海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「風流無談」第1回

2008-02-09 04:18:05 | 「風流無談」
 2007年6月から琉球新報紙の文化欄で月一回「風流無談」というエッセーを連載している。掲載は第一土曜日の朝刊である。昨年は教科書検定問題や大江・岩波沖縄戦裁判について書くことが多かった。昨年分を以下に載せておきます。

「風流無談」第1回:琉球新報2007年6月2日付朝刊掲載
 高校時代、学校の図書館にあった吉原公一郎編『沖縄本土復帰の幻想』(三一書房)という本を借りて読んだ。一九七二年の施政権返還から六年が経ったばかりで、おそらく、その刺激的な題名に興味を持ったのだろう。高校生にどれだけの理解ができたかと思うが、「本土復帰」についてこういう考えもあったのか、と新鮮な驚きを覚えた記憶がある。
 そのあと大学時代に一部読み返したことはあったが、今年の五・一五を前に二十数年ぶりに再読した。読み終えて、三一書房でも他の出版社でもいいから復刊してくれないかな、と思った。現在でも読まれるに値する議論や文章がこの本には詰まっている。
 その中に、一九六八年八月十一日に早稲田大学沖縄学生会が主催したティーチ・インで、新崎盛暉氏が発表した報告が載っている。その一節を引用したい。
 〈平和憲法の成立ということを考えてみると、私は憲法を成立せしめたその基礎には、沖縄の分離がその前提として存在したと思うのです。つまり、日本を占領した米軍は、沖縄を完全かつ単独に、全面的に支配し、基地化することを前提にして、初めて、たとえば部分的に民主主義だとか、平和主義とか、人権擁護という理念を盛り込んだ政治体制…(中略)…を、日本本土に認めることが可能であったという具合に考えるのです。そこには憲法の成立当時からいわば構造的な矛盾というものが存在したのだと私は思います〉 
 近年、政治学者の古関彰一氏やダグラス・ラミス氏らによって、憲法九条の成立の背景に沖縄の米軍基地建設や(象徴)天皇制の維持があったことが論じられている。『うらそえ文芸』12号(二〇〇七年五月発行)の「特集・憲法九条論」でも、複数の論者がこの問題に触れている。 
 新崎氏の文章を読むと、憲法成立と沖縄をめぐる「構造的矛盾」が、沖縄の地ではすでに六〇年代から議論されていたことが分かる。しかし、それから四十年が経った今日においても、その「構造的矛盾」が「本土」の人々に広く認識されるにはいたっていない。
 「日本復帰」から三十五年を迎えようとする五月十五日の前日に国民投票法案が成立したのは、憲法をめぐる「本土」と沖縄の関係を象徴するかのようだ。法案を論じた国会議員のどれだけが、自分達が論じている憲法と沖縄の「構造的矛盾」を考えただろうか。
 国会議員だけではない。改憲、護憲、論憲、創憲など、憲法を論じる諸々の立場の人がいて、特に憲法九条をめぐって議論をたたかわせている。その中で、九条と沖縄の米軍基地、それを法的に支えている日米安保条約の関係を論じる人は、どれだけいるだろうか。
 改憲派は言うに及ばず、全国各地で次々にできている九条連などの護憲派団体においても、憲法と沖縄の「構造的矛盾」はほとんど無視されている。米軍基地や日米安保の問題を問わない護憲運動とは、基地の負担は沖縄に背負わせたまま、日本「本土」だけは平和であればいい、という虫のいいあり方を、これからも続けたいというものではないのか。
 沖縄では今、南西領土・島嶼防衛を打ち出した自衛隊の強化が急速に進んでいる。米軍と自衛隊が一体化して軍事活動を行う拠点としての沖縄。これが「日本復帰」三十五年目の現実である。仮に憲法九条が「改正」されれば、そのとばっちりを一番食うのが沖縄であるのも間違いない。沖縄に住む私たちにとって、憲法と沖縄の「構造的矛盾」をどれだけ「本土」に突きつけられるかが、今あらためて重要になっている。
 紙幅は少ないがもう一つ触れたい。県立博物館・美術館の初代館長に前副知事の牧野浩隆氏が内定したという報道がなされている。牧野氏は大分大学経済学部出身で、琉球銀行を経て、稲嶺県政下で副知事を務めた。経済や行政に関しては豊富な知識や経験を有しているかもしれないが、美術や歴史、考古学、博物館や美術館の運営に関しては、どれだけの専門知識や経験があるのか。経営能力を評価する声もあるようだが、稲嶺県政の八年間で県の財政状況はよくなったのか。社長を務めた県物産公社の経営でも、むしろマイナスの結果をもたらしたのではなかったか。
 これまで県立博物館・美術館に関しては、主に県内の美術関係者から、博物館と美術館の館長が兼任されることや指定管理者制度の導入など、管理・運営のあり方に関して質問や問題提起がなされてきた。それに対する県の対応は不十分なまま、開館に向けての準備が進められてきたように思う。
 県関連団体の長には、しばしば副知事や教育長などの県幹部が退任後すぐに就任する。今回の人事も「天下り先」が一つ増えたと考えられているようなら、大きな問題だろう。県立博物館・美術館の運営が経営効率優先で進められていけば、観光施設の一つにはなり得ても、新しい芸術家や研究者を生み出す創造的な場所になり得るか疑問である。

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