亡き叔母に ピアノ聴かせり 天の川
なきおばにぴあのきかせりあまのがわ
日焼田に ピアノ流れり 風ととも
ひやけだにぴあのながれりかぜととも
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後に長崎郊外に「鳴滝塾」を設け、日本に蘭学や西洋医学を伝えたシーボルトが、文政6年7月6日(新暦1,823年8月11日)に、日本に来日した際にピアノを持ち込んだとの記録があり、これがピアノが日本に持ち込まれたことが分かる最古の記録となっている。
日本で初めてピアノが製造されたのは、一般的には1900年(明治33年)、日本楽器製造株式会社(現 ヤマハ株式会社)の山葉寅楠が、若手の松山大三郎、山葉直吉、河合小市(後の河合楽器の創設者)らとともに製作したアップライト型のピアノとされています。
しかし、これ以前にも西川寅吉が、横浜のイギリス人やドイツ人からオルガンやピアノの製造法を学び、西川風琴製造所を設立して、1886年(明治19年)からピアノの製造を始めていますし、山葉寅楠も日本楽器製造の前身である山葉風琴製造所時代の1890年(明治23年)に製造、両社の社名に「オルガン」が用いられているのは、当時は製造の難易度もさることながら、輸入ピアノと比べて安価なオルガンの需要が大きかったからでしょう。
しかし、これらのピアノはいずれも、国産化したのは外部の木工部分だけで、内部の主要部品のほとんどは海外からの輸入というものでした。何をもって国産とするかという定義はむずかしいところですが、ミュージックワイヤはピアノの輸入当初から輸入品に頼りつづけ、国産化されたのは戦後のことになります。
そもそも一般のピアノ線さえも1938年(昭和13年)まで輸入に頼っており、素材からのオール国産化が出来たのは、太平洋戦争が始まる1941年(昭和16年)のことで、時局がら、民需より軍需が優先されたのもやむを得ないことでしょう。
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若い頃小学校の先生をしていた人からオルガンを貰ったことがありました。
取っておけば良い味を出していたかも知れないな~と今頃になって思います。
息子は10年位エレクトーンを習っていました。
今は末っ子の孫ちゃんがピアノを習っています。
将来はピアニストも選択肢に入るくらい上達しました。
中学生になって部活もするようになり忙しそうですが、学校へ行く前と夕食の後は必ずピアノを弾いています。
ここ2-3年で急激にピアノが上手くなった理由は、ピアノ教師の教え方が上手いのだと思います。
上手くなるとやる気も出るようです。
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昨日は前髪だけパーマをかけてきました。
カラオケ発表会のシュミレーションで、髪が結構長いのでアップにするかを迷いましたが、アップにすることにしました。
私どもの教室のカラオケ発表会も今年度が最後になるので、少し気合いが入りますね。