昔は鳥海山へお参りするためにはお金を払う必要がありました。昔というと修験道廃止令 の出された明治五年より前の話と思うかもしれませんが、昭和三十年ころまで続いていたようです。なんといっても神社にも記録が残っていないのですから古老の記憶による以外ありません。もっとも神社にしたって専門家でもない、どこの馬の骨とも知れないものからの面倒な問い合わせを受けたって調べて答える方も面倒でしょうからね。
富士山では山役銭として記録があるようですが、鳥海山では山役料と言っていたようです。
大物忌神社発行の「自然・歴史・文化 鳥海山」によれば、
「明治五年の修験道廃止令以降、蕨岡三十三坊の旧修験者たちは『共栄社』という組織を作り、この組織が上寺の様々な利害関係の窓口となっていた。二十町歩ほどある共有林の管理、鳥海山登山者の登拝料、参拝者への祈祷、宿泊などの管理も行っていた。とくに蕨岡口からの登山者が多かったので、共栄社には金も力もあり、反抗すると上寺に住めないといわれるほどであった。しかし昭和三十年ころになって、税金を納められなくなり、解散した。」とあるように昭和三十年近くまでは登拝料、山役料の徴収も行われていたようです。
さて、ここからなのですが、いったい山役料とはいくらだったのか。これは修験道の研究をした諸学者先生方も触れていません。最後のころの山役料はいくらだったでしょうか。いくらだと思います?
きいたところでは最後のころ、昭和三十年近く、三百円だったそうです。三百円といってもすべての入山者から徴収するわけではなく、代参などの参拝者からいただいていたということです。このころまでは代参に訪れる人も多く、蕨岡の大物忌神社では年の半分もの収入をこの山役料で得ていたということです。酒田の大宮地区は代参が盛んで、山中で一緒になったこともあります。代参の方々は山頂の本殿で御祈祷していただいた後、虫札というお札をいただいて帰ります。昔は這松と石楠花を切り取って持ち帰っていたのですがさすがに今ではそれは行っていません。代参の方々は帰路も拝所で御祈祷をささげて下山します。
この山役料を徴収していたのは蕨岡大物忌神社では横堂、吹浦大物忌神社では鳥ノ海御浜神社でした。
この三百円、昭和三十年の物価としてはどうだったのでしょうか。
高卒初任給 | 大工手間賃 | 理髪 | 朝日新聞 | ビール |
6,600円 | 560円 | 150円 | 330円 | 125円 |
(明治~平成 値段史 http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm より)
誰でもピンとくるのはやはりビールの価格でしょうか。山小屋のビールの値段ではないですよ。令和の今に換算してみると三千円くらいでしょうか。鳥海ブルーライン有料のころ通行料は往復千数百円でしたからこの当時としては案外高かったのではないでしょうか。
いずれにしても、こういった記録は残っていないであろうし、残っていたとしても探すのは今となっては素人の部外者ではほぼ困難でしょう。何よりも一番は誰も興味を持っていないというところです。鳥海山の景色の写真を撮る人も、地質の調査をする人もそれはそれで結構ですけれど、又鳥海山の郷土史、山岳信仰史を調べる人もいっぱいいるでしょうけれど、肝心なのは細部にこそ本当のことが詰まっているということです。たまには重箱の隅を調べてみるのも決して悪いことではないと思います。
鳥海山の昔の話、まだまだ続きます。乞うご期待。
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