あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

GEPR 海外の論調から「放射能よりも避難が死をもたらす」-福島原発事故で・カナダ紙

2012-10-18 13:33:16 | 日記

理想国家日本の条件 さんより転載です。

GEPR 海外の論調から「放射能よりも避難が死をもたらす」−福島原発事故で・カナダ紙

 

 

アゴラ 転載、させていただいた記事です

http://agora-web.jp/archives/1494264.html

GEPR編集部
 
避難による死者の増加を指摘
 
「福島の原発事故で放射能以上に恐ろしかったのは避難そのもので、
精神的ストレスが健康被害をもたらしている」。カナダ経済紙の
フィナンシャルポスト(FP)が、このような主張のコラムを9月22日
に掲載した。この記事では、放射能の影響による死者は考えられないが、
今後深刻なストレスで数千人の避難住民が健康被害で死亡することへの
懸念を示している。
 
寄稿者はカナダのエネルギー研究者ローレンス・ソロモン氏。
(Wikipediaの紹介・英語)。
記事は「放射能よりも避難が死をもたらす」
(Evacuation a worse killer than radiation)。

記事では、「東日本大震災で失われた人命は1万6000人、行方不明は
3500人と災害の中でも最悪の結果となったが、加えて9万人もの人々の
避難の問題が今も続いている」という。(GEPR注・実際は16万人)
避難者の災害関連死亡者数は700人を超えて現在も増加を続けるが
「この死者の大半は、出してはならないものであった。人々の無関心と
無知が原因である」とソロモン氏は指摘する。放射線から逃れようと
する混乱、ストレスで死者が出たという指摘で、この死者は数千人になる
かもしれないと懸念する。
 
そして多くの専門家が「大部分は避難すべきではなかった」と述べている
ことを指摘。放射能は、いたずらに人々を怖がらせたが、そのレベルは
致命的線量に達しておらず、警報を発する程でもないという。

 福島事故による放射線の増加で健康への影響は少ない
 
ソロモン氏はリチャード・ウィルソン・ハーバード大学名誉教授(物理学)の
「原子力事故後の避難基準:個人的見解」(Dose-Response誌掲載予定)での
分析を紹介。それによると、昨年の福島の放射線放出はそれほど怖れる
べきものではないという。
 
同研究によれば、茨城県で1年間、福島の損傷原子炉からコンスタントな
放射線量を被曝する住民の吸収線量は876ミリレム
8・76ミリシーベルト)である。「人体へのコンピュータ断層撮影(CAT)
でのスキャンも含めて、生活していく上で、876ミリレムの線量になって
しまうものはたくさんあり、また宇宙飛行士はこの被ばく線量の100倍を
吸収することを許容されている。
 
それなのに日本政府は避難によって「人々の危険な状況を増した」と、
ウィルソン名誉教授は指摘する。「日本政府をこのような行動に突き動かした
のは、一般の人が放射線に抱く理屈ではない恐怖症と、怒れる有権者への
恐れからによるものであろう」と推定している。
 
厳しい基準は、人命を救うかどうかではなく、政治的な判断で、低い基準に
決まりがちだという。「人命を救うことのできる効果のある防護策は、緊急時
には許容量を4倍まで増加させること」と同教授は指摘する。そして、この
救われた命が失われたことを「ネガティブ」死亡と呼んだ。
 
ちなみに、ICRPが推奨する緊急時の被曝上限は年間許容量で100ミリ
シーベルトだが、その4倍は400ミリシーベルト。福島の住民の被爆の
各種調査が出ているが、2月の福島県による調査では、99%以上が
10ミリシーベルト以下だった。

 
防護基準見直しの意見が次々と登場
 
またジェリー・カトラー博士(カナダの原子力専門家)などは、避難基準の見直し
を推奨。避難時における基準のALARA(「合理的に達成可能な限り低く」
(As Low As Reasonably Achievable)という意味:ICRPの勧告で緊急時
100ミリシーベルト以下)からAHARS(「合理的に安全な限り高く」
(As High As Reasonably Achievable))への変更も提言しているという。
 
米国原子力学会の2012年6月の年次会議でも、現在の基準が与える
人々の健康への悪影響を考えて、許容基準の見直しを支持する意見があった
という。変更すれば、「避難者数は大幅に減り、将来的に必要が出てくる
避難の際の複雑な問題点も減少する」と、ソロモン氏は指摘した。
 
また米国原子力学会などでは、「放射線ホルミシス」への関心も高まっている。

低線量の放射線は寿命や健康に良い影響を与えることが確認されている。
カナダ、アメリカでは、核物質によるテロの懸念が広がっている、
「一般の人々や緊急対策機関が放射線ホルミシスを受け入れれば
避難地域の範囲が狭まり、犯罪に走ろうとするテロリストの気も、そがれるかも
しれない」「汚い爆弾の爆発も原子炉破壊もその意味を失う」と、
ソロモン氏は述べた。
 
FP紙のコラムの見解は近年の放射線医療や防護の学説を踏まえたもので、
妥当である。利害関係のない海外の識者は、原発事故の失敗に加えて、
現在進行形の日本の失敗も注視している。
 
リンク
 リチャード・ウィルソン博士の論文
 ジェリー・カトラー氏の論文

(アゴラ研究所フェロー 石井孝明)翻訳をまとめたものです。
これはアゴラ寄稿者の皆さん、GEPRがこれまで指摘したものと同じ。

日本の一部の人の、福島は危険という主張が異常であることが
理解できると思います。
この問題のおかしな状況を是正しなければなりません・・

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安倍総裁靖国神社参拝 反日特亜がさっそく反応!

2012-10-18 08:50:22 | 日記

保守への覚醒 さんより転載です。

 



自民党の安倍晋三総裁は17日、秋季例大祭が行われている東京・九段北の靖国神社を参拝した。安倍氏は自民党総裁選で首相に就任した場合は例大祭などでの参拝に意欲を示しており、政権奪還前に“公約”を先取りして実行した形だ。

 
安倍氏は午後5時2分、モーニング姿で靖国神社の到着殿前に党の公用車で到着。「自民党総裁 安倍晋三」と記帳し、玉串料は私費から納めた。参拝後、記者 団に「国民のために命をささげた方々に自民党総裁として尊(そん)崇(すう)の念を表するため参拝した」と述べた。一方で「首相になったら参拝するしない は申し上げない方がいい」と明言を避けた。

自民安倍総裁が靖国神社参拝 「公約」先取り実行 産経ニュース




日本のメディアが一斉に取り上げた安倍氏の靖国参拝。彼らの報道姿勢は日本人のそれではない。参拝の意義などそっちのけで「中国や韓国をさらに怒らせる要因になるのではないのか」と誘導しようという意図が明らかだ。



日本のメディアはそろいもそろって「国家・国民のために命をささげた先人に対する礼よりも、怒り狂うであろう中・韓にまずは配慮しろや!」と言いたいのである。



それに呼応するように中韓担当の現地派遣記者が中韓政府関係者の批判コメントを引き出すように質問を投げかける「自民党の安倍総裁が靖国神社に参拝したがその感想は?」靖国参拝が行われる毎に繰り返される馬鹿メディアの情けない動きである。



中・韓の外務省は早速コメントを出し安倍氏を批判した「首相を務め、現在は第1野党の総裁という責任ある政治指導者が、日本の侵略戦争と軍国主義の象徴としてA級戦犯を合祀している靖国神社を参拝したことに深い遺憾と憂慮を表明する」という反日に裏打ちされた過剰な干渉だ。



中・韓が仁義なき反日行動に出ている最中に安倍氏が靖国の秋季例大祭に参列した意味は大きい。「どんな状況下でもその都度宣言こそしないが私は私の信条に基づいた行動をとりますよ」と強力なメッセージを発信したのである。



中・韓ともに「遺憾の意」以上の批判ができない野党党首時代にまず参拝し民主党との格の違いを見せ付けた。



さらに「我こそが保守の神髄なり」という強いメッセージの刷り込みにも成功した。反日の中・韓、そして日本の馬鹿メディアに突き付けた安倍氏の先手必勝のパターンだと言える。

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2012年10月17日(水) 安倍総裁の靖国参拝

2012-10-18 00:42:18 | 日記

幸福実現党 加藤文康 ブログより

次期首相の最有力候補 安倍晋三自民党総裁が、本日夕刻、秋季例大祭で靖国神社を参拝しました。

小泉首相の後継者として、首相在任中も淡々と参拝を続ければそれでよかったのに、中途半端な対中互恵主義を持ち出して靖国参拝を見送ったところに、安倍政権の最初の躓きと、最大の過ちがあったのは明らかです。

「首相在任中に靖国参拝できなかったのは、私にとって痛恨の極みだ」との安倍コメントですが、
仮に次期首相になった場合だけでなく、そこに至る次期衆院選の過程でも、堂々とその信念を訴え・貫くことで亡国勢力との対立軸を明確にして頂きたいと思います。

正論を貫くことに幸福実現党は今後とも躊躇しませんが、自民党安倍執行部も朝日新聞やNHKを筆頭とする偏向マスコミ報道に屈することなく、堂々と信念を貫いて頂きたいと思います。
それでこそ国家のリーダーでありますし、
政治のリーダーシップとその信頼回復なくして、我が国の新たな未来への展望もないからであります。

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歴史の分岐が切り替わるとき……NHK『鹿児島三区の補欠選挙報道』に異変あり

2012-10-18 00:34:25 | 日記

幸福実現党日記 さんより転載です。

  NHKラジオから流れる言葉に、驚いて飛びついたのは久しぶりのことだ。
 『衆議院鹿児島3区の補欠選挙開始』の報道についてである。
 今回、鹿児島三区には、幸福実現党からも候補者が立っているのだが、今回、立候補者を紹介する際に、きちんと
 「諸派の新人で、幸福の科学職員の松澤力氏」と紹介が入っている。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121016/k10015777321000.html
 驚いた会員さんも多いだろう。
 それどころか、「いや、ラジオでは、幾度めかの紹介で幸福実現党とアナウンスしたのを聞いたように思う」という会員さんもいる。
 これまで、NHKは、幸福実現党はおろか、幸福の科学の名前すら口にすることを極力さけ、これまでも、幸福の科学職員が立候補するときは、「団体職員」と称していたように記憶している。
 ……しかも、NHKラジオは特に、左翼丸出し・アンチ原発・中国大好きの傾向が強い。
 そんなNHKが、中国との関係があやしくなっているこの時期に、幸福の科学の名を口にした。
 2年前、マスコミは、幸福の科学や実現党の名前を極力国民に見せないようにし、そんな集団は日本に存在しないとばかりに報道から抹殺してきた。
 彼らは、この二十年、「犯罪行為以外では、一切、幸福の科学の名前を出さない」と決めていたはずではなかったのか。
 その時の報道から見れば、これはささやかながら大きな異変だ。
 この異変は、おそらく先日発刊された、『NHKはなぜ幸福実現党の報道をしないのか』が功を奏したのだろうと思われる。
 あの収録の最後に、総裁は、「立木党首が……(拳を幾度も突き上げるジェスチャー)……しているところがテレビに映れば成功」「映らなければ別の手を考える」と語られた。
 まだまだ公平に報道しよう、という気はないようだが、その状況に向かって、一瞬ながら、NHKの巨体がふらりと揺れたかのようだ。

 変わっていくのはNHKばかりではない。
 この数ヶ月で、日本の歴史が、次々と塗り変えられているように感じられた。
 現在、2012年の10月下旬。
 本来なら、今ごろ、尖閣諸島が中国の領土となっていたのは間違いない。
 それを受けて、沖縄は、独立宣言を行い、中国の傘下に入ろうと準備しているはずだった。
 民主党の主導で、国内では、2030年までに原発の完全廃止が閣議決定され、経済と軍事の息の根が止まった。
 それらは、とりもなおさず、日本が中国の属国になっている未来が確定した、ということでもあっただろう。
 これまで、幸福の科学の霊人たちのリーディング等で、「こことよく似た宇宙がいくつもある」という、並行宇宙の存在について触れられているが、なんだか、どこかの並行宇宙では、そんな歴史の地球が実在しているような気がして、ぞっと背筋が寒くなる。

 ところが、このたび、尖閣では、日本は少しもゆずる気がない。
 腰抜けだと思っていた日本が、なんと、
【「お互い退かないなら会う意味ない」首相、国連総会での日中首脳会談に慎重 】
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120921/plc12092100330002-n1.htm
 といい、日本から出て行くはずのアメリカは、
 【オスプレイ7機が試験飛行=配備は日本防衛に貢献と海兵隊-山口と沖縄は強行に憤り】http://www.jiji.com/jc/zc?k=201209/2012092100941
 と、中国から見ればおぞましいオスプレイ配備完了、さらに、アメリカの国防長官が、
 【米 中国に“尖閣は日米安保内”と説明 9月21日 12時10分】  http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120921/plc12092100060001-n1.htm 、http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120921/k10015180901000.html ほか、リンク切れ しているが、個人のブログ等で記事全文を読むことが出来る。

 ……いずれも、大川総裁の提言した方向だ。
 逆に、習近平氏は気に留めていないようだが、
【中国株(終了):反落-景気や日中間の緊張を懸念 : 2012/09/20 17:24 JST 】http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MAN2JN6KLVRO01.html
 大川総裁は、以前より中国の足を止める大きな要因として、中国バブルの崩壊を考えているのではないかと思う。講演会で、再三、「中国バブルはもうはじけ始めている」という趣旨のことを語られたが、それが、この暴動で、一気に加速した気配がある。
 習近平氏は守護霊インタビューで、「いまは格差がありすぎる。もういちど毛沢東時代に戻したい」と発言していた。確かに、経済には後手に回っているのだ。

 そして、中国の経済が沈むと期を一にしたかのように、日本には復活の芽が出てきた。

 2030年までに原発の完全廃止が閣議決定するはずだったその日。
 政府は突然閣議決定をとりやめた。
 朝日新聞の若宮主筆は、これは、幸福の科学が出した「大江健三郎 守護霊霊言」の大きな広告の文面が、官邸をゆるがし、閣議決定をとりやめさせた、と考えているようだ。
 それどころか、野田首相は
【野田首相「来夏までに原発再稼働」 米紙会見で表明 電力不足に強い危機感】2011/9/21 5:00 日経新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2003H_Q1A920C1MM8000/ 
 と言い出した。
 さらに、総裁の講演会等での発言から察するに、来年あたり、野田首相が続投の場合、消費税増税に関して「弾力条項」を用い、「景気が回復するまでは増税 しない」という決定を出す可能性が高い、と考えられる。中国の暴動によって、中国に進出していた企業が軒並み大打撃を受け、政府に泣きつくことから、「弾 力条項」を用いずにはいられなくなる、といったストーリーだろうか。
 ……まだ、現実化していないが、この「消費税の増税延期」と、「来春から原発再稼働」の両者の可能性は、経済人にとって、朗報以外のなにものでもない。
 企業はどこも青息吐息だ。嵐の中で避難場所を見つけて、かろうじて一息つけそうだ、という気がする。

 政治的にも、野田首相が内閣総選挙を決断すれば、自民党が政権に返り咲くのは確定したようなものだ。
 そして、自民党では、再度返り咲いた安倍総裁が、日本を間違いのない方向に導くことに生命を賭けようとしているのがわかる。
 いや、その前に、なんとしてでも解散を阻止しようとする野田首相は「大連立」も視野に入れているかも知れない。
 どちらにしろ、日本の政治は、二年の遠回りを経て、ようやく保守に回帰しつつある。

 僅かずつだが、光明が見えてきた、という気がする。
 潮目がかわりはじめている。

 先ほど、「こことよく似た宇宙で、すでに中国の占領が確定した地球」という言葉を出した。
 まさしく、私たちのいるこの世界が、「中国に占領される世界」と異なる世界に向かうかどうかの「歴史の分岐点」を、私たちは全く知らないうちに、今、この瞬間も、体験しているのではないか。
 歴史の分岐を、意識して体験することが出来る人々は、そう多くないが、大川総裁の愛読者は、その自覚をもって、リアルタイムで起きている出来事を見ることが出来る。
 どこかで、本来なら滅びにいたるトロッコの道にとりつけられた、分岐レバーが、誰も知らないうちに、がちり、がちりと切り替わる。
 そのたびに、私たちの乗る世界という名のトロッコは、いくつもの分岐を、占領されない方へ、滅ばない方へ、と、人知れず道筋をかえている……。
 その歴史の分岐に立ち会っているという、静かな興奮を覚えながら、このNHKの小さな勇気(NHKにとってみれば、内心、びくびくものの大英断のつもりだろう)が、幸福実現党へのマスコミ包囲網にどう影響するかをも注目して、鹿児島三区の補欠選挙を見守りたい。
 細い小道ではあるが、暗い森の中に、未来へ続く光る道が見え始めたような期待感が生まれた秋である。
 この道を埋もれさせぬように、私たちはそれぞれの場所で、それぞれの仕事を、していかなければならないのだろう。

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南京の次は重慶?

2012-10-18 00:19:34 | 日記

 

南京の次は重慶?

 

ねずさんのひとりごとさん、

転載、させていただいた記事です
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1520.html

 

歴史的建造物の残る重慶の街並


まったくどうしようもないアホ連中だと思うのですが、
南京大虐殺なるものが実はまったくのでっちあげであることが
立証され、もはやこれ以上反論することは、かえって中共や
当時の支那国民党が行なった蛮行を世界に晒すことになりかね
ないという情況になったら、どうやら最近は、中共や日本の
左翼は、重慶大虐殺などと騒ぎだしているようです。

まず南京については、真実は、
1 南京で一般市民の虐殺なるものはただの一件も発生していません。
2 中共や日本の左翼などが宣伝に使用した日本軍による
南京虐殺の証拠写真なるものは、すべてねつ造や他の時と場所に
おいて支那人が支那人や日本人の無辜の市民に対して行なった
蛮行の写真であり、南京のものではありません。
3 文書による「証言記録」なるものも、すべて伝聞やでっち
あげによるものです。

そもそもなかったことを証明するというのは、実は非常にたいへんなことです。
数学の世界でも、「ないことの証明」ほど難しいものはない。

そこで旧陸軍関係者やその後を継ぐ近代史研究家の方々が、「証拠」
とされて提示されているひとつひとつの写真や文書について、長い年月
をかけてひとうひとつを丁寧に検証し、それらがいずれも嘘やはったり
でしかないことを、いちいち証拠だてて冷静に検証し続けてくださったのです。

これはたいへんに時間のかかる作業です。
なんの報酬もない。ただ軍の名誉のため、英霊となられた方々への
誠実のため、そしてなにより真実の追究のために、みなさん自腹を
きって努力を積み重ね続けてくださいました。

ある方は、毎月の検証会参加のため、遠く九州や大阪、名古屋から、
自腹をきって電車に乗り、会議に参加してくださった。全部自腹です。
交通費も自腹、資料の調査費も自腹、もちろん時給なんてのもありません。
ただただ誠意のために、地道な努力を続けてくださった。

こうした努力の結果が少しずつ蓄積され、発表され、そしてようやく
「これ以上南京問題を騒ぐことは逆に中共の信頼を損ねる」という
情況にまで、状況が改善されてきました。


先日、おもしろいことを聞いたのですが、
日本人にとって歴史はヒストリー(事実)である。
韓国人にとって歴史はファンタジーである。
支那人にとって歴史はプロパガンタである。
のだそうです。
実に言い得て妙、うまい表現だと思います。

さてこうして、いわゆる南京大虐殺などというものが、でっちあげに他ならず、

これまで悪のりして「証拠」だと騒いでいたものが、実は
支那人の支那人による支那人へ蛮行であったことがはっきりすると、
これはもう、
「これ以上騒いだらかえって中共政府のイメージを損ねる」という
状況となってきました。

すると最近になって中共や日本国内の左翼が、新たなプロパガンタ
としてでっちあげてきたのが、重慶大虐殺です。

重慶爆撃というのは、支那事変において、昭和13(1938)年12月4日
から昭和16(1943)年9月日にかけて、日本軍が支那奥地の重慶にある
国民党の軍事施設に対して行なった72回の戦略爆撃を指します。

支那側の発表によれば、この爆撃はいわゆる無差別爆撃で、同じく
昭和13年12月4日から、日本側の記録にある昭和16年より2年も
あとの昭和18(1943)年8月23日まで合計218回行われ、死者は
計1万1,800人、家屋損壊1万7,600棟であるとのことです。

日本が戦略爆撃を打ち切っているのに、それでもなお日本から空爆を
受けたというのもおかしな話ですが、さらにいえば、この空爆による
死者も、支那の発表では、

2000年07月13日
「死亡した2500人の同胞を」

2001年06月06日
「市民1万1889人が死亡、1万4100人が負傷」

2004年07月14日
「被害者は5万人以上で」

と、年々死者の数が増えています。
この調子でいけば、数年を経ずして重慶で30万人死亡説なども
出されることでしょう。

亡くなられた人の数というのは、敵であれ味方であれ、亡くなられた
おひとりおひとりが、生きていた人間であって、おひとりおひとりに
それぞれの人生があったということを忘れてはなりません。
ひとりひとりに人間としての尊厳を認めるならば、お亡くなりになった
人の数は、実際より少なかったら死者への冒涜になるし、多くても
やはり冒涜です。
人を大切に思うなら、数の間違いなんて、あってはならないことです。

その数が、中共の発表では、年々変化する。
これはいったいどういうことでしょうか。
それってつまり、亡くなられたおひとりおひとりの人命を尊重すると
いう考えではなくて、数にモノをいわせて、おのれの政治的主張を
押し通そうとする政治的プロパガンタということなのではないでしょうか。

もっといえば、中共や日本の左翼にとっては、おのれの政治的主張
こそが大事なのであって、人に人としての尊厳など、カケラほども
持ち合わせていないということです。
こんなバカな話があってよいのでしょうか。

さて、重慶爆撃に話を戻します。

この事件は、支那事変の渦中にあった出来事です。
簡単に経緯を述べると、
昭和12(1937)年に第二次上海事件があり、日本はやむなく支那へ
出兵を余儀なくされました。

支那国民党は、ドイツの支援を得て上海エリアに約2万カ所の
トーチカを築き、60万の兵力を結集して日本軍を待ち受けたのですが、
日本陸軍は勇猛精神を発揮し、これらを破り、上海から蒋介石率いる
国民党を駆逐します。

上海から追い出された蒋介石一派は、南京市へと逃げ込み、そこで
市民を大量に虐殺した上、南京の城塞周辺にやはり多数のトーチカ
を築いて日本軍を待ち受けます。

やむなく日本は、南京の無辜の民の救出のために、兵を南京へと
進ませるのですが、日本軍強しとわかると、南京にいた蒋介石も、
南京防衛軍総司令官の唐生智も、自分たちの兵を置き去りにして、
そくさくと南京から逃げ出してしまいます。
このためそれまで立派に戦っていた支那兵たちは総崩れになり、
南京城北側にある下関門から揚子江に逃げ出した。

ところが唐生智らは、自分たちが逃げ出す際に「味方であるはずの」
支那兵から追われないようにと、揚子江から逃げ出すときに、
そこにあった大きな船をみんな焼いてしまったのです。
このため、下関口の港には、少数の小船しか残っていなかった。

そこに何万もの支那兵たちが逃げ出そうと殺到したのです。
大混乱が起こり、船に乗り切れなかった者が船のへりにしがみつく。
既に乗っている者がそのしがみついた手首を切り落すなどの蛮行が
起こり、挙げ句、しがみつく者たちによって船が転覆するなど、
考えられないような事態がそこで起こります。

こうして国民党が出て行った後の南京市には、日本軍が入場し、
治安を回復し、町に平和が戻り、南京市から非難していた多くの
市民が町に戻り、その平和と安定は、大東亜戦争の終戦時まで続きます。

一方、南京を捨てて逃げた蒋介石らは、南京よりもさらに
1500キロ奥地にある重慶に落ち延び、そこを制服して、重慶に
軍事基地を設けたのです。

ちょっとここで脱線します。
上述のお話の中で、蒋介石は60万の兵力を上海に結集しました。

これら兵員の食料は、いったいどのようにして賄っていたの
でしょうか。

また、命からがら南京を逃げ出した蒋介石らは、漢口、重慶と
落ち延びますが、さながら落ち武者となって無一文で逃げ出した
蒋介石らの軍は、いったい逃げる間、糧食をどのように賄って
いたのでしょうか。

時代は異なりますが、三国志の時代、たとえば赤壁の戦いに際して、
魏の曹操は呉と戦うため、80万の大軍を赤壁に移動させました。

その大軍が通った後には、草木一本も生えず、村人たちは皆殺しの
憂き目に遭っています。80万の大軍を移動させるに際し、途中に
ある民間人は、殺され、軍隊に食べられているのです。
それが彼の国の文化であるということです。

話が脱線しました。
ただ、武器を手にした蒋介石ら一派が、逃げる途中で村人を襲い、
老人や子供や女性は殺して食べ、男は兵に徴用するということは、
彼の国では、ごく当たり前の軍の常識として行なわれていたという
ことは、ひとつしっかりと押さえておきたいと思います。
我々日本人とは、彼らは考え方がまったく違うということは、
覚えておきたいことです。

話を戻します。
重慶を制圧し、そこを本拠と定めた蒋介石らは、英米から軍事物資の
支援を得て、最新型の高射砲などを用意して、町の防備を固めます。

一方日本は、地上軍による重慶の攻略を計画するのだけれど、重慶が
天然の要害の地である事、なにぶん重慶が遠隔地であり、兵站の
補給の問題(日本はちゃんと米の飯を内地から送っているのです)等
から、重慶への地上部隊の派遣をあきらめます。
そしてその代わり、「航空侵攻により敵の戦略中枢に攻撃を加える」
こととしました。

こうして行なわれたのが、日本の陸海軍による重慶空爆です。

この重慶空爆の体験記として、山本七平の「ある異常体験者の偏見」
に、次の記述があります。

~~~~~~~~~

(日本軍)の欠陥兵器を次々にあげていけば際限ないが、あまり
長くなるのでこの章の最初に述べたAさん、陸軍の重爆隊の生き残り、
の言葉を収録し、それを敷衍してこの稿を終わろう。
「新聞に出なかったけれどなぁ、重慶・昆明の爆撃はひどかったよ。
日本の高射砲は絶対に当たらネーが、中国のは米国製でなぁ、よく
当たりやがるんだ。一回行けば八機は落とされた。重爆ってのは九人
乗ってたんだぜ、そのたびになぁ、8×9=72人 の遺骨無き部隊葬よ」

~~~~~~~~~~

当時の日本の空爆隊のパイロットというのは、特によく訓練された精鋭です。
一方日本には、爆弾そのものも、数作れるだけの経済力はありません。
ですから投下する爆弾も、米国が日本やベトナムを空爆したときのような、
航空機からまるで下痢便を垂れ流すように爆弾を投下し、絨毯爆撃する
ような派手な爆撃などできない。
一撃必殺で、ピンポイントで空爆をし、帰投するという作戦を実施しました。
実に見事な作戦ですが、それでも米国製の高性能高射砲で、多くの
英霊が犠牲となったのです。

けれど、このピンポイント空爆の結果、蒋介石軍は大東亜戦争開戦前
には、一時的にせよ戦争遂行能力がなくなるまでに追い込まれています。

そのことは、他の誰でもない、蒋介石自身が日記で、「戦争を単独で
遂行することができないまでに追い込まれた」と書いています。

この重慶爆撃について、中共が日本軍による無差別爆撃の蛮行の証拠と
している写真がいくつかあります。
下の写真はその中の1枚で、防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり
窒息したりして死亡した人々の写真で、昭和16(1941)年6月5日の
ものなのだそうです。

非常に不思議な写真です。
防空壕に逃げようとしていた人々といいながら、何故この写真に写って
いるのは女性と子供ばかりなのでしょうか。
しかもなぜ、空爆から逃げようとする人々が、下半身ハダカになって
いるのでしょうか。
上着を胸までまくられた遺体もあります。
どうしてこのような姿になったのでしょうか。

すくなくとも、日本軍は、重慶に地上部隊を派遣していません。

また、後ろに写っている民家は、まるで無傷のようですが、空爆の
被災地なのに、どうして木造民家が無傷なのでしょうか。
これが重慶における日本軍の空爆被害写真というなら、実に不思議、
不思議な写真です。
私にはむしろ、支那国民党が支那の市民に対して行なった略奪と
暴行、殺人の写真にしか見えません。

ひとつだけはっきりと言えることがあります。

蒋介石一味は、米英の援蒋ルートによって、武器や弾薬等だけは、
極めて豊富に持っていた、という事実です。
蒋介石は、日本が重慶空爆を打ち切ったあと、日をおかずして自軍の
規模を数十万の大軍に膨れ上がらせています。

武器はあるけれど、カネと食い物がない。
当時の蒋介石軍は、法と秩序を持った国家ではありません。
あくまでもただの支那軍閥です。

彼らは、どうやって、食い物を調達し、兵を養ったのでしょうか。

蒋介石一派によって、武器を持たない民間人は、女子供を強姦され、
殺され、抵抗する男は全員皆殺しに遭いました。
上海しかり、南京しかり、漢口しかり、そして重慶しかりです。

武器の前に言うことを聞く男は、兵として徴発されました。
逆らえば即、死です。

そして暴行され、殺害された死体は、他の兵の食料となっていました。
殺されて、食べられたくなければ、言うことを聞いて
国民党軍になるしかなかった。

実際に、重慶で起こった出来事を整理すると、次のようになります。


1 蒋介石率いる国民党軍閥の暴れ者たちが、ある日突然
重慶市を遅い、市を占領した。

2 その重慶で、国民党軍は、略奪の限りを尽くし、婦女を強姦し、
殺害し、男は兵として強制的に徴発した。

3 日本は重慶への歩兵の進出を企図するが、同地が支那の
奥地であり、兵站に問題があることから、同市への空爆を行なった。

4 日本軍による空爆は、ピンポイントで蒋介石軍の軍事施設を
狙ったものだった。

5 爆撃の正確を期すために、日本軍は低空からの軍事施設への
爆撃を行なったが、このため、蒋介石軍が米英より受け取った
高射砲によって甚大な被害を被った。

6 しかし同時に、重慶市に立て篭る蒋介石軍も、軍の体を
なさないほど、壊滅的な被害を被った。

7 日本が重慶空爆を停止させると、そのあとわずか数ヶ月で
蒋介石軍は、数十万の大兵力を築いている。

  (その兵力をどうやって徴兵したかは、想像に難くない)

もう少し述べます。
いま、重慶空爆について、これを日本軍による無差別爆撃だと、
支那共産党政府と、これに従う日本の一部の極左勢力が主張しています。

この点について、6つの点から反論を述べておこうと思います。
この反論は、東近研の落合道夫さんからいただいたものです。

(1) 開戦責任

重慶空爆だの南京虐殺だのと主張する前に、まず支那事変を始めたのは
誰かを考えなければならない。
これは台湾の元国民党の高官が言っているように、蒋介石が
始めたことは隠しようがない事実です。

すなわち、盧溝橋事件、通州日本人大虐殺事件の翌月、
昭和12(1937)8月13日に、蒋介石は5万の大軍をもって上海にいた
日本人居留民を襲っています。
これが当時上海事変と言われた支那事変の始まりです。

(2) 無差別上海爆撃

翌8月14日には、蒋介石軍機が上海を無差別爆撃しています。
蒋介石軍は、日本の巡洋艦「出雲」や米国巡洋艦「オーガスタ」を
攻撃し、米国人水兵が死亡しています。
さらに蒋介石の爆撃機は、上海の国際租界を爆撃しました。
このため支那人が一千人も死亡しています。

このときの爆撃で、パレスホテルに泊っていた後のライシャワー大使の
令兄が爆死したのは有名な話です。
都市への無差別爆撃は、支那側が世界に先駆けて始めたものです。

(3) 無差別南京爆撃

さらに昭和12(1937)12月13日に日本軍が南京を占領すると、
蒋介石軍機が南京を爆撃し、多数の支那人を殺しています。
日本陸軍空軍が反撃し、三分の一を撃墜すると、撃墜した飛行機に
乗っていたパイロットは、ソ連人でした。
日本は、このとき「敵はソ連だったのか」とたいへんに驚いています。

(4) 講和拒否責任

日本は支那事変の当初から、蒋介石に講和を提案しています。
けれど蒋介石は日本の手の内をみるだけで講和を拒否しました。
これには西安事件以後裏で蒋介石を操っていたスターリンの意向が
あったといわれています。
そこで日本はやむなく、圧力をかけるべく重慶を爆撃したのです。

(5) 蒋介石の戦争責任

以上から支那事変を始めたのも、都市への無差別爆撃を始めたのも、
蒋介石であることがはっきりわかります。
自分たちが無差別爆撃をやっておいて、日本がやったと騒ぐのは、
お門違いというものです。

(6) 中共について

いま、中共政府が重慶爆撃について日本を非難していますが、中共は、
戦後の大躍進運動の中で四千万人、文革で二千万人、その他で二千万人、
合計八千万人も、同じ支那人を殺しています。

そのような中共に、ハーグ陸戦条約を厳守して戦った帝国軍人が
シノゴノ言われる筋合いは、まったくない、ということを、この場で
明確に宣言させていただきたいと思います。


実はいま中共は、内部崩壊の危機にあります。
当然のことです。
人口の一割にも満たない支那共産党幹部が好き放題に国家を壟断し、
贅沢三昧な暮らしをする一方で、それ以外の支那人は、まるで搾取の
対照となり、人としてさえも扱われないという歪んだ国家なのです。

そしてこの内部崩壊阻止のために、さかんに行なわれているのが、
対日工作であるといわれています。

これは彼らにとって、3つの大きなメリットがあります。

1 支那国内の不満を日本に逸らすことで政権の安定を得る
ことができる
2 日本を弱体化させることで、日本の尖閣領海の資源を横取り
することができる
3 日本を弱らせることで日本の技術を支那に呼び寄せ、支那の経済的
利益を拡大できる。

そしてそのための工作資金は、なんと日本から出ています。
日本人が、日本を崩壊させ、経済も文化も貞操までも支那に奪われ、
日本人自身が貧困に追い込まれるために、日本のカネが使われて
いるのです。

一部の人は、それによってメリットを得ます。
けれど、大多数の日本人は、それによって酷い生活を余儀なく
されます。

「ひとりを生かせなくて、なんのための政治か」などと気取る政治家を
たまに見かけますが、とんでもない話です。

政治は、大多数の幸福のために、ときには小を犠牲にする、言い換え
れば最小限の犠牲で最大の幸福を国民にもたらすのが政治というものです。
勘違いもはなはだしい。

南京が、どうやら分が悪いとみたせいか、昨今では重慶大虐殺などという
ホラ話を支那共産党は仕掛けてきていますが、その仕掛けの裏には、中共
と手を組んだサヨクの暗躍があります。

もはやサヨクは日本にいらない、いまのままサヨクを続けたいなら、
さっさと国外に出て行け!

私は、そう申し上げたいのです。

 

 


--------------------------------------------------------------------------------


第二次上海事変における中国人による日本人捕虜の残虐処刑 (1996 CNN)

http://youtu.be/Nr_eThF6I00

  重慶爆撃の捏造写真の背景を調べてくれたものです。

 「捏造犯を追い詰める。重慶虐殺、南京虐殺 ねずさんのひとりごと」
 https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=v07eG7-eNG8#!
http://youtu.be/v07eG7-eNG8

 捏造犯を追い詰める 3 南京重慶淮海虐殺 ねずさんのひとりごと
 https://www.youtube.com/watch?v=wV2moSFhEmM&feature=plcp
http://youtu.be/wV2moSFhEmM

 

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「竹島は韓国領でない」証拠発見

2012-10-18 00:09:12 | 日記

週刊ポスト2012年10月26日号 より

1889年発行の韓国の教科書に「竹島は韓国領でない」証拠発見

イメージ 1


まさに、やりたい放題。韓国の国会議員たちが「竹島上陸計画」を次々と発表している。国会行政委員会で10月16日の上陸が議決され、23日にも別の委員会が上陸を計画中だ。

 現在はこうして韓国が不法に実効支配し、好き放題に反日アピールが繰り広げられる竹島だが、歴史的には明らかに日本の領土だ。その「動かぬ証拠」となる資料がある。

 日本は1880年の調査で竹島を確認し、1905年に島根県に編入することを閣議決定した。ジャーナリストの水間政憲氏が解説する。

「韓国側は『1905年当時、韓国は日本の保護国で反論できなかった』と主張しますが、そんなことはありません。日 本の保護国になる以前の1899年に韓国で発行され、教科書として使われていた『大韓地誌』(写真)がその証拠です。教科書には韓国の領土範囲が記されて いますが、そこに竹島は含まれていない」

『大韓地誌』の記述を日本語訳すると、以下のようになる。

〈わが大韓民国の位置はアジアの東部に在り、支那の東北部から日本海と黄海・渤海の間に突出した半島で、北緯33度 15分より42度25分に至り、東経(グリニッジ天文台を基準とする)124度30分より130度35分に至り、東は日本海を界とし、西は黄海に浜し、南 は日本海と黄海に臨み、東南は一海峡を隔てて日本の対馬と相対し……〉


 この記述と、そこに添付されている地図を対照すればわかるが、「竹島は韓国領ではありません」と韓国の教科書に書いてあったのだ。今の主張が捏造であることがはっきりわかる。

 10月12日に発売された『日本人が知っておくべき竹島・尖閣の真相』(SAPIO編集部・編)では水間氏をはじめとするジャーナリストたちが歴史資料などを丹念に紐解いたリポートを寄稿。

 竹島や尖閣諸島の領有権についての韓国・中国の主張を覆す証拠が数多く示されている。間違いなく日本の領土であるという「事実」を日本人自身が知ることは、全ての議論の出発点になるはずだ。

地図・資料提供■水間政憲


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接続水域を中国軍艦が通過 日本は中国並みに妨害せよ

2012-10-18 00:06:15 | 日記

ザ・リバティーweb  より転載です。

接続水域を中国軍艦が通過 日本は中国並みに妨害せよ

中国海軍のミサイル駆逐艦など7隻が16日朝、与那国島-西表島間の接続水域を通過、尖閣諸島を航行した。7隻はフィリピン沖・南シナ海から航海してきた。17日付各紙が報じた。

 

日本西端の接続水域で中国海軍艦艇の航行が確認されたのは初めて。外務省の杉山アジア大洋州局長は中国の韓駐日公使に、「日中関係の大局に鑑み、適切な対応を求める」と申し入れたが、中国国防省は「通常の訓練と航行であり、正当で合法だ」と平然と反論した。

 

国際連合憲章第2条4項にはこうある。「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」

仮にも国際連合の常任理事国である中国が、国連憲章を無視して武装した艦船で威嚇しておいて、「正当で合法だ」とはどういうことか。

 

今月2日にアメリカ海軍は「ジョージ・ワシントン」と「ジョン・C・ステニス」の空母を西太平洋に展開させるという異例の措置をとった。中国海軍は今年の4月と6月に日中中間線を越えて艦艇を東シナ海に派遣。今回の西太平洋~南シナ海間航行も、米2空母の展開に対抗し、戦力の分散を狙う目的で行ったものと見られる。中国は「我々は太平洋、南シナ海、東シナ海のどこにでも艦艇を派遣できますよ」というアピールをするのが目的のようだ。

 

振り返ると2009年3月、南シナ海の公海上で中国艦船と米海軍調査船との小競り合いがあった。中国船は米調査船に強い照明をあてたり、木材を進路上に投げ入れたりするなどの嫌がらせを繰り返した。各国の艦船の通過が認められている公海上にもかかわらず、中国側は「米船は中国の許可を得ずして排他的経済水域に侵入した」と言い張った。

 

日本も中国に倣って、排他的経済水域内に入った中国艦船に対しては、しっかり妨害措置をとるべきだろう。(悠)

 

【関連記事】

2012年10月8日付本欄 米軍頼みでは日本は尖閣を守れない

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=4985

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「南京30万人虐殺、慰安婦…ウソを実証つきで否定されると怒る中国・韓国の屈折」

2012-10-18 00:03:56 | 日記

日刊ケボチ さんより転載です。

【論説】 「南京30万人虐殺、慰安婦…ウソを実証つきで否定されると怒る中国・韓国の屈折」「日本の左派マスコミも問題」…筑波大教授

★筑波大学大学院教授・古田博司 日本軍と戦わない屈折が反日に

中国の野蛮と韓国の野蛮が世界を騒がせている。彼らは日本人が面子をけがしたと言っているが、彼らはウソをつくことを恥と思わない。
ウソや虚構が後戻りできないほど否定されたときに初めて恥を感じ、元の面子を取り返そうと怒りだし躍起になるのである。

近代史上、韓国は日本軍と戦ったことがない。韓国が主張する戦いは1920年の青山里戦闘1回きりで、敵は朝鮮人匪賊だった。当時の満州に は、このようなアウトサイダーがあちこちにいた。対日戦争を独立戦争として戦ったのは北朝鮮の故金日成国家主席と仲間たちだけだ。青山里の戦闘で勝ったというウソを定着させようと韓国は骨を折ってきたが、戦場に残ったのは日本軍であった。敗けた方が戦場に残る道理はない。

韓国が英雄として誇るのは、あとは爆弾魔のテロリストだけだ。有能な人材は全て日本の近代化に参画したから、放浪者しか残らない。その放浪者の爆弾テロリストを英雄に仕立てなければならないのは、今の韓国の悲哀である。

長く英国支配に抗してきたアイルランドでは、このような卑劣を正義とは見なさない。ダブリンにある旧英総督府は、1916年の「イースター(復活祭)蜂起」の記念館になっているが、掲げられている英雄たちはみな蜂起の指導者で処刑された者たちである。

中国人で日本軍に正面戦を挑んだのは、国民党軍であり、共産党軍ではない。中国研究者たちは1990年代後半から戦いを主導したのは共産党だという恥ずべきウソに加担したが、今では正常心に戻っている。
 
中国にいた日本軍を勝者として武装解除したのは、国民党軍であり、満州の方を武装解除したのは、旧ソ連軍である。共産党軍は日本軍の武器をソ連軍から供与され、この火力で戦後、国民党軍を台湾にたたき出した。
共産党軍が主張する戦いは、40年の百団大戦ぐらいのものだ。国共合作で国民党の援助を受けながら大敗し、その後、執拗な日本軍の追撃を受け、党内でも批判された。中共の主力部隊が延安の山に逃げたことを、彼らは「長征」というが、征服した地はない。「長遯」がふさわしいだろう。満州にいた中共軍は44年までに、日本軍によって全滅した。第二軍の一司令官だった金日成氏は40年頃、国境を越 えソ連領に逃れている。

日本が敗戦したのは国民党の中華民国であって、共産党の中華人民共和国ではない。私は東京裁判自体は正しいものだとは思わないが、戦勝国として戦犯たちに臨んだことは、台湾住民に勝利の記憶を残したことであろう。この記憶が、台湾人の心をすっきりさせている。だから、彼らは反日である必要性を持たない。今日に至るまで親日だ。日本軍と正面切って戦わなかった者たちが、今も反日でしこっているのである。

韓国は日韓併合は強制であり、不当だと言った。だが、当時の李朝の国庫は空であり、どうしようもなくなった王が日本の提案に妥協し5人の大臣に丸投げしたという史料が、3カ所から出てきてしまった。国権強奪はなかった。
 
土地収奪はソウル大の経済史教授が否定した。日本時代は、韓国に年率3・7%の経済成長をもたらし、民法典を与え所有権を確定した。確定した側が所有権を無視し、土地を奪うはずがない。朝鮮で取れたコメは経済原理に則って日本に輸出されたのだと、教授は主張した。台湾の植民地統治は成功だったが、朝鮮のは失敗だったという、日本の左派学者たちの韓国の反日擁護の構図は崩れ た。

日本の植民地統治は成功し、朝鮮を近代化させた。米ハーバード大教授がさもなければ、どうして戦後韓国の企業家が順調に育つことができただろうか、と疑問を投げかけて、日本時代の民族資本家たちの活躍を本に描いた。この本は今も、韓国では禁書である。
 
日本軍と戦わなかった者たちは自らの正義の記憶がない。中国は南京事件を捏造する日本の市民派新聞に
飛びつき、韓国は従軍慰安婦のウソに搦め捕られた。日本の左派知識人やマスコミは結局、彼らの卑劣さを
助長したのである。

南京事件の被害者数は年々増加する。戦闘1週間で30万人も殺せたならば、戦争はすぐに終わってしまうだろう。中国軍はそれほど惰弱だったのだと侮蔑することもできる。だが、戦ったのは共産党軍ではない。国民党軍だった。
 
歴史共同研究で話し合えば共通認識が得られると思い込んでいる人々がいる。だが、事実を明らかにする資料を示すと彼らは怒る。その時に初めて恥を感じ、面子を取り戻そうとするからである。日本側はウソ自体を恥じる。だから研究して会議に臨 む。「恥と面子の平行線」である。第二期日韓歴史共同研究委員会では、日本側が韓国の歴史教科書の元ネタが日本であることを実証した。その時、韓国側が 「こんなこと、韓国の学界に知れたら大事になるぞ」と叫んだ。面子ゆえに、彼らはいつも戦わずして屈折するのである。(ふるた ひろし)(以上、抜粋)

 
 http://sankei.jp.msn.com/world/news/121017/kor12101703180000-n1.htm

ご意見
正論

コレ読んだらぐうの音も出ないな シナチョンは

軍の強制はなかった→広義の強制はあった
30万人もいない→南京の周辺地域も全部含まれる!
嘘つきに対応しても無駄

こういう嘘を指摘することを拒み、徹底して批判してきた日本のマスコミが一番悪いような気がする。


マスゴミの上の重石をのけてやりましょう。
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