がありました。
どうなったか心配されたのと、ぐずぐず迷って申し訳なかったと言われていました。
もう2時を過ぎてしまいました。
お風呂から出たら睡魔が襲ってきてしばし寝ましたので、目がすっかり冴えています。
母は辛いと思いますが、この年末年始、しかも寒波も来ると言います。
私は母が病院に居てくれてとても安心です。
希望事項を書いていたところ、早速、母が教えてもらってラインからビデオ電話をしてきました。
これは1度目に病院に行った後ですが、「病人になってしまった」と言っていました。
でも、明日から早速リハビリも始まるようで良かったです。
入院期間は一応2週間。
クリスマスもひとりでしたが、お正月もひとりで迎えることになりそうです。
でも、友人が「またお泊まりに行くわ」と言ってくれています。
長々とスマホで苦労しながら打ちました。
今、私の心は平安です。
おやすみなさい。
長々と書いた文章を読んで下さりありがとうございました。