昨夜から夕方にかけて良く降りました。
朝、少しの間止んでいましたのでお散歩に行きました。
教会の紫陽花
母と同い年の友人がいつものように歩いておられました。
(スマホで撮影)
途中でお会いしましたので、少しお話をしました。
以前はこの講演を10周なさっていたようですが、今は5~8周だそうです。
それでも十分すごいです
この公園は大体1周500~600歩くらいでしょうか。
それに加えてここまでの往復とお買い物等で9000歩くらい歩いておられるとか。
今日はデイサービスに行くと施設に入りやすいって本当と聞かれました。
昨年の秋くらいまで介護認定を受けられていませんでしたが、今は要介護2とか。
要支援の間違いではないかと思いましたが、漢字をおっしゃったので間違いないようです。
認知症はないように思いますが、私の母が自分を覚えているだろうかと何度も聞かれました。
「もちろん覚えていますよ」とその度に答えました。
耳が遠いので今は補聴器を付けておられるようです。
デイサービスと施設とはあまり関係ないとは思いますが、施設がデイをしているところもあります。
・・・今、最後まで書いたブログが、以下全部消えてしまいました
もう書き直す活力がないです
簡単に書いていきます。
この方とはデイの話も出ましたので、デイとヘルパーさんをお勧めしましたが、果たして今まで自立してきた方に良かったか悩みました。
朝のヘルパーさんに伺うと、いつ何が起こるかわからないし、介護保険も払ってきたのだし、ヘルパーとは繋がっていた方がいいと言われました。
ママ友ガーデン
ウツギを撮りたかったのですが、色が薄いし風が強くて、なかなか撮れませんでした。
昨夜の雨で花びらがだいぶ散っていました。
以下、スマホで3枚。
シャープで鮮明な気がします。
我が家のお花
今朝の果物
今日の母は朝、レーズンバターロールをカフェオーレと一緒に2個半食べましたが、その他のものはほとんど食べませんでした。
(サーモン焼とタルタルソース、サラダ、果物等)
一緒にあさイチの「グリーンカーテン」を観ました。
バタフライピーはお茶と色を楽しめそうでした。
スネールフラワーは香りがいいそうですので、これにしようかなと思いましたが、お店で見たことがありません。
鉢に植えて誘引。
支柱は端に立てるのがコツのようです。
今年は母の部屋の前にグリーンカーテンを朝顔で作ろうと思っていましたので、やはり朝顔にしようかなと今は思っています。
その後、母は少し寝て12時から、G7の様子を観ました。
広島の原爆資料館訪問、献花など歴史的瞬間を感慨深く観ました。
息子が先週、規制がすごいと言っていましたが、岡山でも昨日くらいから駅周辺のコインロッカーや自販機は使えないようです。
今日はほとんどG7のニュースを観ていましたが、日経は7日連続で上がり続け、なんと32年9か月振りに30808.35円になったことも驚きでした。
午後、ケアマネさんは月一の訪問でいらして「もうショック。今日は愚痴を聞いてもらおうと思ってきたんですよ」と言われましたので、我が家が何かしたかと心配しましたが、ケアマネさんのお膝元のショートステイが6月末で閉鎖されることになったようです。
これには私も驚きました
経営不振だったような。。。
今後、母も使わせて頂いていましたので、どこかを探すか、今行っているところへ2回行くかになるのですが、お世話になろうかなと思っていたショート先が何とも。。。
看護師さんが見つけて下さったのですが、パーキンソン病のパッチを交換しようとして下さったところ、15日付と何も書かれていないものとが重なって貼ってありました。
17日にはお風呂にも入っていることになっているのに一体どういうこと
お電話で聞いてみましたが、「きちんとしています」。
でも、生活指導員さんが「これから外出しないといけないので、又調べて電話をします」と言われました。
証拠がありますし、しかも1枚余っていました。
看護師さんが「お薬のことはちゃんとして欲しいけど、今後気を付けますでいいのにね」。
今日の母は活力に欠けると言いますか。。。
お昼はあまり食べず、夜にはすき焼丼(小茶碗に1杯)とししゃも焼2匹、フルーツ、味ごのみ等を食べてくれましたが、穏やかと言えば穏やかなのですが、やはり活力がないという感じでした。
やはりドーパミンのお薬が減ったせいかも。
でも、前のような激しいアップダウンや揺れはなくなりました。
★致知一日一言 【今日の言葉】2023.0519
すべてに「時」がある
人生にはいま自分に必要な
「時」、タイミングが
必ずあります
━━━━━━━━━━━━━━
大庭照子(NPO法人日本国際童謡館館長)
○月刊『致知』6月号【最新号】
特集「わが人生の詩」より
━━━━━━━━━━━━━━
●日本の心を伝える童謡の普及に
情熱を傾けてきた大庭氏の歩みは
こちら
●歌手の大庭照子氏は、
多額の借金返済、母親の自殺、自身の癌の発病など
多くの試練を味わってこられました。
「自分を成長させる試練はあっても、
苦労はなかった」と語る大庭氏。
人生には「時」があるという言葉も、
そんな大庭氏の体験から生まれたものです。
★致知出版社の「ご縁メール」
≪努力の持続がもたらすもの【大村智先生の言葉ノート】≫
2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞された
大村 智先生は、長年の『致知』の愛読者でもあります。
転機となったは、北里研究所で副所長に
なられた頃だと言います。
組織のリーダーとして、
人間をつくるための勉強を真剣に始めます。
その中心となったのが、『致知』でした。
本日は、大村先生の「我づくり」の
くだりについてご紹介します。
記事の紹介ページはこちら
─────────────────
【大村】
大庭さんとのご縁もそうですけれども、
これまでの人生を改めて振り返ってみますと、
やはりよき縁はよき縁を呼んでくることを
身をもって実感しています。
そしてよき言葉との出逢いもまた
人間をよき方向へと変えていく。
私は北里研究所の副所長になった頃から、
大勢の前で話をしなくてはいけないとのことで、
人間をつくるための勉強を真剣にやり始めたんですね。
そのために様々な本を読み、
出逢った言葉や教えを書き留めてきました。
特に愛読する『致知』には
よき言葉・よき教えがたくさん紹介されていて、
うんと勉強になります。
それがもうこうして3冊目になりました。
【大庭】
そうした努力を持続なさることが、
大村先生の才能ですね。
【大村】
例えば、『致知』でもよく紹介される安岡正篤師の言葉
「縁尋機妙(えんじんきみょう) 多逢聖因(たほうしょういん)」。
これはまさにいま私が言ったように、
よき縁がさらによき縁を尋ねて
発展していく様は誠に妙なるものがある、
よき人に交わっていれば、
よき結果にも恵まれるという意味ですね。
(中略)
あと、これも『致知』からですが、
京都大学元総長・平澤 興先生の
「夢を持て、希望をもて、夢を持たぬ人生は、
動物的には生きていても人間的には死んでいる人生」
という言葉もいいですね。
後進や子供たちに、ただ「夢を持て」と伝えるよりも、
平澤先生の言葉を紹介しながら、
「夢を持たないと人間じゃないぞ」って言うと、
やはり反応が違うんです。
【大庭】
しかし、言葉をキャッチする大村先生の力、
感受性というものは本当に素晴らしいですね。
【大村】
習慣になっているんですよ。
夜寝ながら本を読んでいても、
よき言葉や教えに出逢うと、
ぱっと起きてノートに書き留めます。
習慣ほど強いものはありません。
ですから、このノートは
私のもう一つの脳であり、宝物です。
★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)
『古池や蛙飛びこむ水の音』文芸作品を神秘学的に読み解く38
バラ十字会日本本部AMORC
【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M
こんにちは。バラ十字会の本庄です。
━…………………━
文章を以下に転載していますが、話題に関連する興味深い写真が掲
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M
━…………………━
昨日の東京は、五月晴れと言うよりは酷暑で、海に出かけたくなる
いかがお過ごしでしょうか。
札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人から、松尾芭
▽ ▽ ▽
『古池や蛙飛びこむ水の音』
松尾芭蕉
文芸作品を神秘学的に読み解く38
森和久
喧噪を離れたひなびた地にあるひっそりとした古い池。
そこは静寂に包まれ、周りの草木も生き物たちも同化し、世界と一
そこを訪れた人間も自然と一つになり、池の端に座り物思いにふけ
そして突然、静寂を突き破る水の音が聞こえてきました。決して高
一匹の蛙が池に飛び込んだのです。
しばらくして、わずかな余韻を残し、再び静寂の世界が訪れました
その人もまたしじまの中に溶け込んでいきました。
これは松尾芭蕉による1686年の発句です。世界的にも有名で、
ここではそれらについてはことさら取り上げることはしません。
この句の持つ幽玄な空間と時間を超えた世界観を味わっていただき
そのための一つの視点を見てみましょう。
それはなぜ蛙が池に飛び込んだのかということです。
一説には、平安時代後期の藤原清輔による『袋草紙』の逸話から、
これは滑稽過ぎるように思われます。
この句の蛙は草の葉か木の葉の上に乗っていたのでしょう。
そこにそよと春の風が吹き、葉が揺らぎ蛙は飛び込みました。
わずかな揺らぎが静寂の世界を一変させ、俳人を驚かせました。
これはまるでバタフライ・エフェクトのようでもありますが、心を
では、どうしてそう考えられるのでしょうか。
蛙は静止しているものを見ることができません。
だから飛んでいる虫を捕食することはできても止まっている虫を認
そのため自分が動くことで周りを見ることができます。
全てが静寂の中にあった古池の蛙も何も見えていない状態にあった
そこに風が吹き乗っていた葉が揺れ自分が動いたことで目の前が開
実は人間の目も基本は同じ作りになっています。
しかし、進化の過程で能力を身につけ、自分の目を常に細かく動か
もちろんこのことは近年になって科学的に証明されたことで、芭蕉
また、私は作中の蛙を一匹と同定しました。
これについても単複様々な論があります。
英語に翻訳されたものにも単数にしているもの、複数にしているも
どちらかと言えば単数にしているものが多いように思いますが、ギ
私は上記の内容を鑑みて一匹の蛙と考えました。
昭和の頃は映画や小説の中で、静寂を表現するのにアナログ時計の
つまり何か対比となるものがあってその情景を表現できるというわ
無だけでは無を表せないからです。
わずかな光が一瞬光ることで、闇の深さを表現できるのです。
この句の作りを見てみましょう。「古池や」と切れ字になっていま
もし「古池に」であれば「水の音」が主体になりますが、この切れ
これを読む私たちの眼前に美しく静かなる世界が広がるようです。
この点を深読みし、この古池は芭蕉の心の中に現れた想像の池だと
たとえそのような読み方をしたとしても意味するところはそう変わ
含意や分析が先行する鑑賞を良しとしたくありません。
含羞(がんしゅう)を帯びて、自然の中で遊んだ喜びを語る少年の
現代人はいつも時間に追われ、常にスケジュールを気にする生活を
自然と一体化する体験を持つことも大切なことではないでしょうか
△ △ △
再び本庄です。名だたる方々が行った、この句の英訳をいくつか調
Into the ancient pond / A frog jumps / Water’s sound!
(鈴木大拙訳)
The ancient pond / A frog leaps in / The sound of the water.
(ドナルド・キーン訳)
Old pond - frogs jumped in - sound of water.
(ラフカディオ・ハーン訳)
ラフカディオ・ハーンの訳は、カエルが複数であり過去形であると
下記は森さんの前回の文章です。
記事:『字のないはがき』-向田邦子著
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M
では、今日はこのあたりで。
また、お付き合いください(^^)/~
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇
■編集後記
紫蘭(シラン)の花が咲いています
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇