「風流無談」第12回 2008年6月7日付「琉球新報」朝刊掲載
五月二五日にキャンプ・シュワブ・フェスティバルを見に行った。基地労働者でもなければ、そうそう米軍基地内に入れるわけではないので、かぎられた範囲内ではあるが、キャンプ・シュワブ内を見るいい機会だった。
フェスティバル会場になっていたのは、辺野古崎先端部の娯楽施設やPXなどがある地域である。映画館横の広場の海岸縁にいくと、目の前には辺野古の海が広がっている。その景色を眺めて、この海を埋め立てることの愚かさをあらためて思う。貴重な自然が失われるだけではない。そこにV字型滑走路や港湾施設を持つ巨大な基地ができれば、北部全域が米軍の実践的な演習の場となり、住民は苦しみを強いられ続けるだろう。
会場に向かう途中、辺野古集落側の緑地帯に沿って、工事が行われているのが目についた。新基地建設に向けて、老朽化した兵舎の取り壊し工事が進められている。すでに更地になっているところもある。
沖縄防衛局は五月二二日に行われた定例会見で、六月からキャンプ・シュワブ内の新兵舎建設工事に着工することを明らかにしている。現在、辺野古海域では環境アセスメント調査が行われているが、その結果を待たずに陸上部から工事を始めようというのだ。世論調査では一貫して、米軍基地の県内「移設」反対が県民の多数意見だ。それを無視して見切り発車的に着工するというのは、沖縄県民を愚弄するものだ。このような工事の強行を許してはならない。
辺野古に大規模な基地を新しく造らせることは、沖縄県民は今後とも米軍基地の過重な負担を引き受けます、と全国に向かって宣言するに等しい。この十年余、比嘉・岸本・島袋名護市長や稲嶺・仲井真県知事らにより、辺野古への新基地建設受け入れがくり返されてきた。それによって、沖縄県民は金(振興策)と引き替えに基地負担を受け入れた、という認識が全国に広がっている。
沖縄に基地負担を押し付けているという後ろめたさも消え去り、金(振興策)を引き出すために基地カードを使って要領よく立ち回る沖縄、という認識すら作り出されている。中には、沖縄は騒げば金がもらえると思っている、と言い放つヤマトゥの学者もいる。
そうやって日米安保条約にもとづいて駐留している沖縄の米軍基地をめぐる問題が、「沖縄問題」として矮小化され、非争点化されている。「沖縄の人自身が基地を受け入れてるというんだからそれでいいんじゃない。お金(振興策)ももらってるんでしょ。基地がないと困る人もいるんでしょ」。そうあっさりと片付けられて関心の対象にもならない。米軍による事件や事故が起こっても、抗議する沖縄県民の声が全国に広がらないようにつぶす策動が、週刊誌などを使って露骨に行われる。
基地問題を振興策をめぐる経済問題にすり替え、全国民的な関心とならないようにしてきたのは日本政府だけではない。それに呼応して沖縄から基地容認のメッセージを送り続けたのは、自民党・公明党に支えられた稲嶺・仲井真保守県政とそのブレーンたちであり、この三代の名護市長らであった。
わずかな対立点をめぐって、あたかも日本政府と対峙しているかのようなポーズを見せ、県民の不満をガス抜きしながら新基地建設に向けての調査を進めさせる。稲嶺知事と故岸本市長が行った手法は、いま仲井真知事と島袋市長によってくり返されている。
滑走路の位置を沖合に何メートルずらすか、という問題をめぐる対立を針小棒大にとらえ、あたかも仲井真知事と島袋市長が政府と対峙しているかのよう描いたり、辺野古への新基地建設が膠着状態にあるかのように描き出すのは、県民の目を実態からそらすものだ。新基地建設を推進するということで、三者には何の対立もない。
現に辺野古では連日環境アセスメント調査が進められ、陸上部からの建設工事着工に向けての準備が進められている。陸上部から工事をどんどん進め、後戻りできない状態になるまで、滑走路の位置をめぐる「対立」を引き延ばす。そうすることで新基地建設を進める仲井真知事や島袋市長への風当たりも和らげることができるわけだ。
前回も書いたが、米軍再編計画が実行され、嘉手納基地より南の基地が「返還」される一方で、辺野古や高江への新基地建設をはじめ北部への基地集中化が進めば、北部の住民が受ける打撃は計り知れない。いくら北部振興策をいったところで、北部地域と中・南部地域の格差拡大は止めようがないだろう。
時あたかも県議会選挙のさなかである。後期高齢者医療制度問題をめぐって不満が噴出し、基地問題はその陰に隠れている印象がある。しかし、辺野古や高江の新基地建設はいま大きな正念場を迎えている。沖縄県民自身が基地問題を全国に向かって争点化することが問われている。選挙が終われば着工、という事態を許してはならない。
五月二五日にキャンプ・シュワブ・フェスティバルを見に行った。基地労働者でもなければ、そうそう米軍基地内に入れるわけではないので、かぎられた範囲内ではあるが、キャンプ・シュワブ内を見るいい機会だった。
フェスティバル会場になっていたのは、辺野古崎先端部の娯楽施設やPXなどがある地域である。映画館横の広場の海岸縁にいくと、目の前には辺野古の海が広がっている。その景色を眺めて、この海を埋め立てることの愚かさをあらためて思う。貴重な自然が失われるだけではない。そこにV字型滑走路や港湾施設を持つ巨大な基地ができれば、北部全域が米軍の実践的な演習の場となり、住民は苦しみを強いられ続けるだろう。
会場に向かう途中、辺野古集落側の緑地帯に沿って、工事が行われているのが目についた。新基地建設に向けて、老朽化した兵舎の取り壊し工事が進められている。すでに更地になっているところもある。
沖縄防衛局は五月二二日に行われた定例会見で、六月からキャンプ・シュワブ内の新兵舎建設工事に着工することを明らかにしている。現在、辺野古海域では環境アセスメント調査が行われているが、その結果を待たずに陸上部から工事を始めようというのだ。世論調査では一貫して、米軍基地の県内「移設」反対が県民の多数意見だ。それを無視して見切り発車的に着工するというのは、沖縄県民を愚弄するものだ。このような工事の強行を許してはならない。
辺野古に大規模な基地を新しく造らせることは、沖縄県民は今後とも米軍基地の過重な負担を引き受けます、と全国に向かって宣言するに等しい。この十年余、比嘉・岸本・島袋名護市長や稲嶺・仲井真県知事らにより、辺野古への新基地建設受け入れがくり返されてきた。それによって、沖縄県民は金(振興策)と引き替えに基地負担を受け入れた、という認識が全国に広がっている。
沖縄に基地負担を押し付けているという後ろめたさも消え去り、金(振興策)を引き出すために基地カードを使って要領よく立ち回る沖縄、という認識すら作り出されている。中には、沖縄は騒げば金がもらえると思っている、と言い放つヤマトゥの学者もいる。
そうやって日米安保条約にもとづいて駐留している沖縄の米軍基地をめぐる問題が、「沖縄問題」として矮小化され、非争点化されている。「沖縄の人自身が基地を受け入れてるというんだからそれでいいんじゃない。お金(振興策)ももらってるんでしょ。基地がないと困る人もいるんでしょ」。そうあっさりと片付けられて関心の対象にもならない。米軍による事件や事故が起こっても、抗議する沖縄県民の声が全国に広がらないようにつぶす策動が、週刊誌などを使って露骨に行われる。
基地問題を振興策をめぐる経済問題にすり替え、全国民的な関心とならないようにしてきたのは日本政府だけではない。それに呼応して沖縄から基地容認のメッセージを送り続けたのは、自民党・公明党に支えられた稲嶺・仲井真保守県政とそのブレーンたちであり、この三代の名護市長らであった。
わずかな対立点をめぐって、あたかも日本政府と対峙しているかのようなポーズを見せ、県民の不満をガス抜きしながら新基地建設に向けての調査を進めさせる。稲嶺知事と故岸本市長が行った手法は、いま仲井真知事と島袋市長によってくり返されている。
滑走路の位置を沖合に何メートルずらすか、という問題をめぐる対立を針小棒大にとらえ、あたかも仲井真知事と島袋市長が政府と対峙しているかのよう描いたり、辺野古への新基地建設が膠着状態にあるかのように描き出すのは、県民の目を実態からそらすものだ。新基地建設を推進するということで、三者には何の対立もない。
現に辺野古では連日環境アセスメント調査が進められ、陸上部からの建設工事着工に向けての準備が進められている。陸上部から工事をどんどん進め、後戻りできない状態になるまで、滑走路の位置をめぐる「対立」を引き延ばす。そうすることで新基地建設を進める仲井真知事や島袋市長への風当たりも和らげることができるわけだ。
前回も書いたが、米軍再編計画が実行され、嘉手納基地より南の基地が「返還」される一方で、辺野古や高江への新基地建設をはじめ北部への基地集中化が進めば、北部の住民が受ける打撃は計り知れない。いくら北部振興策をいったところで、北部地域と中・南部地域の格差拡大は止めようがないだろう。
時あたかも県議会選挙のさなかである。後期高齢者医療制度問題をめぐって不満が噴出し、基地問題はその陰に隠れている印象がある。しかし、辺野古や高江の新基地建設はいま大きな正念場を迎えている。沖縄県民自身が基地問題を全国に向かって争点化することが問われている。選挙が終われば着工、という事態を許してはならない。
確かにその通りで、夜間外出禁止の時などコザの店は商売上がったりで困っていましたね。
でも、これって異状ではないかな、と思うのです。基地経済に頼らざるを得ない状況になってしまったのも基地があるから。
「基地」も「基地経済」もいらない。
「基地の無い街」と「普通の経済」が欲しいのですよ。
7月2日は「うどんの日」らしく、1000食が高松市内で振舞われたそうです。これはYAHOOの国内トピックスで表示されていました。
さて、7月4日の早朝は「高松大空襲」のあった日。せめてYAHOOの国内トピックスで表示されることを祈ります。
戦争というものは、沖縄や、有名な? 東京大空襲、原子爆弾だけではないということを広めていかなければと思います。