今日はちょっとバタバタ

2021年09月03日 22時08分40秒 | 介護

 今日も一日降ったり曇ったり。

朝の5時過ぎ、雨がほとんど止んでいましたので外の空気を吸いに出かけました。

公園の中の小径は土ですのでぬかるんでいますので、舗装している外周を歩きました。

 

 

でも、ここは大丈夫そうでしたのでいつものように好きな小径を歩きました。

 

公園のそばのモミジがやはり、紅葉

 

小雨だった雨がどしゃぶりになり、びしょになりました~

 

我が家のバラ

 

今日は朝、2回洗濯機を回しました。

母がショートステイから持って帰ってきたお洗濯物がありましたので。

そして、浴室乾燥をしました。

1回の2時間では乾きませんので、2回しました。

 

 

 

 今日の果物

 

 

 

 介護ノートを見ますと、ショートステイで母はほとんど便通がなかったようです。

しかも最終は8月31日(火)の午前中。

カマグ(酸化マグネシウム)を飲んでいますので、そんなことは家ではありえません。

今回、残ったお薬が8日分もありました。

昨日、ドクターにお話ししましたが「場所が変わると出なくなるし、本人が苦痛ではなかったら大丈夫」と言われました。

ドクターは決して悪くは言われませんし、確かにそうかもれませんが、私は何となく悶々

今日はイチジクも買って来て食べさせました。

そのおかげもあり、今日は2回もたくさん出ましたのでほっと安心しました。

 

 

 今朝は9時に訪問看護師さんが来て下さいました。

帰られた後、母は又、寝始めてやっと起きたのは1時半。

私はお買い物に行きたかったのですが(母が明日の朝食べるパンを予約していましたし)、起きないのでそのまま黙って行くことも出来ず

やっと何とか起こして、お食事をさせてお薬を飲ませて、お買い物へ。

 

 

イチジクも買ってきました。

私は種類によると思うのですが、イチジクを食べると胃が痛くなりますので、食べないようにしています。

その後、おやつも食べた後、私がお台所にいた時に大きな音がして又、転倒

脚が萎えていますので、手すりを持ってもダメだったようです。

時間は3時過ぎ。

4時からリハビリの方が来て下さったので良かった

先週もそうでした

今回は腰を擦りもしないで、無事でした。

リハビリの方が配置を又いろいろ考えて直して下さいました。

ベッド脇のこの手すり、サイドテーブルをよけて、この中に何か台のような入れるものはないかと言われて、探したのがこれです。

勝手口のスリッパ置き。

ちょうどすっぽりと入り、段にもなっていますので物を置くことも出来ます。

 

時計が見辛いと言うことでひとまず本を2冊置いて調整して下さいました。

 

流石にリハビリの方

安全で使い勝手がよくなりました。

 

 

 

 リハビリの方が来られる前に母はお茶をこぼして、シーツやタオルケットまで濡れてしまいましたので、3回目のお洗濯をしました。

まだ朝の2回目の浴室乾燥が止まっていない状態。

その後、タオルケット、シーツ、ラバーシーツ等を洗い、再び浴室乾燥。

明日も雨ですので、家の中でも乾きそうにありませんからもう1回2時間、乾燥させないといけません。

 

 

 

 大量の2回目の便、お茶をこぼす、転倒が1時間のうちに集中しました

ちょっと大変でした~

でも、50分後にはリハの方がいらして下さったので良かったです。

母はまるで何かに守られているかのようです。

たった1回で寝たきりになる方も多い中で(母の小学校からの友人は亡くなりました)今まで何十回となく転びました。

転び方が上手いのかも

しかも2週続けて、リハの方が来て下さる前でしたし。

母はまだ生きてしないといけないことがあるのでしょう。

あるいは私が母の世話をしなくてはいけない

 

 

 

 ここ数週間の母は手の力も衰えて、コップを持つのも重くて飲めないと言い始めていましたので、吸い飲みはどうかと思い注文していました。

それがちょうど届きました。

これはAmazonが一番安くしかも送料込みで875円だったような・・・。

 

 

早速、今夜から使っています。

 

 

 

 夕方、廃品を持って教会経由お散歩へ。

雨はやんでいました。

教会のお花

 

少し夕焼けが見られました。

 

今日は朝夕3周ずつしか歩いていませんが、ゴミ出しに何度も行ったり、お買い物に行ったり、家の中をバタバタとしたせいか、(最近では万歩計をいつも持ってはいませんが)7200歩を超えました。

 

 

 

 今日の英語の先生はハンガリーの若くてかわいい26歳の女性。

私は以前からいつもの先生がお休みの時には世界放浪の旅に出ます

(今日は母は寝ていましたので気分的にゆったりレッスン出来ました)

ハンガリーは7つの国に接しているのですね。

もうワクチンは2回とも終わっているそうです。

そして、すでに3回目を検討中だそうです。

もう飛行機でルーマニアやスペインに行ったと言われていました。

機内は乗客を少なくし安全対策がなされていたそうです。

ヨーロッパは概ねこんな感じですね。

日本はなぜこんなに遅れているのでしょうか。

ワクチンには賛否両論あり、私はいずれにしても打てませんが。

ですから、ひたすらStay homeです。

緊急事態宣言も出ていますから、友人達もこの期間、特に私に移したらいけないということで会うことを避けてくれています。

やはり、ワクチンを打っていると多少安心感があり、人に会う機会もあり、家族や孫達もいますので、ほぼ無菌状態の私に会うのは流石に怖いようです。

高校時代からの友人とはお泊りが最後になりました。

8月の末に同じ年齢の友人の会「ラヴィアンローズ」のメンバーと前々から国際ホテルに泊まって、地下の居酒屋に行く予定にしていましたが、流石にキャンセルです。

「落ち着いたら又、ランチにも行こう」と約束をしています。

いつのことになるでしょうか。

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言   【今日の言葉】

 

一度やると決めたら何が何でも
最後まで徹底的にやり抜く。
死んでもやり抜く。
そういう性格、
強い信念がないと
物事は成し遂げられない

――――――――――
白川義員
(世界各地の〝原初の風景〟を
 命懸けで撮影してきた写真家)

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 

 

******
 人間は悟りを開こうが、聖人と呼ばれようが
 闇の部分は常に自分で引き受けて生きていかなくてはいけません。

 だけど、自分の闇の深さを知れば知るほど、
 そんな自分をも許して生かしてくださる神様の愛の大きさも分かる。
 だから人生、絶望する必要はないんです。

 地獄のようなアウシュビッツ強制収容所を生き抜いたフランクル博士が
 「にも拘らず希望を持ち続ける」と言っていますが、
 それと同じで、こんな酷い自分、であるにも拘らず
 いつも希望を持ち続けることができる。

 それが私たちの生き方なのではないでしょうか。
                  *****

『致知』10月号で、円覚寺管長の横田南嶺老師と対談された
シスターの鈴木秀子氏が語られた言葉です。

フランクル博士に師事された永田勝太郎氏の話も
五木寛之氏との対談の中で、

*****
病気で寝たきりになり、薬の副作用で末梢から筋肉が萎縮して
力が抜けてしまい、寝返りも打てない、絶望しかない状態で、
考えることは死ぬことばかりでした。
追い詰められた私は、
フランクル先生の奥様のエリーさんに、

「僕はもうじき先生のもとへ行きます。
さようなら」とお別れの手紙を送ったところ、
すぐにエリーさんが返事をくださり、
その手紙を何度も読み返しているうちに、
奇跡が起きたのです・・・
            *******

 

 

 

 


★エドガー・ケイシー

今日(9月03日)の珠玉のリーディングをお届けします。


知っておきなさい、あなたが健康であろうと病に伏せていようと、神は生きておられ、万事をうまく運ばせ給うことを!

Then, whether in health or in sickness, know that God LIVES, and He doeth ALL things well!
(13-2)

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン  (毎週金曜日)

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

画像が掲載されたブログがありますので、できればそちらでお読みください(下記のリンクをクリックしてください)。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M824124&c=3304&d=ed84

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東京板橋では雨が降り続き、この数日、涼しい日になっています。


そちらはいかがでしょうか。



今回は、当会のフランス代表セルジュ・ツーサンが自身の人気のブログに掲載した、記事『人間について』をご紹介します。

どうぞ、お楽しみください。



彼の前回の記事はこちらで読むことができます。


「不行動について」

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M824125&c=3304&d=ed84

▽ ▽ ▽

記事:「人間について」

セルジュ・トゥーサン、バラ十字会AMORCフランス語圏本部代



私たちは誰もが、人間とは何かを知っていると思っています。

しかし人間の起源など、多くの点に謎が残されています。

私たち現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンスは、自然界もしくは神によって創造されたのではないことが、21世紀前半の今では明らかになっています。


科学的な調査によれば、人間は、とても長期にわたる、とてもゆっくりとした進化の結果として成立したのであり、この進化をさかのぼると、約700万年前にアフリカに出現した最古の人間(サヘラントロプスだと推測されている)にたどり着きます。


しかし、これですべての疑問が解決したわけではありません。

ではこの最古の人間はどのようにして生じたのでしょうか。

それは動物から、さらに具体的に言えば大型の類人猿から進化したのだと考えられています。



人間

進化の現在の段階において、人間はどのようなものでしょうか。

最も特徴的なのは、極めて洗練された効率的な肉体です。

人体のメカニズムは、研究者の誰もが驚嘆するほど、ほぼ完璧なものです。


人体は解剖学的にも生理学的にも、鉱物界、植物界、動物界が作り出した最良のものが、自然界の指導と指示のもとに統合され構成されていると考えることができます。


運動機能(歩いたり走ったりする働き)から生理機能(消化や呼吸の働き)に至るまで、人間の身体は、簡潔さと複雑さを兼ね備えた“高性能装置”であり、最高に洗練されたヒューマノイド(ヒト型ロボット)ですら、身体機能だけを考えたとしても人間にははるかに及びません。



しかし人間は、多数の生理化学的なプロセスによって維持されている単なる肉体ではありません。

人間には精神の働きがあり、推論、記憶、想像を行うことができます。

この3つの働きそれぞれによって、人間は現在、過去、未来を把握することができます。


科学的な見解によれば、この働きを司(つかさど)っているのは脳という中枢であり、脳を構成している数百億個の神経細胞の働きによって、この働きが実現されています。

しかしそうであるとしても、物質である身体によって、思考などの非物質的な現象がどのようにして生じるのでしょうか。


現在に至るまで、この問いに答えることのできた科学者はひとりもいません。

もちろん、脳波にはいくつかの種類があり、それが、精神の活動の種類と対応していることは知られています。



人間の魂(soul:ソウル)

「意識」は、思考よりもさらに深い謎に包まれています。

私たちは意識の働きによって、自分自身と他の人たちと外界を同時に把握することができます。

通常「個性」と呼ばれているものを私たちの一人一人に与えているのも意識の働きです。


17世紀当時のバラ十字会員と密接に交流していたフランスの哲学者ルネ・デカルトは、ご存知のように「我思う、ゆえに我あり」と語りました。

この言葉は、おそらく次のように言い換えることができるでしょう

「私には意識がある。それゆえに、私は(人間として)存在する」


自己意識(自分のことを自己だと感じる意識)があるため、私たちは自分のことを、他の人とは異なる独立した個人だと考えます。


そして自己意識が知性と一緒に働くことで私たちは判断を行うことができ、いわゆる「自由意志」を行使することができ、周囲に影響を及ぼして、自分自身の未来を変化させることができます。



著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

ふたたび本庄です。


前回ご紹介し、とても好評だった記事『錬金術師になる』にもご紹介した考え方ですが、宇宙(macrocosm:マクロコズム)は物質的な世界と非物質的な世界からなると考えることができます


今回の記事には、人間(microcosm:ミクロコズム)は物質的な身体と非物質的な魂から構成されているという考え方が紹介されていました。


この2つは対応しており、エメラルドタブレットに書かれているとされる錬金術の根本原理「下にあるすべてのものは、上にあるものに似ており、上にあるすべてのものは、下にあるものに似ている」のひとつの実例になっています。



参考記事:『錬金術師になる』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M824126&c=3304&d=ed84


参考記事:『エメラルドタブレットとは』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M824127&c=3304&d=ed84



そして、多くの伝統思想でも近代思想でも、物質的なものと非物質的なものを統一する、ひとつの原理があると考えられています。


そうでなければ、物は心に認識されることができず、心は物に影響を与えることができないからです。



たとえば仏教の唯識派では、それは「八識」であるとしました。

20世紀の日本の哲学者大森荘蔵は「立ち現れ」だと考えました。


バラ十字会の通信講座の教材では、この統一がある意味で2段階になっているという古代哲学の考え方が紹介されます。

皆さんも、「ヌース」(Nous)や「エーテル」(Ether)という言葉を、聞いたことがおありではないでしょうか。


このことはとても興味深いテーマですので、いずれこのメルマガでも話題に取り上げたいと考えています。



では、今日はこのあたりで。


また、よろしくお付き合いください(^^)/~



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■編集後記

バラの花が雨に濡れています

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M824128&c=3304&d=ed84

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コメント (4)
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