今朝は「無原罪の聖母の祝日」ですので7時から御ミサがあるということで行って来ました。
同時に、戦争が始まった日でもありますね。
4時半に目が覚め、もう目が覚めてしまったと思っていましたが、気が付いたら2時間も再び寝ていて起きたら6時半
慌てました~。
朝、寒かったので(1.5℃)セーターを着て行くと、帰る頃には段々暑くなって来てついに脱いでしまいました。
最高気温は15.8℃もありました。
今朝の果物
時間がなかったので果物を少しだけ食べて出かけました。
もうシスター方と信徒会長さんはいらしていました。
御聖堂の中はぽかぽか。
段々と陽が射してきました。
こちらのマリア様のご像のスタイルが「無原罪のマリア」です。
その他にも「ルルドのマリア様」とか「ファティマのマリア様」とか、日本では「秋田のマリア様」とかその時々のご出現のスタイルがご像となっています。
ちなみに、現在もボスニア・ヘルツェゴヴィナのメジュゴリエでご出現中のようですが、多分、ヴァチカンは認めていなかったような・・・
ヴァチカンはなかなかこういったご出現や奇跡には懐疑的ですので、ヴァチカンが認めている聖地や奇跡はごくわずかです。
御ミサ後、神父様が「パンとコーヒーですがご一緒に朝食を食べましょう」と言われました。
途中からもうお一人のベトナム人の神父様もいらして、皆でお食事。
これはベトナムのちまきだそうです。
もちもちしていて、お肉と豆をつぶしたもの、塩コショウでの味付けだそうです。
中華のちまきは少し甘く感じますが、ベトナム風は甘さはありませんでしたが、美味しかったです。
神父様が母にお土産に持って帰るように言って下さって包んで下さいました。
もうお一人の神父様はなかなか日本での車の免許が取れないようです。
(ベトナムでも香港でも運転なさっていました)
香港に7年いらして、3年後にはアメリカに行かれる予定だったそうですが、急きょに日本へ。
5年間のお約束だそうですが、「すべて神様がなさることが一番素晴らしいので、日本に来たことがベストです」と言われていました。
その他、今日は少し言語のお話をしました。
大学でフランス語とドイツ語もなったそうですが、忘れてしまったと言われましたので、私も全く同じだと言いました。
挨拶位しかもう覚えていません。
香港は広東語で、話せたそうですが、漢字が難しかったと言われていました。
でも、日本に来て、「和平」を「平和」と言ったり似ている部分もあると言われていました。
この神父様が交流センターの御聖堂を作られたり、このお庭を作っておられるのですが、この大きな葉っぱ、以前白菜と書いたと思いますが、先日頂いたべトナム野菜でした。
シスターのお話ですと1kg(一株位)500円位だそうです。
神父様にちまきを頂いて帰ったものの、今日は持っては行けない日。
どうしたものかと考えていると、ちょうど母から電話がありました。
「声が出ない」と・・・
そこへ看護師さんがいらして、「さっきまで学生さんがいたのですが、居なくなったから不安なのかも」。
ちょうどいいチャンスでしたので、「今日は持って行ってはいけない日ですが、母にと言って頂いたベトナムのちまきを持って行ってもいいでしょうか」と伺うと、「サポートセンターになら託けて下さいと」言われて、良かった~
きっとこれなら母も喜んで食べるのではないかと思いました。
残ったらもったいないので、3切ほど切って持って行き、後は私が昼食に頂きました~
病院を出てから、陽気に誘われてドライブへ。
いつもの岡南飛行場あたり。
ここは多くの方々がバードウオッチングをなさっています。
阿部池です。
滑走路
飛行機に乗りた~い
左が児島湾。
右側が児島湖。
締め切り堤防を渡って海の見えることろまで行って見ようと思いました。
ユリカモメ(だそうです)が来ていました。
人懐っこくて段々と近づいてきました。
かわいらしかったです
帰るとご近所の方が千枚漬けとお野菜を持って来て下さいました。
ネギは植えて保存するといいと言われましたので植えてみましたが、こんなのでいいのかな
年末までに又釣りに行くので、鯛が釣れたら持って来て下さるそうです
朝顔を抜きましたが、捨てきれず
朝顔を抜いたあとフリフリパンジーを植えました。
元気のなくなっていたフリフリビオラ達はカットしました。
その他、昨日買って来たお花を植えました。
「ドフトゴールド」はレモンのような香りがします。
「新雪」は優しい香りです。
こちらは「シェヘラザード」の蕾。
夕刻、母が又電話をしてきました。
お食事が届いていて、ちまきも届いていたようですので、「これから食べる」と言って電話を切りました。
明日は金曜日なので10時から御ミサがあります。
何だかとっても真面目な信者、修道女のようにもなった気がする。。。
★致知一日一言 【今日の言葉】
人生の綱渡りの秘訣
通るに通れない、
こすにこせない人生の嵐も
サーカスの綱渡りのように、
自分を空にして足元を見ず、
目も心も向こうにあわせ、
自分をささげ切って渡れば、
どんな危ない綱の上でも
わたり切ることができる。
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常岡一郎(修養団体「中心社」創設者)
月刊『致知』より
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大学在学中に結核に罹り、
学問を捨てて闘病と求道の
生活に入った常岡一郎先生を
ご存じですか?
「すべてのものには中心がある。
その中心からずれたとき、
人間は、家庭は、(中略) みんな苦しむ。
課されていることを中心にするのだ」
――後に修養団体・中心社を設立し、
毎月全国を行脚して講演を続けた
覚者の言葉には、
人生のどん底を味わった人だけが
言い表し得る深みがあります。
『致知』には有名無名を問わず、
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