
そのあと高速自動車道を通って南部に移動し、昼食をとってから南風原陸軍病院壕址に行った。初めてここに来たのは大学4年生のときだったので、もう27年前になる。当時は落盤して埋まっている壕もあれば、まだ自由に入れる壕もあった。現在は戦争遺跡として南風原町指定の文化財となり、整備事業が進められている。一部の壕の内部が公開されているが、事前申込が必要で、昨日は黄金森の中を通り、周辺を見学して回るだけにした。悲風の丘の碑に花束を捧げ、線香を立てている家族があった。森にはあちこちにサンニン(月桃)の花が咲いていた。
沖縄戦のとき、撤退する軍についていけなかった重傷者たちは、壕の中で毒殺されたり、手榴弾を渡されて自決を命じられた。同じことはサイパンでも起こっている。今は蝉が鳴き、風が吹き渡る森で、どれだけの人が死んでいったことか。
沖縄戦のとき、撤退する軍についていけなかった重傷者たちは、壕の中で毒殺されたり、手榴弾を渡されて自決を命じられた。同じことはサイパンでも起こっている。今は蝉が鳴き、風が吹き渡る森で、どれだけの人が死んでいったことか。