母連れて行く 菩提寺の盂蘭盆会
ははつれていくぼだいじのうらぼんえ
盆棚に ハウス蜜柑を 供えけり
ぼんだなにはうすみかんをそなえけり
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盂蘭盆会は、「盂蘭盆経」で説かれている「親孝行の教え」に由来しています。
盂蘭盆という言葉は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語で「逆さ吊り」という意味ですが、どうして「逆さ吊り」という言葉が使われるのでしょうか。
お釈迦様の十大弟子の一人に、神通力第一といわれる目連尊者という弟子がいました。
ある日、目連が自分の神通力で亡くなった母親の姿を見たところ、母親は餓鬼の世界(餓鬼道)に堕ちており、逆さ吊りにされて飢えと渇きに苦しんでいたそうです。
母親を救おうと、神通力で食事や飲み物を送っても、目前で灰と化してしまい、凶器となって母親をさらに苦しめてしまうこととなったそうです。
嘆き悲しんだ目連尊者がお釈迦様に、何とか母親を救いたい、と相談したところ、自分の力は母親だけのために使うのではなく、同じ苦しみを持つすべての人を救う気持ちを持つように、と諭されたそうです。
そこで、目連尊者は安居(雨期に行われる僧の修行)を終えた修行僧たちに、食べ物や飲み物、寝床などを捧げたところ、修行僧たちは大変喜び、その喜びが餓鬼の世界まで伝わり、母親が救われたということです。
安居が開ける日を解夏(げげ)と呼びますが、その日が旧暦7月15日だったのです。
「盆と正月」という言葉があるように、日本では「盂蘭盆会」は親族や親戚、親しい人々が集まり、亡くなった方を偲び、先祖に感謝し供養する大切な仏教行事です。
日本においては、盂蘭盆会は、仏教の「餓鬼道に堕ちた者を供養によって救う」という意味に加えて、日本古来の祖霊信仰(祖先の霊を敬う)が融合した形で広まっていきました。
日本に「盂蘭盆会」が伝わったのは、7世紀頃といわれています。
最初は宮中の行事として行われており、「日本書紀」には、斉明天皇や聖武天皇の時代に盂蘭盆経を講じ、供養を行った様子が記されています。
聖武天皇時代の733年以後は、恒例の仏教行事として毎年供養が行われるようになり、その後、貴族社会や武家社会へと広がっていきました。
鎌倉時代末期には、民衆の間でも先祖のために読経し、供え物をするという風習が広がったそうです。
盆棚(精霊棚)を準備し、菩提寺の僧に棚経をあげてもらうという供養が行われるようになったのは、江戸時代初期に寺請け制度が始まった頃からです。
迎え火や送り火の風習も、江戸時代に入って盛んに行われるようになりました。
盂蘭盆会は、お盆や盆会、魂祭り、お精霊祭りなどとも呼ばれ、行事の時期や風習は宗派や地域によってさまざまです。
東京や一部の地域では7月に、その他の地方では1カ月遅れの8月に行われていることが多いようです。
お盆にまつわる行事としては、七夕や盆踊り、迎え火、送り火、精霊流し、花火大会などがあります。
地方によっても、京都の「五山の送り火」、岐阜の「郡上おどり」、徳島の「阿波踊り」、長崎の「精霊流し」、沖縄の「エイサー」など、さまざまな行事が行われます。
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新暦でお盆をする網走は、お盆の頃には大規模な花火大会をします。
海岸で花火を打ち上げるので邪魔になる大きな建物もなくとても見やすいです。
約4,000発の花火は見ごたえもあり、網走近辺の市町村からたくさんの人がやってきます。
網走道の駅付近が会場となります。
私は今年は会場へ行くのは無理なので、我が家の三階の屋根裏部屋からの観覧となりそうです。
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昨日はカラオケ教室がありました。
三週間ぶりのカラオケ教室でしたが歌詞を間違うことも無く歌えました。
良かったです。