慌ただしい一日

2024年01月06日 22時58分15秒 | 家族

 今日は思いがけず結構雨が降りました。

冷たくない雨でしたので、鉢を外に出しました。

 

 

 

今朝の果物

今日は娘一家の旅立ちの日で、無事に飛行機が飛ぶのかどうか、不調は治ったのかどうか等朝から気になっていましたが、とにかく連絡を待つことにしました。

連絡をくれたのはお婿ちゃんの方で、しかも元気に最後のパッキングをしている写真も送ってくれましたので、予想以上に良くなったという言葉通りだと本当に安心しました。

飛行機は昨日は朝夕の便が欠航になっていましたが、今日は朝の便から遅延はしていたものの飛んでいましたので、多分大丈夫だろうと思いました。

娘からはその後、出発時刻に「使用機材は到着した。かなり遅延しているけど飛ぶはず。ありがとう。色んな人が見送りに来てくれて感激でした」と来ましたので、そうか~、皆さんがお見送りにと思うと感謝の気持ちでいっぱいになって、私の方が泣けそうでした。

この感謝の気持ちを忘れないようにと娘には返信しました。

その後、面白いことに飛行機に乗った後で、子供の調子がぶり返しそうだったようで、「また、お祈りでも何でもしておいて下さい」

安心した今だから笑えますが、この子も最後は私へのお祈りの依頼かと思うと何だかちょっと嬉しかったです

 お婿ちゃんとはWhatsApp(PC)で娘(スマホ)とよりも早く頻繁にやりとりをしていていました。

最後は今日は私の方から I love you をちゃんと言いました~

JALは1時間以上遅れて飛び、飛行時間も長かったです。

これは羽田上空で待機している時間だったのではと思います。

羽田に着いた時、元気にたくさんの荷物を押している二人の子供達の写真を送ってくれましたので、それを見て本当に安心しました。

私はこのまま数時間後には国際線に乗るのかと思って心配していたのですが、元々念のために1日東京に泊まる予定にしていたようで安堵しました。

何だか何もしなくても慌ただしい一日でしたが、ひとまず安心しました。

 

 

教会のお花が少し生け替えられていました。

これはミサの始まりを知らせるベル

ベトナム交流センターの建物の前に白菜が干してありました。

何を作るのかな

興味津々

今日は午前中、こんなにいいお天気でしたが、夜中も午後からも結構降りました。

 

 

 

 今日の母は朝一はいまいちでした。

「食べられん」と言いましたが「ご飯を食べ始めると又気分も変わって良くなるから」と促して食事をさせました。

「今日はいけん(今日はダメの意)」と言っていましたが、そんなことはなく母はすっかり元気になってすごーくよく食べました。

レーズンバターロール2個とバターロール1個(遅く行くとレーズンパンはいつも品切れ)&カフェオーレ300cc

フレッシュフルーツジュース(果物&牛乳)300cc

ハンバーグ(昨日の半分)と卵焼き&レタス100cc

お煮しめ

その後、ネイルの塗り替えをしていたら「トイレに行きたい」

今日も足が萎えていて一人では怖いと思いましたので、訪問看護ステーションに電話をするとかけ始めから8分で看護師さん到着。

今週も又、すごーく立派なのが出ました。

今日も手すりに持たせつつも危ないので私が抱え、足も前に行かないように止めて、看護師さんが紙パンツをおろして下さいました。

すっかり気持ちよくなり、その後もお台所で過ごしました。

今日はYou Tubeで「小林正観さん」を神妙な顔をして聞いていました。

 こんなに食べたので「今日のお昼は要らない」と言うかと思いましたが、いなり寿司&ベトナムちまきとポテトサラダ。

あとはエンシュアやコーヒー、お番茶を好きな時に好きなだけ飲めるように配置。

 夕食も同じだけ食べました。

夕食には又、新たにお煮しめを作りましたが、たくさん食べました。

今日は全部をミキサーにかけました。

 今は最後の21時のお薬をヨーグルトで食べて、よく眠っています。

 

 

 

 急きょ、ブロ友さんのひとりが明後日から1泊で遊びにいらっしゃることになりました

最初は明日からの予定でしたが、私の友人ともスケジュールを合わせて3人で遊ぶことになりました。

とっても楽しみです

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.1.6

 

福澤諭吉と北里柴三郎の生き方

 

人に任じて疑うなかれ、
疑って人を任ずるなかれ
━━━━━━━━━━━━━━
北里柴三郎(近代日本医学の父)
○『致知』2024年2月号【最新号】
特集「立志立国」より
━━━━━━━━━━━━━━

●日本を近代化へと導いた原動力は
何と言っても明治人たちの気概でしょう。
その代表的な人物が教育者で啓蒙家でもあった福澤諭吉と、
細菌学の功労者・北里柴三郎です。

二人を偉人たらしめたのは
強靭な精神力や先見性ばかりではありません。
受けた恩を返そうという報恩の思いも人一倍でした。
二人の実像を作家の山崎光夫さんと
「博多の歴女」白駒妃登美さんに
語り合っていただきました。
記事の概要はこちらから

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」

 

≪「いま目の前にある危機」日本の水と食を守る【最新号のご案内】≫


豊かな自然に囲まれている日本にも
迫りくる「水」と「食」の問題。

最新号では、その問題の多くは水面下において
ひたひたと忍び寄ってきていることを、
識者二人に明らかにしていただきました。


日本人は、自分たち食べている食品について、
もっと関心を持ってほしい――。


対談を貫くお二人の思いのこもった言葉からは、
日本を守りたいとう強い覚悟が伝わってきます。


取材の様子はこちら
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【吉村】
鈴木先生のお話を聞いていて、子供の頃、
学校の給食でおいしくないアメリカの
脱脂粉乳と小麦のコッペパンばかり
食べさせられたことを思い出しました。


それでも食べ物がなかったので
喜んで食べていましたけれども……。


日本を占領したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の
マッカーサー元帥は、(戦後の貧しい)日本を助けたんだと
偉そうに言っていますが、鈴木先生がおっしゃったように、
実際は日本を余剰在庫の処分先にしていたわけですね。


【鈴木】
私も小麦のパンがまずくて仕方がなく、
机の奥に突っ込んでカビを生やしてしまい、
よく先生に怒られました。


脱脂粉乳の味も本当に酷(ひど)かったですね……。


あれは、船で運んでくる時に
品質がかなり劣化していたようですよ。

ですから、いまも古くなっていらなくなったもの、
危ないものは日本へ売っておけというのが、
合言葉になっているわけです。


例えば、成長ホルモンのエストロゲンは
乳がんの増殖因子になることが
医学界では常識になっていて、
国内では使用することができません。

ところが、エストロゲンを大量に投与した
一部のアメリカ産の食肉を、
日本は実質的に検査を“ざる”にして
輸入させられているんです。


【吉村】
これも酷い話です。


【鈴木】
健康意識が高まっているアメリカでは、
消費者運動が起こってホルモンフリー牛肉の
消費が伸びているのですが、
生産コストを大幅にカットできるため、
依然としてエストロゲンを
使用し続けている農家が一定数います。


しかしEUはホルモン牛国の
輸入を全面禁止していますから、

「じゃあ日本人に食べさせておけ」

と捌け口にされているのです。


人間に中毒症状を引き起こす成長促進剤を
使用した食肉についても同様です。

そのようなリスクがあるにも拘(かかわ)らず、
2020年の日米貿易協定によって
アメリカ産牛肉の輸入関税が引き下げられると、
日本の消費者は安いからと言って飛びつき、
協定が発効した最初の1か月だけで
アメリカ産牛肉の消費量が1・5倍になったんですよ。


食品リスクについてもっと言えば、
最近はいまだ十分に安全性の確認されていない
ゲノム編集という技術で生産されたトマトが、
審査も表示もされないまま日本の市場に出回り始めています。


日本人は自分が食べている食品が
どのようなものなのか、
もっと関心を持たなければなりません。


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コメント (2)
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