10日から那覇市の桜坂劇場で『密約』(千野皓司監督/1978年)が上映されている。沖縄の施政権返還をめぐり日米間で交わされた密約文書の公開を求めた訴訟の判決が9日に下された。それに合わせた企画で、原作は澤地久枝著『密約ー外務省機密漏洩事件』(1974年中央公論社)。
沖縄の米軍基地の地主に対する損害補償を日本が肩代わりするという密約を暴いた新聞記者・石山太一と極秘電信文のコピーを石山に渡した外務省の女性事務官・筈見絹子、裁判の傍聴と関係者への取材を重ねるノンフィクション作家・澤井久代の三人を軸に、映画は三部構成で事件の全体像を描き出そうとしている。
本来追及されるべきだった日米間の密約に対する政治責任が、男女間の問題にすり替えられた。そのことへの批判が映画の柱になっているが、ずいぶん久しぶりに見直して興味深かったのは、吉行和子演じる女性事務官・筈見の描き方だった。
筈見が負う戦争の影、貧困と苦学体験、結核を病む夫の扶養、そして法廷の内と外で見せる表情の違いや週刊誌に手記を発表したり、ケッセルの『昼顔』の主人公と重ねて語られる一面など、最初は石山にうまく利用されたように見えた筈見が、しだいに容易に捉えがたい存在に変わっていく。
一方で、やり手の新聞記者である石山は、必要な情報を入手したあと筈見に冷淡になり、態度にも鈍感さや無神経さが露わになっていく。機密情報を掴むために手練手管を使う記者としての側面が細かく描かれる反面、家庭生活は捨象されていることもあり、映画における石山の描き方は厚みに欠けている。澤井の関心とも相まって、後半になるにつれて存在感を増していくのは石山よりも筈見の方であり、元々はテレビドラマとして制作されたという70年代に、事件のどういう側面に人々の関心が向けられていたかということを含めて、筈見に向けられる視線、描き方の問題について考えさせられた。
あと一ヶ月もすれば沖縄の施政権返還から38年目の5・15を迎える。「日本復帰」前の沖縄を知らない世代には、現在問題になっている密約問題が、どういう時代背景のもとで起こったのかについて理論的に理解することはできても、当時の社会状況や時代の雰囲気を想像することは難しい。そういう意味で記録映像を交えたこの映画は、1972年を前後した日本・沖縄の状況、雰囲気を伝えていて、密約問題や現在進んでいる普天間基地の「移設」問題を考えるうえでも一助になる。桜坂劇場では4月23日までやっているようなので、多くの人に見てほしい。
沖縄の米軍基地の地主に対する損害補償を日本が肩代わりするという密約を暴いた新聞記者・石山太一と極秘電信文のコピーを石山に渡した外務省の女性事務官・筈見絹子、裁判の傍聴と関係者への取材を重ねるノンフィクション作家・澤井久代の三人を軸に、映画は三部構成で事件の全体像を描き出そうとしている。
本来追及されるべきだった日米間の密約に対する政治責任が、男女間の問題にすり替えられた。そのことへの批判が映画の柱になっているが、ずいぶん久しぶりに見直して興味深かったのは、吉行和子演じる女性事務官・筈見の描き方だった。
筈見が負う戦争の影、貧困と苦学体験、結核を病む夫の扶養、そして法廷の内と外で見せる表情の違いや週刊誌に手記を発表したり、ケッセルの『昼顔』の主人公と重ねて語られる一面など、最初は石山にうまく利用されたように見えた筈見が、しだいに容易に捉えがたい存在に変わっていく。
一方で、やり手の新聞記者である石山は、必要な情報を入手したあと筈見に冷淡になり、態度にも鈍感さや無神経さが露わになっていく。機密情報を掴むために手練手管を使う記者としての側面が細かく描かれる反面、家庭生活は捨象されていることもあり、映画における石山の描き方は厚みに欠けている。澤井の関心とも相まって、後半になるにつれて存在感を増していくのは石山よりも筈見の方であり、元々はテレビドラマとして制作されたという70年代に、事件のどういう側面に人々の関心が向けられていたかということを含めて、筈見に向けられる視線、描き方の問題について考えさせられた。
あと一ヶ月もすれば沖縄の施政権返還から38年目の5・15を迎える。「日本復帰」前の沖縄を知らない世代には、現在問題になっている密約問題が、どういう時代背景のもとで起こったのかについて理論的に理解することはできても、当時の社会状況や時代の雰囲気を想像することは難しい。そういう意味で記録映像を交えたこの映画は、1972年を前後した日本・沖縄の状況、雰囲気を伝えていて、密約問題や現在進んでいる普天間基地の「移設」問題を考えるうえでも一助になる。桜坂劇場では4月23日までやっているようなので、多くの人に見てほしい。