海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

満州語について

2009-10-03 18:12:53 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 写真はチチハル郊外の民家の庭に咲いていたダリアの花。チチハルで開拓団跡地を訪ねた二日間は天気に恵まれ、昼間は半袖で快適だった。9月初旬は一番過ごしやすい時期だとのことで、民家の庭や畑のそば、道端などあちらこちらにコスモスの花が咲いていた。地元の人がよく種を食べているヒマワリも畑で栽培されているほかにそこかしこで咲いていて、民家の庭にはダリアや鳳仙花も見られた。
 9月27日のブログで満州語について触れたが、仲松竹雄著『言葉と風土ー沖縄と中国東北ー』(沖縄言語文化研究所)の「あとがき」に、著者が目にした満州語の現況が記されている。仲松氏は1997年から98年にかけてハルビン市の黒竜江大学で日本語を教えていたとのことで、沖縄の研究者による満州語への言及として興味深いので引用して紹介したい。

〈中国東北地方には、古くから満州族が住んでいたが、満州族が漢民族を倒して清国を建国してのちは、満州族は自らの伝統文化や独自の言語を普及させることなく、逆に満州族が漢民族の言語である漢語を習得するようになり、およそ二百年ののちには満州語は衰退し、今日では、満州族の一部の種族で使用されているのみである。
 わたしが直接会うことのできた満州族のうちで、満州語を使用していたのは、黒竜江省の北部、ロシアとの国境地帯の山の中の谷間に小集団をつくって居住しているオロチョン族だけであった。ハルピンや牡丹江であった満州族と名乗る人々の中には、誰一人話せる人はいなかった。 そればかりではない。私のクラスに居た満州族の学生に聞いてみると、彼女の両親も祖父母も、民族語の満州語は話すことができないと言う。つまり、三世代も前から満州語は死語となっていたのである〉(140~141ページ)。

 『言葉と風土ー沖縄と中国東北ー』は著者のハルビンでの生活体験を綴った短いエッセー集であり、満州語についてこれ以上の深い考察はなされていない。満州語について沖縄でこれまでどのように論じられてきたのかつまびらかにしないが、かつて清国の冊朋体制下にあった琉球・沖縄のシマクトゥバの現況と満州語のそれを重ねてみたときに、どのようなことが見えてくるか。一つの視点として持っておきたいと思う。
 インターネットで検索すると、満州語についてウィキペディアに詳しい説明があり、ほかにも興味深い記事がいくつか載っている。満州語で書かれた近代・現代小説はあるのだろうか。

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4 コメント

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Unknown (かむじゃたん)
2009-10-06 10:33:38
こんな研究会があるようです。
http://members.at.infoseek.co.jp/qiao_ben/mbk/
ボクの父親は奉天の大学でした。
専攻は「採鉱学」。学費が無料で、
貧乏教師の息子としてはよかったのでしょう。
繰上げ卒業で、満州で召集され、爆薬の扱いと
測量ができるというので、沖縄ではなく、
愛知県あたりで終戦を迎えたとのことです。
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お礼 (目取真)
2009-10-06 23:10:35
かむじゃたんさん、情報提供有難うございました。
ホームページを拝見しました。
満州語による創作活動とは違うかもしれませんが、満州国で行われた文学活動の研究はかなりの蓄積があるようですね。
沖縄だと台湾の方に目が向きがちなのですが、満州にも目を向けたいと思います。
返信する
清代前期まで。 (mui)
2009-10-13 22:57:49
満州語(満語)による近現代文学というのは、ないように思います。満州語による記録文学・各種創作は、清代の前期までといわれています。清末小説では会話の部分など、すでに流暢な北京語で描かれています。満州族の作家・老舎が1920年代に書いた小説も、もちろん北京語です。

「満洲国」文学は、北京語、日本語またはロシア語によるものです。手に入れやすい関連本に、川村湊『異郷の昭和文学―「満州」と近代日本』(岩波新書1990年)がありますね。
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お礼 (目取真)
2009-10-14 13:03:34
muiさん、ご教示有難うございました。
川村湊の本はだいぶ前(出た頃)に読んだ記憶がありますが、読み返してみようと思います。
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