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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「風流無談」第13回

2008-08-01 16:48:52 | 「風流無談」
 「風流無談」第13回 2008年7月5日付「琉球新報」朝刊掲載

 十年ほど前に父から、南京陥落を祝う提灯行列に参加した話を聞いたことがある。小学校の一年生で祖父に手を引かれて参加したそうだが、途中で祖父とはぐれて迷子になってしまい、そのために余計にその日のことが記憶に残っていると話していた。ヤンバルの今帰仁でも行われたくらいだから、当時は沖縄の各地域で提灯行列が行われ、南京陥落を祝う行事がくりひろげられたのだろう。
 南京に日本軍が攻め入ったのは一九三七年の十二月である。その際に日本軍によって一般住民に対する虐殺や暴行、強姦、略奪が行われたことは周知の事実だ。当時の沖縄県民や日本国民のほとんどは、その事実を知らされてなかったとはいえ、帝国日本の侵略戦争を沖縄県民も熱狂して支持したという史実を見すえる必要がある。
 一九三一年九月の柳条湖事件など、関東軍は謀略を駆使して「満州事変」を起こし、翌年、日本は満州国を建国した。さらに「上海事変」「日華事変」と日本は中国への侵略を拡大し、ついには太平洋戦争に突入していった。鶴見俊輔氏のいう「十五年戦争」に、沖縄人もまた兵士として参加し、銃後では領土の拡大と戦勝報道に快哉を叫んでいた。
 小学生の頃父は、部屋に地図を貼って、拡大する日本の領土にピンを押していた、とも話していた。同じことを沖縄や日本の各地で子どもたちは行っていただろう。数年後に自分たちが戦火に追われることも考えずに。このような十五年にわたる日本の侵略戦争の帰結として沖縄戦はあった。
 あるいは、沖縄の近代史をより広く視野に置くなら、明治の「琉球処分」=日本国への併合により、琉球の島々に住んでいた人々は、「日本人」として新時代を生きることになる。同化にともなう言語、習俗の否定などの暴力や差別の問題はここでは触れないが、押さえておきたいのは、「日本人」になることが、台湾をはじめとしたアジア各地への侵略と植民地支配の担い手になることでもあったということだ。そのような沖縄の近代史の帰結としても沖縄戦はあった。
 沖縄戦はけっして「ある日、海の向こうから戦がやってきた」のではない。そこに至る歴史を見れば、アジア各地の人々に対する沖縄人の加害責任の問題が問われる。
 沖縄戦について考えるとき、日本軍による住民虐殺や「集団自決」の軍による命令・強制、米軍の住民への無差別的な攻撃など、沖縄人の戦争被害の実態を押さえることは、言うまでもなく大切なことである。しかし、同時に、沖縄戦はなぜ起こったのか、沖縄人はどのように「十五年戦争」に関わったのか、沖縄人の加害責任はどのようなものか、という問いと検証を忘れてはならない。
 最近は沖縄人の加害を強調することで、沖縄戦の住民被害を相対化し、ひいては日本軍による沖縄住民への加害行為を曖昧にしようという動きも見られる。そのような政治的策動は論外だが、沖縄人の加害責任を私たちが自ら検証することは、沖縄戦をより広い視野からとらえかえす上で不可欠のことだろう。
 「集団自決」の軍命令・強制をめぐる教科書検定問題を考える際にも、それは重要である。自由主義史観研究会や新しい歴史教科書をつくる会などの歴史修正主義グループは、南京大虐殺・従軍慰安婦・「集団自決」の軍命令・強制を、日本軍の名誉を汚す三点セットとして、教科書から記述削除を進める運動を行ってきた。
 そこには、中国や韓国、北朝鮮、台湾などアジア諸国と沖縄の戦争体験が、日本軍の残虐な犯罪行為を浮き彫りにするものとして、ともに右派グループの攻撃対象になるという共通性がある。
 だが一方で、南京大虐殺や従軍慰安婦問題では、沖縄人も加害者であった。日本と他のアジア諸国との狭間に置かれた沖縄の加害と被害の二重性は、沖縄人がより広くアジアの人々と連帯し、右派グループの歴史歪曲の動きに抗する運動を作ろうとするとき、自らに問い、また他から問われなければならない問題としてある。
 さらに、沖縄の加害と被害の二重性の問題は、過去の歴史認識だけでなく、現在の基地問題にもつながっている。大江・岩波沖縄戦裁判や教科書検定問題の背景には、流動する東アジアの状況、とくに政治・経済・軍事などあらゆる面で台頭する中国の問題がある。
 米軍再編と連動して進められている沖縄の自衛隊強化は、島嶼防衛やミサイル・ディフェンス体制構築に見られるように、対中国を想定したものだ。日・米が中国と軍事的に対抗する前面に、いま沖縄は立たされている。
 沖縄における米軍・自衛隊の強化と沖縄戦をめぐる歴史認識の問題は、表裏一体の関係にある。だからこそ、二度と戦争の加害者にも被害者にもならないために、沖縄戦の史実を継承することと、戦争を行う基地に反対することを一体のものとして取り組みたい。


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アジアとは? (共感を覚える者)
2008-08-04 00:16:45
沖縄の歴史を見据える時、目取真さんが提示している視点をどう内在することができるか、問われているようです。

最近1週間ほど滞在したソウルで思ったことは、文芸作品(知見した限り)に見るハンの大きさです。日本による35年の占領(コロニー)、中国との長い確執・脅威、ロシアや北朝鮮の脅威、アメリカの介入、その中でも朝鮮半島に生きてきた人々の文化を抹殺し、制度として日本人へと同化していった35年間、またそれ以前の日本の侵略へのハンの深さ(とそう感じさせたもの)に圧倒されました。確かに日本の一部、日本人になることを余儀なくされその過程を生きてきた沖縄とは違います。

ハンを強くもてない沖縄に生きる者としての曖昧さは何ゆえなのかと考えさせられます。ハンに対して「命どぅ宝」が思い出されます。それは思想ではないと笑う方々がいますが、日本への同化の果ての15万人以上の一般人の犠牲をへて、「命どぅ宝」は平和運動のシンボルになったのだと言えましょう。

より日本人になるためにがんばった優秀な沖縄人ほどまたより日本的精神の支柱を身につけ同胞に対し、
かつ当時の東アジア(日本が侵略した地域)の人々に敵対し、皇軍の僕となったのでしょう。

一方で南京虐殺に加担したある沖縄出身の兵士は日本兵の残虐な実態を語り伝えてもいます。彼が同じ行為を余儀なくされたのかどうかは曖昧ですが、私の母は戦時中に同郷のおじさんから「日本人はおぞましいことをした」と実際に見た(関わった?)南京の光景を聞いたようです。

沖縄に連行され奴隷のように扱われた朝鮮の人々の存在も無視できません。恩師は朝鮮ピーと蔑まれた女性たちに、やはり蔑みのことばを投げつけた体験を話していました。時代の意識の枷から自由ではありえなかったのです。

常に当代の思潮に対して懐疑心を持ち続けるのは疲れます。加害者にも被害者にもならないために、覚醒し続けなければならないことは大変です。おそらく諦観は甘い蜜でもあるのでしょう。その方が楽ですからーーー。それだけに尚、目取真さんの論評は棘のような覚醒剤の効果があると言えるのでしょう!

日本や沖縄はアジアの一部ですよね。
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