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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

旧正月

2008-02-07 05:34:33 | 生活・文化
 みーどぅしんあきてぃ、くとぅしんゆたしくうにげーさーびら(新年も明けて、今年もよろしくお願いします)。
 旧正月である。昨日はとぅしぬゆる(年の夜=旧暦の大晦日の夜)ということで、今帰仁の実家で母の作ったソーキ汁を食べてきた。
 子どもの頃というと日本復帰前の話だが、そーがちぅわー(正月豚)を家の庭で解体していたのを思い出す。当時は村のあちこちで旧正月に向けて解体される豚の鳴き声が聞こえていた。生き物の断末魔の声というのは凄惨なものだが、子どもの頃は可哀想という気持ちよりも、好奇心の方が先に立っていた。
 家の近くに豚のがあり、小学校の帰りに時々中の様子を眺めていた。ハンマーで豚の頭を何度も殴って殺し、刃物で喉を割いて血を採ったり、腹を割くと内臓がどばっと溢れ出すところなどを鮮明に覚えている。剥ぎ取ったちらがー(面の皮)をガスバーナーであぶっているのを見ると、面白そうでやってみたかった。小腸や大腸を手でしごいて内容物を出していた場面は、中味汁を食べているときには思い出したくないが。
 家でそーがちぅわーを解体した頃は、まだ冷蔵庫がなく肉を塩に漬けて保存していた。脂身は鍋で火にかけて、ぅわーあんだ(豚脂=ラード)をとっていた。そのあとのかりかりした残りを、あんだかし(脂かす)というが、塩を付けて食べたりした。以前、コザ高校で働いていた頃、沖縄市のパークアベニューから路地を少し入ったところにあるフィリピン料理店で飯を食おうとした。メニューがよく分からないので適当に頼んだら、あんだかしが皿に山盛りになって出てきた。フィリピンでもあんだかしを食べるのかと思ったが、あんだうい(脂酔い)して四分の一も食べきれなかった。
 以来あんだかしを食べていないが、そもそも家でラードをとることもなくなった。植物性の油が沖縄の一般家庭に普及したのはいつ頃からだろうか。父が、ソーミンチャンプルーやぅわーあんだやらんねーまーくねん、と言っていたのを思い出す。
 最近は今帰仁アグーの評価が高まっているが、三枚肉の好きだった祖父や、昔ぬぅわーやまーせーたん、と母に言っていたという父に今帰仁アグーを食べさせたかった。

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