海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

イジュの花咲く森

2008-05-26 16:49:48 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 例年よりだいぶ遅い梅雨入り宣言後もなかなか雨が降らなかったが、昨日、今日と時折雨が落ちる天気になってきた。それでもまだ本格的な梅雨というにはいたらない。ただ、蒸し暑さはかなり募っている。これから雨も多くなっていくだろう。
 ヤンバルの森はイジュの白い花が盛りで、他にもテッポウユリやサンニン(月桃)が咲き誇っている。実家の裏庭に咲いているテッポウユリは、もう花が終わりかけている。元は父と母が近くのムイ(森)から採ってきて植えたものだが、種で増えて今では邪魔になるくらいだ。主なきとて春な忘れそ、ではないが、ヤンバルに住んでいると野山に咲く花で季節の変化がよく分かる。
 63年前、5月末のこの時期から、首里を撤退する日本軍とともに南へ、南へと沖縄の住民も逃げていった。歩くことのできない負傷兵は、壕の中で処置(毒殺)されたり、枕元に青酸カリ入りのミルクや手榴弾を置かれて置き去りにされていった。梅雨の土砂降りの中、歩くことができずに泥の中を這いずり回って逃げていた兵隊や住民の目撃談が数多く伝わっている。野山の草木も砲弾で吹き飛ばされ、火炎放射器で焼き払われていった。その中で人間は元より、沖縄に住んでいたあらゆる生物は、どのようにして戦火をくぐり抜けたのだろうか、と思う。
 以前、「魂込め」という小説を書いたときに、海亀の産卵の場面を書いた。沖縄戦のさなかでも、自然の営みはくり返されていたはずだ。五月以降、沖縄は海亀の産卵の時期を迎える。亡くなった祖母は、羽蟻が飛ぶ頃になると海亀が上がってくる、と言っていた。昨日、部屋でパソコンに向かっていたら、羽蟻が入り込んで机の上を歩いていた。年々破壊され、失われていく砂浜を這い上がり、産卵を行っていた海亀が昨日の夜もいただろう。
 63年前、米軍艦がひしめくその下を泳ぎ、浜にたどり着いて照明弾の明かりに照らされながら産卵した海亀。彼らにとっては戦争よりも、その後の自然破壊の方が脅威だったのかもしれない。辺野古の海にはジュゴンだけでなく、海亀をはじめ多様な海洋生物が生息している。そこを埋め立てることは、彼らにとって戦争以上の命の危機をもたらす破壊行為なのだ。住む場所が破壊されることによってもたらされる脅威は、人間も他の生物も変わりはない。
 沖縄戦のさなかに産み落とされ、七月や八月になって孵化し、浜を下りて海に入っていった子亀で、今も生きている海亀はいるだろうかと思う。人間以外の生物で沖縄戦の体験を持って生きている可能性があるのは海亀ぐらいだろう。63年生きてきた海亀が沖縄の海を泳いでいる姿を想像する。海面から顔を出した彼の目に映る沖縄の姿を想像する。彼が生まれる浜に上がった母亀の目に映る63年前の沖縄を想像する。

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リウキウエンシス (Stray-Cat)
2008-05-28 22:37:53
森の木々を敬い、神の使いの海がめやジュゴンをカナさし、森も洞も浜も聖地として畏れて来たわれわれの先祖の魂はどこへいったのか。森羅万象を崇める心はいくさとともに消えてしまったのか。浜を埋め立てていくさに手を貸そうとしているわれわれは、受け継がれるべきちむぐくるを孤児のように見失い、まぶいを落としているとしかいいようがない。体内にアーマンを宿らせて追い出すすべもなく命を落とす前に、シマンチュの一人一人のまぶいぐみが一刻も早く行われなければ・・・
「魂込め」はただの寓話であってほしい。

イジュは琉球の固有品種で学名Schima liukiuensisだとか。シマンチュの魂の危機を知らせるかのように今年も満開のイジュは、最近、やまとぅたちが農家の山から買って持ち去っていくと聞きます。毎日、気鬱とも戦っていかなくてはなりません。


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