母が亡くなって明日でちょうど2ヵ月。
(2024年11月2日でしたので)
まだまだ喪中ですが、母はもう光の国に入ったと思いますので、新年のご挨拶をさせて頂きたいと思います。
新年明けましておめでとうございます
旧年中は大変お世話になりました
本年も変わらぬおつきあいをどうぞよろしくお願い致します
皆様のご健康とご多幸をお祈り致します
昨夜はブログを書きながら紅白を観て、除夜の鐘を聞きながら、友人達に年末と年始の挨拶をしてからからベッドに入りました。
目が覚めたのは5時過ぎ。
元旦早々くじけてはいけないので起きることにしました。
今朝の6時25分からの「テレビ体操」、びっくりしました。
元旦ヴァージョンでした。
これは番組の最後
その後、外が白み始め、予報では「日の出が見られるのは確実」でしたので、久々に川に日の出を見に行くことにしました。
日の出まで25分くらいありましたので、ウォーキングをしながら待ちました。
少し寒かったです。
(今日の最高気温は12.1℃、最低気温はマイナス1.4℃)
最初は15人ほどの人でしたが段々と増えていきました。
皆さん、元旦の日の出を拝みにいらしたのですね~。
日の出時間は7時11分。
なかなか昇りませんでした。
太陽が顔を出した時には拍手が起こりました。
かな~り南からの日の出。
太陽の光がとても強かったです。
ですから、なかなか綺麗に撮れませんでした。
帰宅後、お雑煮を作りました。
岡山スタイルのお雑煮はすまし汁に焼きぶりが入るところが特徴かも。
昔はほうれん草や人参、蒲鉾(竹輪だった時もありみたいです)に加えて、甘辛く煮た「姥貝」やゆり根も入っていました。
美濃吉のおせちと自分で作った少しのものを加えて飾ってみました。
ゆずカップの中にスモークサーモンを入れますが、サーモンもいくらもあまりにも高かったので、冷蔵庫のあった生ハムを使いました。
中は紅白なますです。
焼きぶりは普通にも食べますしお雑煮にも入れますので結構、毎年購入していました。
(生を買って、お醤油やみりんに漬けておいて焼く)
今年は2切れのみ。
美濃吉の「献立」
よく見るとごぼうが飛んでいましたので直しました。
1人分ですが、大抵のものが2つずつ入っていました。
コーヒーを飲んで10時からの御ミサに行きました。
行ってびっくり
日本人は侍者(ミサ中、神父様のお手伝いをする人)とあと高齢の女性の方と私のみ。
神父様が祭壇から「〇〇〇さん、第一朗読をお願いします」
わっ
しかし、この状況では仕方がありません
ベトナム人は40人以上参加されていましたが、この間のパーティーでご一緒した方々は遠くからいらしていたようですので、来られてはいませんでした。
今日は「世界平和の日」。
毎年、元旦はその為に特別祈ります。
今日もミサの中で神父様が母の為に祈って下さいました。
御聖体拝領ではなんと、パン2個
以前、別の神父様の時にも経験がありますが、何だかラッキー気分
そして、今年は(昨年のクリスマスから)25年に1度の聖年。
巡礼が奨励されているみたいです。
今日の果物
今日は娘からは今居る国が0時になった時に「Happy new Year」とメールが。
お婿ちゃんからはWhatsAppから日本の時間に合わせて「開けましておめでとうございます」とメッセージが。
漢字は間違えていましたが
その後、日本時間の12時にWhatsAppから電話がありました。
皆から「おめでとう~~~」
学校は当然お休みですが、娘も明日までお休み。
「短いわね」と言うと、クリスマスからずっとお休みだったみたいです。
流石
ですから、その後、2時間40分間(もっとかも)久々に娘と話をしました。
最初、おこたに足を入れて話していましたが、何だかぽかぽか。
炬燵も消しました。
本当に穏やかなお正月でした。
最初、ミサに行ったと言うと、娘も婿も「え~~~、いつからそんなに熱心になったん」
「しかも、娘のところが一番ではなくフランスへ先に行くぅ~~~」
「いつからそんなに熱心なクリスチャンになったん」は大学時代の友人にも最近言われました~
岡山にいると教会が近いので、母も居なくなったので、行くようになって・・・。
でも、明日、ホスピス時代からの次女が来たら当分、岡山での用事を入れていませんので、そろそろ牛窓に行こうかなと思っています。
お散歩へ
我が家のいつものお花
お飾り
ところで、昔は元旦早々に窓を開けてはいけないと言われてきました。
福が逃げるとか
お風呂も元旦には入らず、2日の朝に入ることが伝統として伝わってきました。
これって岡山だけ
我が家だけ
友人宅は違ったような・・・。
元旦の清浄な空気を入れた方がいいのではないかと思い、最近では窓を開けています。
これは元旦でなくてもですが。
ですが、少なくとも父が生きていた頃、今から24年前くらいまではこの風習を守っていた気がします。
きっと何か意味や理由があるのでしょうね。
そうなら守った方がいいかなと思ったりしています。
今日のブログのタイトルをどうしようと考えました。
「2025年・終章に向かって」はちょっとシリアス過ぎるかなと思いますが、元気であれこれ出来る期間は限られると言いますから(人に寄りますが)、それまでものごとを先送りしないで、この世を去る時後悔しないように楽しみながら生きていきたいなと思います。
★致知一日一言 【今日の言葉】2025.01.01
一年の始めにぜひ「致知みくじ」を!
「致知みくじ」は、月刊誌『致知』や
商品で紹介された名言をお届けする
おみくじアプリです。
こちらからお引きいただけます
わたしの願い
日本を
楽しい国にしよう
明るい国にしよう
国は小さいけど
住みよい国にしよう
日本生まれてきてよかった
言うような
国造りをしよう
これが一世紀の日本への
わたしの願いだ
━━━━━━━━━━━━━━
坂村真民(仏教詩人)
○『坂村真民 一日一言』(致知出版社刊)より
━━━━━━━━━━━━━━
★[ECCJ] 今日(1月01日)の珠玉のリーディング
エドガー・ケイシー
愛ある無関心のみがこの状況にかなう。
その場合、愛情を持って無関心な場合にのみ、条件が満たされます。
(1402-2)