昨年は大江・岩波沖縄戦裁判の傍聴を含めて大阪に行く機会が多かったのだが、そのおかげもあって、かねてから見たかった藤田美術館の曜変天目茶碗と金剛寺の日月山水図屏風を見ることができた。沖縄にいると美術作品にじかに触れる機会が限られているので、他府県に行った際には美術館や博物館、文学館などを回ることが多いのだが、この二作品は、これだけは見ておきたい、という特別なものだった。
藤田美術館の曜変天目茶碗は、碗の中に宇宙があるという表現しか思い浮かばない。角度によって微妙に色を変える青や藍の輝きだけでなく、漆黒の碗の中にふりまかれた金粉が夜の星さながらに闇から浮かび上がり、見ていると碗の奥に宇宙が広がっていくという感覚に襲われる。これは実物を見ないと味わえない感覚だった。
日月山水図屏風は丸山健二氏の著作で知ったのだが、大阪市立美術館で開かれていた「屏風 日本の美」展で見ることができた。展示されていることを知らなかったので、いきなり目にして驚いた。異様に盛り上がった濃緑の山は得体の知れない生き物のようで、薄気味悪いほどの迫力がある。「日本の美」というより、むしろ気持ち悪さを覚えかねない独自の存在感を持った屏風である。
いま丸山氏の小説『日と月と刀』を読んでいるのだが、主人公はこの屏風の作者と設定されている。上巻の途中まで読んでいるところで、切れのある文体がいい。台湾まで行っていた台風が逆戻りして、沖縄は風雨が強まりつつある。その分読書に集中できそうだ。
藤田美術館の曜変天目茶碗は、碗の中に宇宙があるという表現しか思い浮かばない。角度によって微妙に色を変える青や藍の輝きだけでなく、漆黒の碗の中にふりまかれた金粉が夜の星さながらに闇から浮かび上がり、見ていると碗の奥に宇宙が広がっていくという感覚に襲われる。これは実物を見ないと味わえない感覚だった。
日月山水図屏風は丸山健二氏の著作で知ったのだが、大阪市立美術館で開かれていた「屏風 日本の美」展で見ることができた。展示されていることを知らなかったので、いきなり目にして驚いた。異様に盛り上がった濃緑の山は得体の知れない生き物のようで、薄気味悪いほどの迫力がある。「日本の美」というより、むしろ気持ち悪さを覚えかねない独自の存在感を持った屏風である。
いま丸山氏の小説『日と月と刀』を読んでいるのだが、主人公はこの屏風の作者と設定されている。上巻の途中まで読んでいるところで、切れのある文体がいい。台湾まで行っていた台風が逆戻りして、沖縄は風雨が強まりつつある。その分読書に集中できそうだ。