ほぼ書き上がっていたブログが消えてしまいました。
今日はほとんど寝ていませんのでもう書き直す気力なし。
簡単に書いて、又、明日書けたら書きます。
昨夜のブログアップ後の10時くらいから母が咳き込み始め、11時んい吸入をしたり、0時前から訪看さんに何度か電話をしたりしました。
訪看さんは最初
「睡眠薬は持っていない」
「持っていません」
安定剤で少し良くなったと言いましたが、咳喘息のような感じでした。
痰がからみ、咳いてを繰り返し。
昨日は私も下で寝ていましたので、ほとんど眠れず。
酸素濃度はいつもは98。
時には私でも出ない100%もあります。
が、昨夜から今朝にかけては92%。
お熱は36℃。
でも、結局、熱が出ました。
ヘルパーさんが来て下さった時には38.3℃。
訪看さんに電話をして状況説明をして下さいましたが、らちがあかず、怒っておられました。
医者ありきではなく、患者ありきでしょうと。
「もう救急車を呼んだ方がいい」
その後1時間弱位後に外来から電話がありました。
往診もダメ、ドクターの指示を仰がないといけない。
でも、ドクターは休みだからダメとか、まだいらしていないからダメとか。
やっと来た電話の内容は担当医は休みだからと言うことで、別のドクターからで「ベッドもないし、検査をしても他へ送るようになります。どうされますか」
即、救急車を呼びました。
その時時刻は9時9分でした。
救急車の中では39℃。
血圧144。
酸素吸入で99%。
病院へ行き、そのまま入院となりました。
血液検査とCTで「肺炎」と診断。
誤嚥性ではなく細菌性だろうとドクター。
入院期間は今のところ2週間です。
訪看さんとのやりとり、ヘルパーさんの介入などいろいろありました。
ドクターは白血球がこれから上がるかもしれないが高くないのでそんなに悪くはないと言われましたので、安心しましたが、あとから娘が行った言葉は検査数値に異常が3つあり、この時点で白血球が低いことは高齢者にとってはいいことではないようで、段々と心配になりました。
今回、入院時に前回体調不良で行けなかった眼科を受診したい旨伝えましたが、ダメだそうです。
「マルメだから、病院が損をすることは出来ない」
ショートや施設でもこういうケースがありますが、国の方針だそうで、イタチの追いかけごっこだと言われました。
訪看さんとのやりとりはいろいろありましたが、来ては下さいませんでした。
救急車に乗った時「どうなりました」と電話がありましたので、状況を説明し、ケアマネさんに連絡をして頂けないかお願いしたところ、「電話番号がわからない、なぜケアマネ」
ヘルパーさんをストップしないとご迷惑になります。
救急車の中で付き添いはいろいろ忙しいのです。
やはり、何事も同じ体験をしないとわからないことが多いようです。
今回それでも、救急車を呼んだり、準備をしたり、すべて一人でしないといけなかったわけですが(いつも大抵そうですが)、静かに時が流れました。
母の手は今回、しっかり握りました。
意識はあり、段々と鮮明になりました。
病院内はエアコンがどこも快適に効いていました。
母の身体にとっては病院は嫌でしょうが何かと楽だと思います。
今日は35℃を超えて(35.4℃)真夏日になり、夜も熱帯夜(25.1℃)でした。
本当にとっても暑い一日でした。
今朝は朝顔一輪。
朝、母が寝入った時に教会へ、ノンナTの御ミサ依頼もあり行って来ました。
今朝は果物だけ食べて病院へ。
6階からの眺め
沢山の書類を書いて、家に帰ったのは12時半前。
折角母の好きなチーズケーキを作りましたが、1人で食べる羽目に
そこへ、ヘルパーさんの友人が来て、ミントを飾ってくれて、一緒に食べました。
梅雨明けはまだですが、もう真夏の空です。
散々なお誕生日になりましたが、大難が小難になったと思いますので感謝です。
多分支離滅裂な文章かと思いますが、お許し下さい。
とにかく寝ます。
★致知一日一言 【今日の言葉】2023.0716
オンリーワンの小さな道
自分の信じるオンリーワンの
小さな道を歩み続けることで
人生は開ける
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田中真澄(社会教育家)
○月刊『致知』2023年8月号
特集「悲愁を越えて」【最新号】より
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●今年で87歳になる社会教育家の田中真澄さんは、
人生百年時代をどう生きるかを
講演や執筆を通して伝え続けてこられました。
今回の連載では、
自分合った生き方について説かれています。
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●きょうの致知一首
琴線に触れる言葉を書き留める
「致知」の読後の悦びの時
(茨城県/海老沼一義様)