海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

09年 沖縄戦慰霊の日 3

2009-06-24 18:43:13 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 午後3時から識名霊園で南洋群島戦没者慰霊祭が開かれたので、それにも参加させてもらった。慰霊碑はガジマルが枝を広げる下にあり、敷地のまわりには南洋桜(ホウオウボク)やクワディーサーが植えられ木陰を作っている。その下にテントが張られて参列者が座っていたが、用意された椅子が足りなくて立っている参加者も多かった。ただ、年々帰還者会の会員が減るにつれて、慰霊塔の維持管理も財政的に厳しくなっているようだ。しかし、県内の慰霊祭の中では、県知事(代行)や県議会議長のあいさつもあり、大きな扱いがなされている分、まだ存続の不安は少ない方だろう。
 慰霊碑に向かって拝礼したあと、南洋群島帰還者会理事の森山紹一氏が開会のあいさつを行った。あいさつの中で森山氏は、先頃亡くなった宜野座会長のことについて触れていた。そのあと護国寺の住職が読経を行い、帰還者会会長代行の平良善一氏による追悼の言葉、理事の富本裕英氏による遺族代表あいさつが続いた。知事(代行)や県議会議長などの焼香のあと、全参加者の焼香が行われた。
 会場で仲松さんという遺族の方から『南洋の墓参』という琉歌集をいただいた。その中から三首紹介したい。

 南洋の墓参       なんようぬぼさん
 初めての参加      はじみてぃぬさんか
 長年の詫びよ      ながにんぬわびゆ
 涙し拝む         なだしうがむ

 波も打ち寄る       なみんうちゆしる
 テニアンの浜に     テニアンぬはまに
 啼きよる浜千鳥     なちゅるはまちどぅい
 兄座がやゆら       しざがやゆら

 六月になれば      るくぐゎちになりば
 テニアンの島に     テニアンぬしまに
 虹の橋かけて      にじぬはしかきてぃ
 渡てみぼしゃ       わたてぃみぶしゃ

 あとがきを読むと仲松氏は、テニアンで兄と弟を亡くされたとのこと。遺族にとって身内の死は、いつまでも一般化されることのない個別の死だ。遺族にとって決して忘れることのできない、その生と死の個別性に目を向ける努力をしたい。

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