この四年ほど、年一度は靖国神社に行っている。昨年、一昨年、四年前は八月十五日の敗戦の日に、三年前は十二月八日の太平洋戦争開戦の日に行った。今の日本の状況を理解する上で、靖国神社の様子を自分の目で確かめることが必要だと思ったからだが、沖縄から行くのは金も時間もかかって簡単ではない。ただ、靖国神社と沖縄をめぐる問題は、これからより重要になっていくだろう。沖縄戦で犠牲になった多くの住民が、日本軍に協力して死んだものと扱われ、靖国神社に祀られている。それに異を唱えて、去る三月十九日には沖縄から靖国神社合祀取消し訴訟が起こされている。その裁判に自分なりに支援できればと思うし、遊就館の検証を含めて、これからも足を運びながら靖国問題について考えていくつもりだ。
ドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』(リ・イン監督)の東京での上映予定がすべて中止となったことが話題になっている。四月一日付琉球新報朝刊には、銀座シネパトスを運営するヒューマックスシネマの「近隣の商業施設に迷惑を掛ける恐れがあるため」という説明が載っている。他の映画館も理由は似たり寄ったりだろうと思うが、グランドプリンスホテル新高輪での日教組の全国教研会全体集会を潰したことに勢いを得て、右翼団体による圧力が強まっている様が目に浮かぶ。街宣車で大音量を流して包囲すれば、気に入らない集会や企画は潰せる、という手法がまかり通るなら、言論・表現・集会の自由などもはや無いに等しい。
大江・岩波沖縄戦裁判で被告側が勝訴したことに比べて、この問題に対する沖縄のマスコミの扱いは小さい。しかし、時を置かず起こっているこの二つの問題には、いくつも共通点があり、沖縄県民ももっと関心を向ける必要がある。
一つは、映画の配給会社に国会議員向けの試写会を行わせて、問題に火をつけた稲田朋美議員の存在だ。「靖国応援団」を自称する弁護士グループの一人として、稲田議員は大江・岩波沖縄戦裁判にも深く関わっている。前掲の「福岡講演会記録」でも触れたが、同じ「靖国応援団」の一人、徳永信一弁護士が『正論』2006年9月号に書いた評論でみずから明らかにしているように、赤松秀一氏や梅澤裕氏にはたらきかけて同裁判を起こさせたのは、元軍人の山本明氏と「靖国応援団」を自称する彼ら弁護士グループだったのである。
二つ目に、慶良間諸島の「集団自決」(強制集団死)で犠牲になった人たちが、靖国神社に祀られている問題がある。沖縄国際大学の石原昌家教授がこの間くり返し強調しているように、援護金支給との関係で、日本軍の命令・強制によって犠牲になった住民が、旧厚生省によって軍に協力して命を絶ったかのように記録され、天皇制国家に殉じたものとして靖国神社に祀られている。
先の大江・岩波沖縄戦裁判の判決で、援護金を得るために「隊長命令」がでっち上げられた、という原告側の主張は退けられた。しかし、援護法の論理においては「隊長命令」に従ったものであれ、殉国美談に回収される構図ができあがっているのである。それが政府の認める公式戦史として扱われるとき、沖縄戦の史実は歪曲されていく。石原教授が指摘するように、これから「靖国史観」による沖縄戦の解釈がまかり通る危険性は大きいのであり、その意味でも大江・岩波沖縄戦裁判と同時に、靖国問題に対する沖縄県民の関心の高まりが問われている。
三つ目には、言論・表現の自由に関わる問題がある。大江・岩波沖縄戦裁判が、大江健三郎『沖縄ノート』や家永三郎『太平洋戦争』を名誉毀損で訴えることによって出版を差し止め、読めなくするという発想なら、映画『靖国 YASUKUNI』は政治的圧力によって上映を潰し、見られなくするというものだ。自らと意見の対立する内容の本や映画が流通することを許さず、社会的に葬り去ろうという発想と手法は、言論・表現の自由を否定するものだ。そのようなことがまかり通る社会にしてはならない。
大江・岩波沖縄戦裁判は一審で勝利したとはいえ、原告側は4月2日に控訴した。上級審に進むにつれ司法の反動化が顕著になるのは周知の事実だ。裁判への支援活動は今後さらに重要になる。それと同時に『靖国 YASUKUNI』の上映に圧力をかけている者達に沖縄からも抗議の声を上げたい。あわせて県内での上映ができないかと思う。
ドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』(リ・イン監督)の東京での上映予定がすべて中止となったことが話題になっている。四月一日付琉球新報朝刊には、銀座シネパトスを運営するヒューマックスシネマの「近隣の商業施設に迷惑を掛ける恐れがあるため」という説明が載っている。他の映画館も理由は似たり寄ったりだろうと思うが、グランドプリンスホテル新高輪での日教組の全国教研会全体集会を潰したことに勢いを得て、右翼団体による圧力が強まっている様が目に浮かぶ。街宣車で大音量を流して包囲すれば、気に入らない集会や企画は潰せる、という手法がまかり通るなら、言論・表現・集会の自由などもはや無いに等しい。
大江・岩波沖縄戦裁判で被告側が勝訴したことに比べて、この問題に対する沖縄のマスコミの扱いは小さい。しかし、時を置かず起こっているこの二つの問題には、いくつも共通点があり、沖縄県民ももっと関心を向ける必要がある。
一つは、映画の配給会社に国会議員向けの試写会を行わせて、問題に火をつけた稲田朋美議員の存在だ。「靖国応援団」を自称する弁護士グループの一人として、稲田議員は大江・岩波沖縄戦裁判にも深く関わっている。前掲の「福岡講演会記録」でも触れたが、同じ「靖国応援団」の一人、徳永信一弁護士が『正論』2006年9月号に書いた評論でみずから明らかにしているように、赤松秀一氏や梅澤裕氏にはたらきかけて同裁判を起こさせたのは、元軍人の山本明氏と「靖国応援団」を自称する彼ら弁護士グループだったのである。
二つ目に、慶良間諸島の「集団自決」(強制集団死)で犠牲になった人たちが、靖国神社に祀られている問題がある。沖縄国際大学の石原昌家教授がこの間くり返し強調しているように、援護金支給との関係で、日本軍の命令・強制によって犠牲になった住民が、旧厚生省によって軍に協力して命を絶ったかのように記録され、天皇制国家に殉じたものとして靖国神社に祀られている。
先の大江・岩波沖縄戦裁判の判決で、援護金を得るために「隊長命令」がでっち上げられた、という原告側の主張は退けられた。しかし、援護法の論理においては「隊長命令」に従ったものであれ、殉国美談に回収される構図ができあがっているのである。それが政府の認める公式戦史として扱われるとき、沖縄戦の史実は歪曲されていく。石原教授が指摘するように、これから「靖国史観」による沖縄戦の解釈がまかり通る危険性は大きいのであり、その意味でも大江・岩波沖縄戦裁判と同時に、靖国問題に対する沖縄県民の関心の高まりが問われている。
三つ目には、言論・表現の自由に関わる問題がある。大江・岩波沖縄戦裁判が、大江健三郎『沖縄ノート』や家永三郎『太平洋戦争』を名誉毀損で訴えることによって出版を差し止め、読めなくするという発想なら、映画『靖国 YASUKUNI』は政治的圧力によって上映を潰し、見られなくするというものだ。自らと意見の対立する内容の本や映画が流通することを許さず、社会的に葬り去ろうという発想と手法は、言論・表現の自由を否定するものだ。そのようなことがまかり通る社会にしてはならない。
大江・岩波沖縄戦裁判は一審で勝利したとはいえ、原告側は4月2日に控訴した。上級審に進むにつれ司法の反動化が顕著になるのは周知の事実だ。裁判への支援活動は今後さらに重要になる。それと同時に『靖国 YASUKUNI』の上映に圧力をかけている者達に沖縄からも抗議の声を上げたい。あわせて県内での上映ができないかと思う。
ところであなたの血縁で靖国に祭られていませんか?
私は無関心だったので調べていなかったのですが電話で遺族の方なら簡単に調べられます。
靖国神社
03-3261-8326
靖国は死を管理するということでは徹底されたシステムです。
知らないうちにあなたの祖父は靖国に祭れていませんか。