鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山の三十三拝所

2021年04月05日 | 鳥海山

 以前も記載しましたが、鳥海山には三十六の拝所があります。しかしながら現在はほとんどその場所も、拝所があったことさえ知られていません。今、鳥海山に登られる方で興味を持って歩く人もまずいないでしょう。せめてわかる範囲だけでも調べ、記録に残しておきたいと思います。古絵図は末尾に掲載しておきます。(

 ※大物忌神社発行の”鳥海山”では三十六拝所、松本良一氏、蕨岡旧家の方の”鳥海山信仰史”では三十三拝所となっています。三つ増えた分は享和の大噴火で新山ができてからのものではないかと思われます。

 例えば獅子ヶ口大神といっても聞き覚えのある方はないと思います。しかしながら嘗てはよく知られた拝所だったのです。下の写真を見れば、ああ、あそこだったのかと思い起こすことでしょう。

 (印は大正二 丑年 八月二十五日)

 明治以降衰退した蕨岡の修験道ですが、大正のこのころは蕨岡口としてまだまだ登る人が多かったことが偲ばれます。滝の小屋からじゃないですよ。杉沢からです。この夏、湯ノ台口から山頂を目指す方は一番息の切れるところですが気を付けてまわりをみてみましょう。

 

 この文殊菩薩いつ誰が担ぎ上げてきたのでしょうか。

 伏拝ふしおがみ大神。文殊伏拝の神といい、伏拝岳にあります。鳥海山の記事を見ても誰も写真を撮っている人はいないようです。江戸時代は行者岳にも小屋があったことが絵図よりわかります。ここで伏して山頂の大物忌神を拝んだことから伏拝岳といいます。同様に行者岳は開山の神役行者が岩石を彫って像を残したところなので行者岳です。

 拝所というのは拝むところですから原則として祠があります。以下にその拝所の名前を挙げておきますがその所在は今となっては不明なところが多いです。鳥海山の修験道について調べられた学者先生方も拝所があったということは理解してもおそらくその詳細、場所までは調べていないことでしょう。

 かつて先達として働いた松本良一氏によれば、先達は三十三拝所に「おがみ」をあげて各拝所一銭宛三十三銭が収入だったそうです。先日山本坊御当主から伺った話でも、残念ながらかつて先達として鳥海山を歩いた人はもはやいらっしゃらないようで、これら三十三の拝所を詳らかにすることは不可能かと思われます。しかしながら、今後も引き続き調べてみる予定ではおりますので何かご存じの方はぜひご一報ください。

 なお、御田ヶ原、猪苗代など湿原や湧水も拝所となるそうです。これは、それら湿原を田に見立てそこにもみを播いて豊作を祈願した所であるということです。

番号 大 神 所 在
1 熊野大神 鳥海山二の王子熊野神社です。
2 払川大神  
3 蛇石大神 蛇石というのは鳥海山中に何か所かありますがその名の由来は?
4 駒王子大神  
5 延命坂大神  
6 水呑大神  
7 狩籠鉾立新山大神  
8 箸王子大神 横堂にありました。箸王子神社は現在吹浦大物忌神社に祀られています。
9 牛戻大神 古絵図に牛戻の名が記されています。
10 蛭子岩大神 伊耶那岐命イザナギノミコト伊耶那美命イザナミノミコトの間の第一子が蛭子ヒルコですが場所不明。
11 加羅佐波大神 ”カラサバオオカミ”と読むのでしょうか。不明。
12 東物見大神  
13 西物見大神  
14 岡売岩大神  
15 傳石大神  
16 白糸滝大神  
17 八丁坂大神  
18 尊石大神 古絵図に八丁坂と河原宿の間に「ミコト石」とありますが不明。
19 河原宿大神  
20 御田ヶ原大神 この御田ヶ原は河原宿の先、幸次郎沢へ行く途中です。ボタ池のあたりです。
21 大雪地大神 大雪渓のどこでしょうか。近年までは大雪路おおゆきじと呼んでいました。
22 小雪地大神 同じくです。こちらは小雪路こゆきじと呼びました。
23 仙ヶ洞大神 お産の神様で「登ったりして穢してはならぬ」とされていました。
24 薊坂大神 薊坂のどこにあるのかは不明です。
25 獅子ヶ口大神 冒頭写真の薊坂最上部です。
26 鳥海御浜大神  
27 伏拝大神 伏拝岳文殊菩薩のあるところです。
28 御嶽大神 伏拝岳と行者岳の間に「御峯」と書かれた絵図がありますがそれでしょうか。
29 剣石大神  
30 行者嶽開山大神 行者役行者開山の神役行者と鬼が彫り込まれています。
31 御峯大神 古絵図では伏拝と行者岳の間に御峯と記されています。
32 御蔵大神 古絵図を見ると胎内の近くに「ヲクラ」と書かれていますが場所は不明。
33 胎内大神 新山山頂に行く途中の胎内くぐりです。
34 七高山大神 七高山は七佛の来迎する所と言われています。
35 御裏大神 荒神岳の大黒様が御裏大神のようです。
36 八方口大神 七高山の北のピークです。破方口とも書きます。

 32御蔵大神、33胎内大神、35御裏大神がのちに追加された拝所でしょうか。それと、虫穴が入っていません。また調べる楽しみが増えました。今年は体が許せば祠、拝所を訪ね歩いてみたいと思います。

 以前にも掲載した、左七高山北のピーク。右行者岳開山大神です。下には各所が結構記載されている絵図を載せておきます。

 一部拡大。

 


4 コメント

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拝所 (ytenjin)
2021-04-05 09:37:05
『史跡鳥海山』(由利本荘市・にかほ市・遊佐町)には拝所についてもある程度詳細に書いてるんですが、ハ方口は載ってませんが。
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登拝路と拝所 (ayasiiojisann)
2021-04-05 10:28:48
登拝路と拝所について、「山岳信仰の展開と変容:鳥海山の歴史民族学的考察」という論文で鈴木正崇氏が触れていますが『史跡鳥海山』は未読です。情報ありがとうございます。
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興味深い (KAN)
2023-04-11 21:17:57
いつも興味深い記事ありがとうございます。拝所というのは基本的には祠や仏像のようなものがあったものでしょうか?中には自然の岩や滝が対象だったものも有る?知るほどに新たな疑問が出てきて楽しめます。資料も呼んでみたくなります。
先日、山本坊のミツマタの花を見に行った時、庭の手入れをされているご主人と少しだけ話すことができました。お元気そうに見えました。
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拝所 (ayasiiojisann)
2023-04-11 21:40:06
この記事はだいぶ前に書いたものでその後「史跡鳥海山」という本でだいぶ明らかになりました。現存する拝所の祠は結構新しいものが多いようです。蕨岡口には「酒田町」と奉納した方の名前が書かれたものもあります。又拝所赤滝大神・大澤神社は現在何も残っていません。又記録に残る拝所の名前と同定することが出来ない、不明であるというのもあります。現在生存している方では既に明らかにすることは困難であると思われます。拝所に関しては太田宣賢「鳥海山登山案内記」が一番確実かと思います。蕨岡の宿坊の当主の方が大正の初めに書いたものですから。
明日は蕨岡へ行って龍頭寺、山本坊再訪する予定です。
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