ブロ友さん来たる

2025年01月10日 22時37分00秒 | 友人との時間

 今日は寒かったです。

特に朝は冷えました。

最高気温7.6℃、最低気温マイナス3.5℃でした。

 

 

 今日は久々にブロ友さんが来る日で、朝から少しバタバタ。

 すぐには止められない今日の果物

果物がなくなったら少し減らします

朝はお野菜(ブロッコリー、レタス、キャベツ、ミニトマト)&目玉焼き(2個)&テリーヌ

ご飯は十六穀米を少しだけ食べました。

 

 

 今朝は冷えましたので、パンジー・ビオラがしな~っと萎えていました。

 

 

が、ストックは強いです。

昨日より又少し蕾が膨らみ間もなく開きそうです。

 

 

 午後2時半過ぎ頃、四国からkonekoさんが久し振りに遊びに来てくれました。

昨年もちょうど今頃いらして、昨年は3回お泊り。

私もお邪魔してお泊りさせてもらっていますが、今、「いつからのお付き合いかしら」と話していますが3年位

明日は真庭の魔女姉さまご夫妻とも合流。

たくさん、お土産を持って来てくれました。

 

 

そして、🍊おみかんどっさり

愛果28号とはあの有名な高級「紅まどんな」の規格外のおみかん。

 

石地温州みかん

 

はれひめ

ミニトマト

以前、愛媛に行った時、JAなどにところ狭しと沢山の種類のおみかんがずらっと並んでいました。

そして、どれを買っても外れなし。

流石、愛媛

愛媛では蛇口からもみかんジュースが出ます

 

 

 

 明日は院展とお買い物にデパートへ行く予定ですが、明日合流する私の友人にもいっぱいの🍊おみかんのお土産。

明日、渡すつもりだったようですが、彼女はバスで行くと言っていました。

「じゃあ、今日、夕食も兼ねて持って行こう」とkonekoちゃん。

一緒に夕食を食べました。

私はしっかりお肉を選びました。

 

3時間ほど積もる話をしました~。

 

 

 

 konekoさんもgooの復旧がまだです。

我が家に来て急に繋がったので喜んでいましたが、家に帰ると又繋がらなくなりますね

我が家も復旧はまだです

 

 

 

 

 


★致知一日一言 【今日の言葉】2025.01.10

 

苦しさを通り抜けた先に

 

苦しさを通り抜けなければ、
人間は正しくなれない
━━━━━━━━━━━━━
正垣泰彦(サイゼリヤ会長)
○『致知』2025年2月号【最新号】
連載「20代をどう生きるか」より
━━━━━━━━━━━━━━

●2022年に創業55年の節目を迎え、
現在国内外に1,500店舗を構える
世界最大のイタリアンチェーン「サイゼリヤ」。
17坪の洋食店からスタートし、
多くの辛酸を嘗めながら
今日の繁栄を築いてきた正垣泰彦氏の言葉です。

 

 

 

 

昨夜遅くの配信だったようですので今日、アップしました。


★致知出版社の「ご縁メール」

 

日本語なくして日本人なし

 

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明治大学文学部教授 齋藤 孝
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【日本語は意識的に守らなければ継承できない】

日本人として生を享(う)け、
日本語と共に生きてきた私は、
日本語こそが日本の最大の財産だと思っています。

もし日本列島に住む人々が一人も日本語を話さなくなったとしたら、
日本人は存在すると言えるのかと問われれば、
存在し得ないというのが私の考えです。

なぜなら、日本人は日本語を母語として育つ中で、
日本人的な思考や感性を身につけてきたからです。
私たちが個人的な考えや感情と勘違いしているものの多くは、
脈々と継承されてきた精神に他なりません。

つまり、先人の努力によって形を変えながら受け継がれてきた文化が日本語であり、
私たちはこれを次世代に伝えていく責務を担っているということです。

その意味で日本語がなくなった場合、
従来有してきた日本文化や伝統の維持は困難を極めます。
日本人のアイデンティティーが失われていった時には、
もはや日本人は存在しないも同然でしょう

 

 

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(1月10日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

あなたは、あなた自身と最も親密に生きて行かなければなりません。他の人は出て行けます。しかし、自分を取り除くことはできません。自分自身に出会うことを止めることはできません。

Remember, it is yourself you have to live with the most.
Others can move out of the way.
You can't move, or you can't refrain from meeting thine own self.

(4028-1)

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

心はどこにある(?)のでしょうか


バラ十字会日本本部

 

【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1174407&c=3304&d=ed84

 

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。

これが、2025年最初の配信になります。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。



━…………………━

文章を以下に転載していますが、記事が分かりやすくなるイラスト、美しい写真が含まれていますので、下記URLをクリックしてお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1174408&c=3304&d=ed84

(心はどこにある?そもそも心とは何か、心臓や脳との関係も解説

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◆ そもそも心とは何か?

「心はどこにある?」という問題を考えるためには、「そもそも心とは何か」をはっきりさせておかなければなりません。


AI(Articicial Intelligence:人工知能)の進歩とともに、この問題は重要さを増しています。


一例ですが、食品加工を行う工場で、ベルトコンベアーを流れてくる魚を分類する装置のことを考えてみましょう。


この装置は、センサーの役割を果たす動画カメラと、画像情報を処理するAI、判定結果によって動くロボットの組み合わせからできています。


では、この装置に心はあるでしょうか。



多くの人は、ないと考えることでしょう。

では心を持つ人間と、この装置にはどこに違いがあるのでしょうか



人間も、視覚によって得た情報を脳によって処理し、魚の種類を記憶と経験と思考によって判定することができます。

ここまでは先ほどの装置と同じです。

ですから人間の知覚から判定までの働きは「心」とは呼べないと考えるのが妥当なように思われます。



しかし判定の結果、「ああ、これはイサキだ!」と感じたとき、そこには心が働いているように日常的な感覚では思われます。



同じことは、夕焼け空を見たときにも言うことができます。


空のある部分の色がオレンジ色であることを判定する機械を人工的に作ることはできるでしょうが、「ああ、夕焼けだ!」と感じることは、単にオレンジ色を判定することとは異なります。



このように、人間の知覚には独特の質感が伴っているように思われ、哲学や脳科学でこの質感には「クオリア」(Qualia)という名前が付けられています。


「クオリア」(質感)を感じることが心(意識)の特徴だと多くの哲学者が考えています。


別の言い方をすれば、「ああイサキだ!」、「ああ、夕焼けだ!」というできごとは、何らかの主体がそれを意識したということがその要点であり、心とは「何かを意識する(気づく)主体」だと言うことになります。



生成AIに質問すると、私には意識(心)はありませんという答えが返ってきますし、私もそう考えています。


しかし、生成AIに心があるという誤解はとても一般的であり、そこから多くの問題が生じています。



参考記事:「生成AIは危険?芭蕉の俳句についてChatGPTと真剣に議論して分かったこと」

ahttps://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1174409&c=3304&d=ed84



さて以上の実例で、「心とは何か」がおおむね明らかになったことと思いますが、「心はどこにある?」ということはさらに難しい問題です。


私の知る限り、この問いには結論が出ていませんので、以下では、主な説を列挙してご紹介することにします。


(イラスト:心とは何か)


◆ デカルトの心身二元論 - 心に場所はないが、松果体と深く関連している

フランスの哲学者デカルト(1596-1650)は、「心とは何か」という問いに、とてもわかりやすい説明を行っています。



デカルトの考えによれば、人間は物質からなる体と、物質ではない心の2つから構成されています。


この考え方は心身二元論と呼ばれます。「二元論」とは世界が(この場合は人間が)2つの異なる要素から構成されているという意味です。


脳はどうでしょうか。デカルトの考えでは、脳は物質からなる体の一部であり、物質でない心と脳とは異なります。



それでは、体と心の関係はどのようになっているでしょうか。


体には、眼、耳などの感覚器官があり、感覚器官によって外界の情報を得ることができます。


外界に何かの変化があると、それが感覚器官によってとらえられて脳に届き、脳の状態に変化を起こします。さらにこの変化は心に伝えられて、心の状態に変化を起こすとされます。



これは体から心に与えられる影響ですが、心から体に与えられる影響もあります。


一例ですが、人間が何らかの意図を持って行動するとき、まずその意図は心の中で作られ、脳に伝えられて、脳の状態に変化を起こし、さらにこの変化は神経によって筋肉に伝えられて、身体が動くとされます。


心身二元論は人気がありません。


というのも、物質である体と物質でない心が、どのように相互に影響を与えるかということが説明されていないし、おそらく説明できないと考えられるからです。



デカルトは、この相互作用は脳内にある分泌腺である松果体(松果腺)で起こるとしていましたが、その具体的なメカニズムを説明していません。


また、体は他の物質と同じように広がり(延長)を持ちある場所に存在するが、心には広がりもないし、特定の場所に存在するようなものではないとデカルトは考えました。


(イラスト:脳の解剖学的構造(松果体と脳下垂体の位置))


◆ 物理主義-心とは、体の情報ネットワークの機能なので、全身に、特に脳に存在する

物理主義(physicalism)とは、机や石のようなものだけでなく、動物や人間の感情や知識や意志なども、素粒子や電磁波などの物理的要素の集まりや活動であると考える立場です。


ですから、心は体の中に、主には脳に存在することになります。



物理主義をより極端にした唯物論(materialism)という考え方があります。


それは、宇宙に存在するのは素粒子や電磁波などだけであり、すべてのものは、その組み合わせや活動として説明できるという説です


宇宙がひとつの要素だけから構成されていると考える唯物論は、「一元論」の一種です。


物理主義の人は必ずしも唯物論ではありませんが、唯物論を信奉する人は、物理主義にならざるを得ません。


20世紀は、世界中の多くの人たちの生活が、産業技術によって豊かになった時代であり、産業技術を支えていたのは主にハード・サイエンス(物理学と化学)であったため、物理主義や唯物論は今でも多くの分野に強い影響力を持っています。



物理主義は、分かりやすく統一された世界についての見方ですが、決定的な欠陥があります。


それは、人間や動物の意識、特に人間の自由意志がどのように生じているかを説明できないことです。



物理学は完成が近い学問であるとされることがありますが、この点から見ると、世界や人間についての納得のいく説明を完成させるためには、さらに根本的な飛躍が必要とされるように思われます。


また、意識は決して説明ができないと考える哲学の立場もあります



人体についての近年の研究によって、人の心についての物理主義の考え方にも、大きな変化が起こりました。


NHKのテレビ番組「人体」の「神秘の巨大ネットワーク」という番組でノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥さんが話していたのですが、彼が学校で医学を学んだ頃は、人の体の生理的な働きは、全体としては脳が中心になってコントロールされていて、他の臓器は脳の命令に従っているという考えが主流だったのだそうです。



ところが、最新の研究によれば、脳、心臓、腎臓、肝臓、血管などは、すべてが、まるで感情と意志を持っているかのようにメッセージを発信しています。


そして、全体として情報のネットワークが作り上げられていて、臓器間の相互作用によって、その働きが保たれているということでした。



ですから、最近の物理主義では、心とは全身の情報のネットワークが持つ機能であると考えられているようです。


◆ 唯心論-世界全体は心の中にある、もしくは心と同一である


次は唯心論(idealism)をご紹介します。

「イデアリズム」という英語には、理想主義、観念論という訳語もあり、この3つは密接に関連しています。



さて今、私の左前方の、体から50センチほど離れた場所にはコーヒーカップが置かれています。


それを私は眼で見て情報を得ているわけですが、その情報は、コーヒーカップとは何かという観念と結びついて、私の心の中の像(感覚表象)になっています。



このコーヒーカップに手で触ったとしても、視覚による感覚表象に触覚による感覚表象が加わるだけで、コーヒーカップが心の中の対象であるということに、変わりはありません。


このように考えると、私たちが五感でとらえているものすべては、心の中にあることになります。


さらに考えを進めましょう、世界について考えるとき、私たちは、自分が知っている世界や自分が想像している世界について考えざるを得ません。


そのいずれもが、心の中の像、観念、想像、記憶などにあたりますので、世界全体は自分の心の中にあります。



言い方を変えれば、唯心論は、世界に存在するのは心の要素だけだと考えます。これは、先ほどの唯物論とは逆の極端にある一元論です。



しかし、歴史的に見れば唯心論は特殊な説ではありません。


一例ですが、興福寺と薬師寺が本山である法相宗で教えられている唯識説は、唯心論に分類されています(そうでないという説もあります)。



唯識説では、「識」(認識と体験)だけが世界に存在し、物と心の2つは凡夫(世界の真実を見ることがまだできない人たち)が、この「識」から考え出した妄想のような観念だとされます。


たとえば「心内の影像を心外の実境と見るな」(それが人生の苦の主因である)という言葉が残されています。


参考記事:『陰陽思想と一元論について』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1174410&c=3304&d=ed84



以上のように、唯心論では、世界全体が心の中にある、もしくは心と同一であると考えます。


◆ 汎心論-心は、潜在的には世界のいたるところに存在する


汎心論(panpsychism)は、ギリシャ語の「パン」(pan:すべて)と「プシュケ」(psyche:魂または心)が結びついた言葉で、元々は「すべてのものには心」があるということを意味していました。


東洋と西洋の哲学の両方に、古くから存在している考え方ですが、物理主義と二元論の中間に位置する有力な説として近年脚光を浴びています。


さまざまなバージョンがありますが、現代のある汎心論では、世界に存在するのは物質的なものだけであるが、しかし物質は「外側から」と「内側から」という2つの観点からとらえることができると考えます。


外側からとらえた物質は物理学的な挙動を示し、内側からとらえた物質は、さまざまな種類の意識によって構成されているとされます



参考文献:『意識-最後のフロンティア』(季刊雑誌『バラのこころ』No.175の冒頭記事)

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1174411&c=3304&d=ed84



現代の汎心論の哲学者には、ホワイトヘッド(Whitehead)、ハーツホーン(Hartshorne)、スプリッジ(Sprigge)などがいます。


◆ バラ十字会の汎心論-心はサイキック中枢(松果体、視床下部、心臓など)によって現れる


バラ十字会の人間の心についての説明は、汎心論の一種だと一般に考えられています。


(イラスト:人間の意識の4層構造)


この説では、上図のように人間の心が4つの層の意識に分類されています。



客観的意識とは五感によって外界を認識する部分、主観的意識とは、思考、記憶、想像、意志にかかわる部分、下意識とは、生理活動などの不随意運動にかかわる部分です。


宇宙意識は、宇宙のいたるところに、顕在的もしくは潜在的に存在する心であり、人間の心の中では、インスピレーション、新しい発想、道徳意識の源泉としての役割を果たしています。



そして、脳脊髄神経系、自律神経系、サイキック中枢(psychic center)がそれぞれの層を中継する役割を果たしています。



「サイキック中枢」は、多くの人にとって耳慣れない言葉だと思います。


当会の通信講座で詳しく学習する内容であり、ここでは概略しかお伝えできませんが、人体には主に7つの中枢があります。


サイキック中枢は、ヨガでチャクラと呼ばれているものにやや似た性質を持っています。



ご参考:バラ十字会の神秘学通信講座「人生を支配する」を一ヵ月無料で体験できます。詳しくは下記のボタンをクリックしてください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1174412&c=3304&d=ed84



白色光がプリズムに入ると7色に分かれるように、潜在的な心である宇宙意識が、7つのサイキック中枢の働きにより、人間の心の中に実際の意識として現れるとされます。


「心」という漢字はもともと心臓の象形文字でした。心臓はサイキック中枢の一つであり、世界中で生命力の象徴であるとともに、愛の意識の象徴とされているのは興味深いことです。


(イラスト:心臓の解剖学的構造は「心」という漢字に似ている)


サイキック中枢の中でも、脳内にあり、特に重要だとされているものに松果体と脳下垂体があります。


デカルトは、先ほど話題にしたように体と心をつないでいるのが松果体だとしましたが、このことは彼が、当時のバラ十字哲学の一部をよく知っていた証拠だとされています。



「人の心はどこにあるか」という問いは、「人に魂は存在するか」、「人の魂はどこにあるか」という問いに関わっており、バラ十字会の神秘学でも重要な話題のひとつです。


ブログ記事には、当会のフランス本部代表のセルジュ・ツーサンが、自身の人気のブログに、書いた関連記事が追加されていますので、どうぞそちらもお読みください(下記URL)。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1174413&c=3304&d=ed84




以下の記事では、「宇宙の魂」という考え方を、クリスマス・ツリーを飾る電球にたとえて説明しています。


ご興味があれば、こちらもどうぞ。


参考記事:『宇宙の魂について』(その1)

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1174414&c=3304&d=ed84



今回は、かなり込み入った、難しいご説明になってしまいましたので、次回は、もっと分かりやすいテーマを取り上げたいと思います


どうぞまた、お付き合いください(^^)/~



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■ 編集後記

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。今年もよろしくお願いいたします

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1174415&c=3304&d=ed84

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