新年明けましておめでとうございます。
旧年中は多くの方に母の介護について応援して頂いたり、ブログを読んで頂いたりして感謝しています。
今年が皆様にとってより一層素敵な1年となりますように心からお祈りしております。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
今朝もいつもの日曜日のように朝の7時のヘルパーさんから1日が始まりました。
昨夜母は寝る前に転倒したところを少し痛がっていましたので気になっていたのですが、やはり今日は動かすともっと痛いようでした。
そこで、今朝来てくださったヘルパーさんが昨日と同じヘルパーさんでしたのでご相談してどうしたらいいかということを考えました。
まず前の骨折の時にもこの方が来て下さっていまして状況がよくおわかりでしたので、前とは状況が全然違うのでまず大丈夫だろうということと、命に関わることではないということ、そして、今日は娘一家が帰ってくるので娘さんにも会わせてあげたいということでとりあえずはすぐに救急車を呼ばなくてもいつでも呼べるということで、一番いい方法は明日の朝救急車で病院に行って(やはり、ショート先も何もわからないでは困るので)、そして病院で母を乗せてくれるだろうからその足でショートステイに行ったら一番いいのではないかということで話が終わりました。
「娘さんが帰られたら判断が早いでしょうから、それに従われたらいいと思いますよ」とも。
又、母も心配だったのか病院に行きたがりました。
でも、娘一家は待てど暮らせど帰って来ず。
ヘルパーさんが帰られた後、母はお雑煮とおせちを前にして、「こんなおめでたい日にどうしてこんなことが起こるんだろう私は何か悪いことしたのだろうか」とボヤきましたので、「何も悪いことしていないけれども、年を取ったりパーキンソン病があったりするからどうしてもよほど注意していないとこういうことになってしまうのよ」と話をしました。
その後、お台所で(今日は私ひとりでは母を動かさない方がいいと言われていました。母の足が萎えていましたので)、駅伝を観たり新聞を読んだりして過ごしました。
それから、11時半に同じヘルパーステーションの別の方が来てくださって、今日はお一人でお時間もおありとのことで、本当はいけないのでしょうが、ご一緒に昼食を食べたりしながらおしゃべりを楽しみました。
そして、ヘルパーさんが帰られてしばらしくして後の2時前に、娘一家が帰ってきました。
訪問介護に来てくださるクリニックが「県外の人にはもし可能なら全員抗原検査をして欲しい」ということを言われていましたので抗原検査を受けたりしたら遅くなってしまったようでした。
そして、一緒に食事することも避けた方がいいと思って食事もして帰ってきました。
一通り母の様子を聞いて、診察をして「まあ大丈夫だろうとは思うけれども、こればかりはレントゲンを撮ってみないとわからない。今、手があるから病院に連れて行けるから行こうか」という話になりました。
お婿ちゃんが母を抱いて私の車に乗せてくれました。
ついでに「ママも抱っこすることできるよ」と言って人生初かな
お姫様抱っこを2回もしてくれました
帰ってきてからもですが、その後も何かにつけてハグハグして、もうおもちゃにされた一日でした
病院には娘が付き添ってくれました。
一応彼女は介護の何級かを勉強して取ったようで、割とテキパキしてくれて私が慌てて母を着替えさせたりしていると「なんて雑なんだ」みたいな感じで言っていましたけれども、夕方にはその娘も母から「なんて雑なんだ」と言われていておかしかったです
病院に着いて、レントゲン結果を聞くまではもしかしたら入院かもしれないと思って、またお薬とかある程度のものは用意して行っていたのですが、本当にまた奇跡的に運良くヒビも入っていませんでしたし、もちろん骨折もしていませんでした。
もう本当に安堵して心から良かったと皆が思ったはずなのですが、やはり母だけは懲りていないことがその後に発覚。
レントゲンを待っている間に娘の仕事の様子を聞きました。
やはり私はホスピスにいた関係で、人の死や死に方には関心が向きます。
ICUでの様子やその死について話を聞きました。
病院から帰ったのは4時半頃だったと思うのですが、その後おせちを食べたり(抗原検査はして帰ってはきましたが、安全とは言えないので別室で食べていましたし、全員マスクを徹底させていました)お風呂に入ったりして、そうして我が家を出たのは8時頃。
娘たちを送って中に入ると、母はまた立って歩こうとしていました
もうどうしてわからないのだろうかと思うと情けなくて大泣きしそうな感じでした。
(泣きはしませんでしたが)
暖簾に腕押しとはこのこと。
「家に最後まで居たくないの」と聞いても黙っています。
病院でも言っていましたが、歩けると思うのだそうです。
そう思ってもう50回は軽く転んでいます
「年を取るとみんなある程度こうなってしまうし、ましてパーキンソン病があるからそれを受け入れて、家にいたいんだったら我慢しないといけないことは我慢して、自分と折り合いをつけて生きていかないと最後まで家にいられないよ」ということは朝懇々と話をしたのですが、私の言った言葉は全く母の心には響かないのでしょうか
今日は娘一家がいてくれたおかげで手伝ってもらえましたので、介護が楽でした。
人の目や手があるということ。
一人ではないということは本当に心身共にこんなにも楽なんだと思いました。
今日はもう、ひっきりなしに母に呼ばれたり、娘に呼ばれたり、お婿ちゃんに呼ばれたり、孫たちに呼ばれたり、もうてんやわんやでしたけれども忙しかったですが充実した一日でした。
元旦の朝食
岡山スタイルのお雑煮
昔は姥貝を甘辛く煮て入れていましたが、今ではなかなか姥貝を見つけることは難しいです。
お醤油味で、ぶりが入るのが一番の特徴でしょうか。
病院
先日まで入院していたので受け入れてくれたのかもしれないと娘が言っていました。
それから、医者への説明の仕方が悪いとも言われました。
医者の情報としてほしいことを言い、必要でないことは言わなくていいと言われても、難しい。。。
でも、起承転結。
簡潔に話す習慣は付けていた方がよさそうです。
元旦早々入院にならなくて良かったです。
9歳の孫娘がお抹茶を入れてくれました。
お手本を見せるとひどく感動してくれました
練習してこのように点てることが出来るようになりました。
今4歳の男の子の茶道は今年から始まるそうです。
娘が帰って来た時にちょうど「やっぱり果物が食べたいね」と言って切っていましたが、そのまま病院に行きましたので、皆が帰ってから続きを切って食べました。
🍍パイナップルなどすっかり忘れていました。
断捨離で出てきた「昭和レトロ」なセーター。
私が着たもの、娘や息子が着たものを持って帰らせました。
又、膨大な写真をどうするかの話もしました。
3~4月頃、暖かくなったらおばあちゃんがお墓参りに行けても行けなくてもその時に必要なものはスキャンするとのこと。
ついでに母や私の若い時や小さい時の写真を見せると、これが2人には一番受けて、しばし楽しい時間を持つことが出来ました。
母もやっとまともにアルバムを見ていました。
このアルバムが見つかったことはとっても良かったと思います。
上皇上皇后両陛下を幼稚園(ミッションスクール)でお迎えした時、私が一番にお迎えするお役目でしてお話をしました。
その時の写真もあって懐かしかったです。
美智子様の初々しい美しさが素敵でした
娘には私の定期健診の数値も見てほしかったのですが、娘も「見せて」と言いつつ、気が付いたのは皆が帰ってのんびりお風呂に入っている時でした。
あまりにも慌ただしかったです。
今日は毎年欠かさず観ているウイーンフィルのニューイヤーコンサートを半分以上過ぎてから見始めました。
確か明日に再放送があったような。。。
明日、母をショートに送り届けたら(三が日は送迎がないそうです)、ゆっくりしたいですが、今日一日で家中がひどい状態に
ところで、息子一家はコロナに感染したようです。
今のところ、お嫁ちゃんだけが感染を免れているようです。
U.S.A. For Africa - We Are the World
★致知一日一言 【今日の言葉】
新年の始まりにこの言葉を贈ります
皆様、明けましておめでとうございます。
よき新年をお迎えのことと存じます。
今年も皆さまの人生の糧となる配信を
心掛けて参りますので、
どうぞよろしくお願いします。
一、年頭まず自ら意気を新たにすべし
二、年頭古き悔恨(かいこん)を棄(す)つべし
三、年頭決然滞事(たいじ)を一掃すべし
四、年頭新たに一善事を発願(ほつがん)すべし
五、年頭新たに一佳書を読み始むべし
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安岡正篤(東洋思想家)
『安岡正篤一日一言』より
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