春の選抜一回戦、興南高校は延長10回表に2点を取られて富山商業に惜敗。島袋投手の19三振を奪う力投が報われず残念だった。しかし、切れのある速球で三振を取る場面は気持ちよかった。
今年は高校を卒業して30年ということで、正月に初めての同窓会があった。その準備の集まりで興南高校の1年生エースが、北山高校の同級生の息子だということを知った。父親も野球部でエースだったから、父が果たせなかった目標を実現したわけで、同窓会でも話題になっていた。今日は今帰仁からも多くの人が応援に行ったことだろう。
まだ2年生になったばかりで、島袋投手にはこれから何度も出場の機会がある。沖縄県内で勝ち抜くのも簡単なことではないが、夏にはさらに成長した姿が見られるだろう。期待したい。
今年は高校を卒業して30年ということで、正月に初めての同窓会があった。その準備の集まりで興南高校の1年生エースが、北山高校の同級生の息子だということを知った。父親も野球部でエースだったから、父が果たせなかった目標を実現したわけで、同窓会でも話題になっていた。今日は今帰仁からも多くの人が応援に行ったことだろう。
まだ2年生になったばかりで、島袋投手にはこれから何度も出場の機会がある。沖縄県内で勝ち抜くのも簡単なことではないが、夏にはさらに成長した姿が見られるだろう。期待したい。
それから5年後に、興南高校が「旋風」を巻き起こして熱狂させました。その時の土をお持ちとは貴重ですね。
>(狼魔人は)沖縄のマスコミの熱心な読者のよう
マスコミだけでなく、ミニコミ、ローカル文芸誌、渡嘉敷の老人会報など、沖縄出版物の勤勉な探索者のようです。
「悪魔は勤勉なり」と誰かが言ったそうですね。
当時の4番打者が現在監督の我喜屋氏でした。
私の従兄が興南高校野球部出身で、先輩からもらったという68年の甲子園の土を分けてくれました。
もう30年以上前の話ですが、今でも今帰仁の家のどこかにあると思います。
興南高校には打線を鍛えて、夏に再起を期してほしいと思います。
高校時代は伸び盛りですから、島袋投手の成長した姿を見たいものです。
狼魔人こと江崎氏のブログは以前からたまに読んでいますが、沖縄から情報発信している右翼として、恵隆之介氏と並んで、ヤマトゥの右翼マスコミに重宝されているのでしょう。
沖縄のマスコミの熱心な読者のようですから、私の「風流無談」も読んでいると思います。
宮平秀幸証言を批判して、3月25日夜の本部壕の歩哨(衛兵・番兵)について藤岡信勝氏に質問をしたのですが、いまだになしのつぶてです。
江崎氏が答えてくれたら有り難いのですが。
私には、高校選抜野球の三振記録といえば、小生の古い記憶には少し苦いのがあります。
日本復帰の9年前、S38年の選抜で、沖縄代表チームが大阪代表のPL学園の戸田投手に21個というとてつもない奪三振記録を作られて、大敗したという記憶です。やはり沖縄はダメかとしょんぼりしたものです。
当時のPL学園は、新興の野球校で、この年辺りからメキメキ名前を売り出していったと思えます。
ともかく、46年後の今年、興南の島袋投手がそれに迫る記録を作った事は、負けたとはいえ、快挙と言って良いです。
ところで、この時の沖縄の代表は何高校だったか、思い出せないので、ネット検索したところ、「狼魔人」(江崎孝)という、沖縄に長年住んでいて、ブログやウヨク雑誌で沖縄を貶める言論を、懸命にやっているヤマト人がブログに書いています。
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/1d23ff4b744d9a84dad4580c206b7431
それは「首里高校」だったのです。昔の首里高校は勉強も野球も出来て、我々が憧れる第一の高校でした。