ヤンバルの桜も見頃はこれからである。2月1日からは日本ハムの名護キャンプも始まる。今年は斎藤佑樹投手が参加するということで、かなりの人出が予想されている。海洋博記念公園の水族館や今帰仁城址など観光地巡りをする人も多いと思うが、八重岳に花見に訪れる人たちに、ぜひ以下の戦跡も見学してほしい。八重岳は沖縄戦において北部の戦闘の中心地であったことを記憶にとどめたい。




八重岳の麓から沿道の桜を眺めながら登っていくと、山頂に向かう途中に「三中学徒之碑」がある。沖縄戦で学徒動員され、戦闘に参加して犠牲になった沖縄県立第三中学校(現名護高校)学徒の慰霊塔である。隣接して駐車場があるので、ぜひ車を降りて碑の説明文も読んでほしい。碑の正面にあるマブ山は日米両軍の激しい戦闘が行われた場所であり、海の向こうに同じく激戦地となった伊江島を望むことができる。



「三中学徒之碑」から山頂向けに50メートルほど行くと、右(マブ山)に折れる道がある。車が1台通れるほどの道で対向車や側溝に注意が必要だが、2.2キロほど行くと「清末隊慰霊塔」という案内板が立っている。案内板に向かって左手にある道を進むと奥に「清末隊之塔」がある。石碑の裏面には「一九五九年十一月七日建立」と刻まれている。隣に「故陸軍中尉清村敏治之碑」が並んで建てられている。



案内板近くの森の中には、清末隊の壕の跡が残っている。固い琉球石灰岩の自然洞窟を利用したもので、岩の割れ目を抜けて奥に行くと壕の跡がある。草木が茂った岩場なので見学する際にはハブに要注意。
清末隊之塔から50メートルほど坂道を下った道沿いにも、清末隊連隊砲陣地壕入口を示す案内板や戦死した日本兵の名を記した碑などが建っている。



名護から八重岳に向かう途中、本部町伊豆味区事務所(公民館)から50メートルほど行った県道84号線沿いに、日本軍に虐殺された照屋忠英氏の遺徳を顕彰する碑が建っている。八重岳の花見期間中に限らず、海洋博記念公園の水族館を見に行く大勢の観光客が連日、車でこの碑のそばを通っている。しかし、碑の存在に気づく人は少ないだろう。伊豆味ベゴニア園や自然石庭、やちむん喫茶シーサー園などの看板を目印に、ぜひ一度は車を止めて碑を見学してほしい。
沖縄戦当時、照屋氏は本部国民学校の校長を務めていたが、1945年4月18日、日本軍にスパイの嫌疑をかけられて暴行を受け、殺害されている。スパイというのはまったくの濡れ衣であり、照屋氏は教育者として地域の尊敬を受ける人物であった。1977年4月18日、照屋氏の遺徳をしのび、氏の教え子、同僚、知友、後輩によって同碑が建立された。また、照屋忠英遺徳顕彰碑期成会編『鎮魂譜 照屋忠英先生回想録』も発行されている。




八重岳の麓から沿道の桜を眺めながら登っていくと、山頂に向かう途中に「三中学徒之碑」がある。沖縄戦で学徒動員され、戦闘に参加して犠牲になった沖縄県立第三中学校(現名護高校)学徒の慰霊塔である。隣接して駐車場があるので、ぜひ車を降りて碑の説明文も読んでほしい。碑の正面にあるマブ山は日米両軍の激しい戦闘が行われた場所であり、海の向こうに同じく激戦地となった伊江島を望むことができる。



「三中学徒之碑」から山頂向けに50メートルほど行くと、右(マブ山)に折れる道がある。車が1台通れるほどの道で対向車や側溝に注意が必要だが、2.2キロほど行くと「清末隊慰霊塔」という案内板が立っている。案内板に向かって左手にある道を進むと奥に「清末隊之塔」がある。石碑の裏面には「一九五九年十一月七日建立」と刻まれている。隣に「故陸軍中尉清村敏治之碑」が並んで建てられている。



案内板近くの森の中には、清末隊の壕の跡が残っている。固い琉球石灰岩の自然洞窟を利用したもので、岩の割れ目を抜けて奥に行くと壕の跡がある。草木が茂った岩場なので見学する際にはハブに要注意。
清末隊之塔から50メートルほど坂道を下った道沿いにも、清末隊連隊砲陣地壕入口を示す案内板や戦死した日本兵の名を記した碑などが建っている。



名護から八重岳に向かう途中、本部町伊豆味区事務所(公民館)から50メートルほど行った県道84号線沿いに、日本軍に虐殺された照屋忠英氏の遺徳を顕彰する碑が建っている。八重岳の花見期間中に限らず、海洋博記念公園の水族館を見に行く大勢の観光客が連日、車でこの碑のそばを通っている。しかし、碑の存在に気づく人は少ないだろう。伊豆味ベゴニア園や自然石庭、やちむん喫茶シーサー園などの看板を目印に、ぜひ一度は車を止めて碑を見学してほしい。
沖縄戦当時、照屋氏は本部国民学校の校長を務めていたが、1945年4月18日、日本軍にスパイの嫌疑をかけられて暴行を受け、殺害されている。スパイというのはまったくの濡れ衣であり、照屋氏は教育者として地域の尊敬を受ける人物であった。1977年4月18日、照屋氏の遺徳をしのび、氏の教え子、同僚、知友、後輩によって同碑が建立された。また、照屋忠英遺徳顕彰碑期成会編『鎮魂譜 照屋忠英先生回想録』も発行されている。