裁判が終わったあと、6時半からエルおおさかで開かれる集会まで時間があったので、中之島の大阪市立東洋陶磁美術館に足を運んだ。去年は「安宅コレクション展」を見たのだが、今回は「中国工芸の精華・沖正一郎コレクション 鼻煙壺1000展」を見た。鼻煙壺とは嗅ぎ煙草を入れる容器のことで、掌に入るほどの小さな壺に精巧な細工が施されている。印籠のコレクションを眺めるのと同じ面白さがあったが、使われている材質や装飾技法の多様性では印籠を上回っているだろう。陶磁器製からガラス、錫などの金属、象牙、木の実、石、宝玉などに見事な装飾が施され、それが1000個も並んでいる。一つ一つ見入ってしまうのだが、それではいくら時間があっても足りず、最後は急いでしまったのが残念であった。
1995年に中国に行った時に万里の長城の土産品展で、職人がガラス壺の内側に絵や文字を書いている様子を見た。先がL字型に曲がった極細の筆をガラス壺の口から入れて精緻な絵や文字を書いているのだが、卓越した技術に溜息が出た。その時に美人図の描かれた鼻煙壺を一個買い、いま書棚に飾ってある。
他には兵庫県立美術館で開かれていた「シャガール展」を見て、神戸文学館にも行った。「シャガール展」では、トレチャコフ美術館や個人所蔵の初期作品も展示されていて、シャガールの生涯にわたる作品の全体像が見ることができ、ゴーゴリ『死せる魂』の版画集など興味深かった。ちなみに、一年おきに山形市で開かれる山形国際ドキュメンタリー映画祭を見に行くとき、市内にある山形県立美術館にも足を運んでいる。ここにはシャガールの良いコレクションがあるので、映画を見るのと同時に美術館を見学するのが、二年に一度の楽しみになっている。
神戸文学館の方は、関西学院大学の旧チャペルが使われていて、建物は歴史的に価値のあるもので赤煉瓦造りの姿は端麗であった。ただ、文学館として使うには適切だろうかと思った。床面積に限りがあり、内部を改造するにも制限があるだろうから、神戸出身あるいはゆかりの文学者が多い分、常設展示のスペースが狭くなり、一人ひとりの展示内容も限られてしまう。朗読会や講演会には良いのかもしれないが、資料の収集・保管も考えれば、専用の施設が必要ではないだろうか。どこの自治体も財政が厳しいのだから、それがよそ者の勝手な要求でしかないのは承知しているし、文学館として利用するにも色々な経緯があったのだろうが、原稿のコピーや写真、本を並べているだけでは物足りない。
館内には亡くなった岡部伊都子さんの机と椅子が展示されていて、座ることもできた。沖縄と縁の深い方で、何かの集会のあとに声をかけられ、一緒に食事をしたことがある。話をしたのはその時一回だけなのだが、訃報に接して、戦争を通し沖縄に特別な思いを抱きつづけた人がまた一人去っていった、と思った。沖縄には多くのフアンがいる。機会があったら神戸文学館に行って、多くの原稿が書かれたであろう机に触れ、毛織物が敷かれた椅子に座ってみてはどうだろうか。
1995年に中国に行った時に万里の長城の土産品展で、職人がガラス壺の内側に絵や文字を書いている様子を見た。先がL字型に曲がった極細の筆をガラス壺の口から入れて精緻な絵や文字を書いているのだが、卓越した技術に溜息が出た。その時に美人図の描かれた鼻煙壺を一個買い、いま書棚に飾ってある。
他には兵庫県立美術館で開かれていた「シャガール展」を見て、神戸文学館にも行った。「シャガール展」では、トレチャコフ美術館や個人所蔵の初期作品も展示されていて、シャガールの生涯にわたる作品の全体像が見ることができ、ゴーゴリ『死せる魂』の版画集など興味深かった。ちなみに、一年おきに山形市で開かれる山形国際ドキュメンタリー映画祭を見に行くとき、市内にある山形県立美術館にも足を運んでいる。ここにはシャガールの良いコレクションがあるので、映画を見るのと同時に美術館を見学するのが、二年に一度の楽しみになっている。
神戸文学館の方は、関西学院大学の旧チャペルが使われていて、建物は歴史的に価値のあるもので赤煉瓦造りの姿は端麗であった。ただ、文学館として使うには適切だろうかと思った。床面積に限りがあり、内部を改造するにも制限があるだろうから、神戸出身あるいはゆかりの文学者が多い分、常設展示のスペースが狭くなり、一人ひとりの展示内容も限られてしまう。朗読会や講演会には良いのかもしれないが、資料の収集・保管も考えれば、専用の施設が必要ではないだろうか。どこの自治体も財政が厳しいのだから、それがよそ者の勝手な要求でしかないのは承知しているし、文学館として利用するにも色々な経緯があったのだろうが、原稿のコピーや写真、本を並べているだけでは物足りない。
館内には亡くなった岡部伊都子さんの机と椅子が展示されていて、座ることもできた。沖縄と縁の深い方で、何かの集会のあとに声をかけられ、一緒に食事をしたことがある。話をしたのはその時一回だけなのだが、訃報に接して、戦争を通し沖縄に特別な思いを抱きつづけた人がまた一人去っていった、と思った。沖縄には多くのフアンがいる。機会があったら神戸文学館に行って、多くの原稿が書かれたであろう机に触れ、毛織物が敷かれた椅子に座ってみてはどうだろうか。
彼らのことだから判決の前日まで校正しているかもしれません。
宮平証言問題ひとつを見ても、控訴人側内部で混乱を収拾できないまま結審を迎えたのではないでしょうか。
裁判も彼らにとっては政治宣伝の手段なのでしょうが、嘘に嘘を重ねて「集団自決」を殉国美談に仕立てあげようとする彼らの狙いを打ち砕かねばと思います。