午後3時から識名霊園で南洋群島戦没者慰霊祭が開かれたので、それにも参加させてもらった。慰霊碑はガジマルが枝を広げる下にあり、敷地のまわりには南洋桜(ホウオウボク)やクワディーサーが植えられ木陰を作っている。その下にテントが張られて参列者が座っていたが、用意された椅子が足りなくて立っている参加者も多かった。ただ、年々帰還者会の会員が減るにつれて、慰霊塔の維持管理も財政的に厳しくなっているようだ。しかし、県内の慰霊祭の中では、県知事(代行)や県議会議長のあいさつもあり、大きな扱いがなされている分、まだ存続の不安は少ない方だろう。
慰霊碑に向かって拝礼したあと、南洋群島帰還者会理事の森山紹一氏が開会のあいさつを行った。あいさつの中で森山氏は、先頃亡くなった宜野座会長のことについて触れていた。そのあと護国寺の住職が読経を行い、帰還者会会長代行の平良善一氏による追悼の言葉、理事の富本裕英氏による遺族代表あいさつが続いた。知事(代行)や県議会議長などの焼香のあと、全参加者の焼香が行われた。
会場で仲松さんという遺族の方から『南洋の墓参』という琉歌集をいただいた。その中から三首紹介したい。
南洋の墓参 なんようぬぼさん
初めての参加 はじみてぃぬさんか
長年の詫びよ ながにんぬわびゆ
涙し拝む なだしうがむ
波も打ち寄る なみんうちゆしる
テニアンの浜に テニアンぬはまに
啼きよる浜千鳥 なちゅるはまちどぅい
兄座がやゆら しざがやゆら
六月になれば るくぐゎちになりば
テニアンの島に テニアンぬしまに
虹の橋かけて にじぬはしかきてぃ
渡てみぼしゃ わたてぃみぶしゃ
あとがきを読むと仲松氏は、テニアンで兄と弟を亡くされたとのこと。遺族にとって身内の死は、いつまでも一般化されることのない個別の死だ。遺族にとって決して忘れることのできない、その生と死の個別性に目を向ける努力をしたい。
慰霊碑に向かって拝礼したあと、南洋群島帰還者会理事の森山紹一氏が開会のあいさつを行った。あいさつの中で森山氏は、先頃亡くなった宜野座会長のことについて触れていた。そのあと護国寺の住職が読経を行い、帰還者会会長代行の平良善一氏による追悼の言葉、理事の富本裕英氏による遺族代表あいさつが続いた。知事(代行)や県議会議長などの焼香のあと、全参加者の焼香が行われた。
会場で仲松さんという遺族の方から『南洋の墓参』という琉歌集をいただいた。その中から三首紹介したい。
南洋の墓参 なんようぬぼさん
初めての参加 はじみてぃぬさんか
長年の詫びよ ながにんぬわびゆ
涙し拝む なだしうがむ
波も打ち寄る なみんうちゆしる
テニアンの浜に テニアンぬはまに
啼きよる浜千鳥 なちゅるはまちどぅい
兄座がやゆら しざがやゆら
六月になれば るくぐゎちになりば
テニアンの島に テニアンぬしまに
虹の橋かけて にじぬはしかきてぃ
渡てみぼしゃ わたてぃみぶしゃ
あとがきを読むと仲松氏は、テニアンで兄と弟を亡くされたとのこと。遺族にとって身内の死は、いつまでも一般化されることのない個別の死だ。遺族にとって決して忘れることのできない、その生と死の個別性に目を向ける努力をしたい。