厚生労働省が11月28日に、非正規労働者の雇い止めが3万人を超えているという調査を発表している。契約を途中で切られて、年末を前に路頭に迷いかねない労働者が続出している。昨日のテレビのニュースでは、期間従業員の労組を四人で作って賃金の保障を求めている自動車産業の労働者や、キャノン大分工場の労働者の様子が報道されていた。それを見ながら、「非正規労働者は雇用の調整弁」とうそぶいて、いとも簡単に切り捨てる企業に怒りが湧いてならなかった。
20年前のちょうど今頃、関東にあるキャノンの工場で期間従業員として働いていた。生産ラインに立ってプリンターの組み立て作業をやっていたのだが、45秒に一台流れてくるプリンターの底の部分に取っ手とゴム足を付ける担当だった。昼食時間と午前、午後に一回ずつ10分の途中休憩がある以外は、立ちっぱなしで同じ動作をくり返し続ける。まさにロボットそのものであり、体のきつさは半端ではなかった。膝の痛みや脚の筋肉疲労に加えて、首筋から肩、背中の筋肉が強ばり、仕事を終えて帰るときには、背中に板でも差し込まれてようだった。
それまで港で仲仕をやったりして体力には自信があった。しかし、一見軽作業に見えても同じ動作を素早く反復するというのは、仲仕とは違うきつさだった。とにかく一瞬の余裕もないのだ。ほんの少しでもミスをしたり、動きが遅くなると、ベルトコンベアーから流れてくる次のプリンターに間に合わなくなってしまう。ベルトコンベアーは労働者が一秒の余裕も持てない速度に設定されていて、熟練して下手に余裕を見せようものなら、取り付け部品を一つ増やされたりする。これが大変なことなのだ。作業動作が一つか二つ増えるだけでも、8時間続くと疲労度は倍加するのである。
ラインの管理担当者も、不公平が出ないように作業分担の割当を行っているはずなのだが、完全に公平にとはいかない。ぎりぎりの状態で働かされている労働者は疲労と不満、ストレスが溜まっている。そこに新人が入って来ると、馴れるまでということで誰かの作業が増えることになる。そのため、新人がミスしてラインが遅れると、非難の声があちこちから飛んでくる。それに耐えられなくて、一週間もしないで辞める若者もいた。
当時、沖縄から沢山の若者が期間従業員としてキャノンで働いていた。他には九州や東北、北海道の人が多く、会社が借りているアパートで私が同居していたのは、青森や秋田、北海道の人だった。すぐには逃げられない所から採用してるわけだ、と同じラインの期間従業員が集まって話していた。バブル経済真っ只中ということもあり、残業や休日出勤を含めると沖縄ではあり得ない高収入だったので、きつい作業もまだしも我慢ができた。その点では、今の非正規雇用の労働者が置かれている状況に比べればまだましだった。
期間従業員は正社員と同じ作業服を支給されていたが、ラインにそれとは違う作業服の労働者たちがいた。話を聞くと、高木工業や日研総業という会社と契約していて、そこからキャノンに派遣されているということだった。20年前から大手の組み立て工場では、派遣労働者は当たり前だったのだ。秋葉原で殺人事件を起こした犯人が日研総業の派遣社員だった、という報道に接したとき、久し振りにその会社名を聞いて20年前に一緒に働いた派遣労働者のことを思い出し、やりきれない思いがした。
いろんな労働現場を体験してみたいという思いがあったので職を転々とし、私が初めて正規雇用の職に就いたのは34歳だった。先の見えない不安定な生活や仕事を続けることのつらさ、苦しさを多少なりとも味わったのだが、それは今の時代、より厳しいものとなっているだろう。首を切られて途方に暮れている労働者、あるいは、いつ首を切られるかと不安な思いの労働者をさらに追いつめ、路頭に迷わせ、絶望させるような労働政策を許してはならない。愚にもつかない基地建設や米軍再編、思いやり予算にかける金があったら、労働条件や雇用の改善に結びつく予算にまわすべきなのだ。
20年前のちょうど今頃、関東にあるキャノンの工場で期間従業員として働いていた。生産ラインに立ってプリンターの組み立て作業をやっていたのだが、45秒に一台流れてくるプリンターの底の部分に取っ手とゴム足を付ける担当だった。昼食時間と午前、午後に一回ずつ10分の途中休憩がある以外は、立ちっぱなしで同じ動作をくり返し続ける。まさにロボットそのものであり、体のきつさは半端ではなかった。膝の痛みや脚の筋肉疲労に加えて、首筋から肩、背中の筋肉が強ばり、仕事を終えて帰るときには、背中に板でも差し込まれてようだった。
それまで港で仲仕をやったりして体力には自信があった。しかし、一見軽作業に見えても同じ動作を素早く反復するというのは、仲仕とは違うきつさだった。とにかく一瞬の余裕もないのだ。ほんの少しでもミスをしたり、動きが遅くなると、ベルトコンベアーから流れてくる次のプリンターに間に合わなくなってしまう。ベルトコンベアーは労働者が一秒の余裕も持てない速度に設定されていて、熟練して下手に余裕を見せようものなら、取り付け部品を一つ増やされたりする。これが大変なことなのだ。作業動作が一つか二つ増えるだけでも、8時間続くと疲労度は倍加するのである。
ラインの管理担当者も、不公平が出ないように作業分担の割当を行っているはずなのだが、完全に公平にとはいかない。ぎりぎりの状態で働かされている労働者は疲労と不満、ストレスが溜まっている。そこに新人が入って来ると、馴れるまでということで誰かの作業が増えることになる。そのため、新人がミスしてラインが遅れると、非難の声があちこちから飛んでくる。それに耐えられなくて、一週間もしないで辞める若者もいた。
当時、沖縄から沢山の若者が期間従業員としてキャノンで働いていた。他には九州や東北、北海道の人が多く、会社が借りているアパートで私が同居していたのは、青森や秋田、北海道の人だった。すぐには逃げられない所から採用してるわけだ、と同じラインの期間従業員が集まって話していた。バブル経済真っ只中ということもあり、残業や休日出勤を含めると沖縄ではあり得ない高収入だったので、きつい作業もまだしも我慢ができた。その点では、今の非正規雇用の労働者が置かれている状況に比べればまだましだった。
期間従業員は正社員と同じ作業服を支給されていたが、ラインにそれとは違う作業服の労働者たちがいた。話を聞くと、高木工業や日研総業という会社と契約していて、そこからキャノンに派遣されているということだった。20年前から大手の組み立て工場では、派遣労働者は当たり前だったのだ。秋葉原で殺人事件を起こした犯人が日研総業の派遣社員だった、という報道に接したとき、久し振りにその会社名を聞いて20年前に一緒に働いた派遣労働者のことを思い出し、やりきれない思いがした。
いろんな労働現場を体験してみたいという思いがあったので職を転々とし、私が初めて正規雇用の職に就いたのは34歳だった。先の見えない不安定な生活や仕事を続けることのつらさ、苦しさを多少なりとも味わったのだが、それは今の時代、より厳しいものとなっているだろう。首を切られて途方に暮れている労働者、あるいは、いつ首を切られるかと不安な思いの労働者をさらに追いつめ、路頭に迷わせ、絶望させるような労働政策を許してはならない。愚にもつかない基地建設や米軍再編、思いやり予算にかける金があったら、労働条件や雇用の改善に結びつく予算にまわすべきなのだ。
期間就労者の6割が北海道、3割が沖縄、その他1割の比率でしたが、途中退職者は沖縄が一番多いという事でした。だが、寮内での自殺者が北海道の人から2名出てたそうです。
こんなキツイ仕事をやっても残るのはこれだけか、これから何年もこの仕事をやって行かなければ生きて行けないのかと、考えると絶望感に襲われました。
満期終了した者は、次回から優先的に採用してやるとか言われましたが、もう行く気はありませんでした。
でも、今は行きたい者でも行けない状況に成っているのでしょうか。