あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

ジブリで有名な宮崎監督の霊的素性

2013-07-28 00:25:54 | 日記

理想国家日本の条件 さんより転載です。

ジブリで有名な宮崎監督の霊的素性

  
 幸福の科学グループ創始者兼総裁
大川隆法先生
「宮崎駿アニメ映画創作の真相に迫る」

この度、主より新たな霊言「宮崎駿アニメ映画創作の真相に迫る」
を賜りました(本編[124分]・抜粋版[約60分])。

 

開示日

7月30日(火)~
 
【開催場所】

支部・拠点・精舎・布教所

 
【Point】
 
◆宮崎アニメは、子供たちに見せてホントに大丈夫?


最新作「風立ちぬ」で、監督が日本人に訴えたいものとは?
 
・7月20日、参院選の投開票日前日に公開された宮崎アニメ
「風立ちぬ」。20日、21日の両日で、約74万人を動員したと
言われている。相変わらずのジブリ人気である。
 
・しかし、スタジオジブリで毎月発行している、無料小冊子
『熱風』の最新号では、「憲法改正」を特集し、宮崎駿監督自ら
「憲法を変えることについては、反対に決まってます」と
政治的発言に踏み込んでいる。
 
・果たして、宮崎駿監督守護霊はどんな思想の持ち主なのか?
「反戦」「平和」の背景にあるものとは?


 


◆なぜ、宮崎アニメはヒットするのか?意外な創作の裏事情が明らかに。
 
◆手塚治虫のアニメとの違いは何か?ユーミンとの不思議な関係とは?
宮崎監督の過去世の職業は?
 
◆「コンクリートから人へ」に共感する宮崎駿守護霊は安倍総理を
どう思っているのか?中国・北朝鮮をどう思っているのか?
 
◆え~っ!宮崎駿守護霊が理想とする日本の姿とは?
アニメの巨匠から見た、当会の映画の評価は?
 
おもしろい作品を創る宮崎駿監督ですが、その名声と思想傾向のゆえに、
今後ますます左翼マスコミに利用されそうな気配です。


 
以上

 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

参院選目前の「風立ちぬ」公開を前に ジブリと東京新聞

(中日新聞)が「憲法改正反対」で共闘か?


http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/529d7cc3ec4b85ae59e2b2e1fda275d7

参考意見 http://okwave.jp/qa/q2147344.html

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安倍首相の靖国参拝に「大川談話」という援軍

2013-07-28 00:20:08 | 日記

理想国家日本の条件 さんより転載です。

安倍首相の靖国参拝に「大川談話」という援軍

 

立木 秀学
(ついきしゅうがく)氏 ブログ転載

 東京大学 法学部 第3類(政治コース)卒業後、幸福の科学入局。
財務局長、専務理事などを歴任し、幸福実現党に入党
。2010年から2012年12月27日まで幸福実現党党首を務め、現在、
HS政経塾長。2013年7月27日

http://tsuiki-shugaku.hr-party.jp/diplomacy/5274/

 もうすぐ8月がやって来ます。原爆記念日や終戦記念日を含むこの月は
毎年、先の大戦を思い起こし、「平和」についての考えを深めさせられる
時期です。
 
 政治的には、首相や閣僚が8月15日に英霊を祀る靖国神社を参拝するのか
しないのかが、対中韓外交との兼ね合いでいつも問題とされてきました。
 
 果たして今年、安倍晋三首相は靖国参拝を行うのでしょうか。
 
 第一次安倍政権時代(2006~07年)に靖国参拝できなかったことを
「痛恨の極み」と悔いていたはずの安倍首相ですが、最近の一部報道
では8月15日の参拝を見送る意向を固めたとされています。
 
 参院選の大勝で国会のねじれが解消し、衆院を解散しなければ16年夏の
参院選まで国政選挙はなく、長期政権になることは確実だから、向こう
3年間の適当な時機に参拝できればよいという考えも囁かれています。
 
 しかしながら、首相が靖国参拝を行えないのであれば、憲法改正を
進めることはほとんど絶望的でしょう。
 
 わが国が、96条改正を通じてにしろ、最終的に9条を変えて国防軍を
持つということに対しては、国内の護憲勢力はもとより、中国や韓国
からも「戦前の軍国主義の復活だ」などという批判がなされています。
 
 日本が他国なみに軍隊を保持することを以って、即「軍国主義や
ファシズムの復活」と決めつけるのはおかしな話なのですが、日本は
過去に軍隊によって悪しき侵略と植民地支配を行った国だから、軍隊
を持つべきではないというのが彼らの言い分です。
 
 そして、中韓が日本の首相・閣僚による靖国参拝に反対し続けている
のも、いわゆるA級戦犯が合祀された靖国神社への参拝は過去の侵略や
ファシズムを称賛し美化する行為だとしているからです。
 
 かくして憲法改正は、「日本は悪しき侵略国家である」という誤てる
歴史認識を克服し、靖国参拝もごく当然に行うだけの覚悟がなければ、
成し遂げることは難しいでしょう。
 
 最近の世論調査では、憲法改正は「必要」と考える人の方がそうで
ない人よりも多い、あるいは首相は靖国参拝を「すべきだ」と答える
人の方が「すべきでない」と答える人よりも多い、という結果が出ては
いるようです。
 
 しかし、本当に「いざ、憲法改正」となった時に反対勢力や中韓から
の批判や非難が高まれば、自虐史観に基づく戦後教育を受けてきた多く
の国民はそれに揺さぶられて、つい現状維持を選んでしまう可能性が
十分にあります。
 
 したがって、安倍首相は政権復帰前からの方針通り、「村山談話」
「河野談話」に代わる新たな談話を閣議決定し、政府の歴史認識を改め、
これについて議論と説得で以って国民から理解を得られるよう努力
すべきなのです。
 
 これに成功すれば、憲法9条の改正も96条改正という迂回路を経る
ことなく、速やかに進められるようになるでしょう。
 
 そんな仕事ぶりが期待される安倍首相に、今回大きな「援軍」が現れ
ました。 昨日26日、幸福実現党のプレスリリースで発表された、
大川隆法同党総裁による「大川談話—私案—」です。以下に引用します。
 
(引用開始)

 
〈大川談話—私案—〉 (安倍総理参考)
 
 わが国は、かつて「河野談話」(一九九三年)「村山談話」
(一九九五年)を日本国政府の見解として発表したが、これは歴史的
事実として根拠のない風評を公式見解としたものである。その結果、
先の大東亜戦争で亡くなられた約三百万人の英霊とその遺族に対し、
由々しき罪悪感と戦後に生きたわが国、国民に対して、いわれなき
自虐史観を押しつけ、この国の歴史認識を大きく誤らせたことを、
政府としてここに公式に反省する。
 
 先の大東亜戦争は、欧米列強から、アジアの植民地を解放し、白人優位
の人種差別政策を打ち砕くとともに、わが国の正当な自衛権の行使として
なされたものである。政府として今一歩力及ばず、原爆を使用したアメリカ
合衆国に敗れはしたものの、アジアの同胞を解放するための聖戦として、
日本の神々の熱き思いの一部を実現せしものと考える。
 
 日本は今後、いかなる国であれ、不当な侵略主義により、他国を
侵略・植民地化させないための平和と正義の守護神となることをここに
誓う。国防軍を創設して、ひとり自国の平和のみならず、世界の
恒久平和のために尽くすことを希望する。なお、本談話により、先の
「河野談話」「村山談話」は、遡って無効であることを宣言する。

 
 平成二十五年 八月十五日
 

(引用終わり)


 
 安倍首相は、5月15日の衆院予算委員会での答弁で、村山談話に関して
「過去の政権の姿勢を全体として受け継いでいく。歴代内閣(の談話)
を安倍内閣としても引き継ぐ立場だ」と表明。
 
 河野談話に関しても、民主党の辻元清美衆院議員の質問主意書への
答弁書を5月24日の閣議で決定し、その中で安倍内閣として同談話を継承
している旨を明らかにしました。
 
 保守派から自虐史観払拭の期待を一身に集めていた安倍首相でさえ、
この体たらく。
 
 しかし、そんなマイナスの状態からであっても、河野談話、村山談話を
「根拠のない風評を公式見解としたもの」と位置づけつつ、これらにより
政府が英霊や国民に罪悪感や自虐史観を押しつけ、わが国の歴史認識を
誤らせたことを反省するという論法で、政府の立場を大きく修正すること
が可能だということです。
 
 大東亜戦争を「アジアの同胞を解放するための聖戦」であり、特に
「日本の神々の熱き思いの一部を実現せしもの」とする表現は、宗教政党
ならではと言えます。
 
 「安倍談話」が書かれるとして、このような宗教的表現が盛り込まれるか
どうかは分かりませんが、少なくとも安倍首相の内心においては、大東亜
戦争の大義についてこのような宗教的確信がなければ、靖国参拝や憲法改正
の問題をしっかり前に進めることはできないでしょう。
 
 逆に言えば、そうした確信がまだ十分でないがゆえに、5月の段階で
あっさり村山談話、河野談話の継承に追い込まれてしまったのだと

言えます。
 
 また、歴史認識の見直しでは中韓のみならず、米国とも摩擦が生じること
が想定されます。これに対しては「原爆を使用したアメリカ合衆国」という
表現による牽制が効いてくるでしょう。
 
 大東亜戦争を聖戦とする日本と、「民主主義対ファシズムの戦い」と位置
づけたい米国とでは、この点対立することになりますが、もちろんお互いに
同盟国である以上、関係悪化は望ましくありません。
 
 そこで米国には、わが国の歴史認識の修正を理解してくれれば最も良い
のですが、そこまで行かなくとも、黙って見過ごしておいてくれるだけでも
良しとすべきです。
 
 もしそうはならず、米国が大きく反発する気色が見えたなら、すかさず
原爆による日本人大虐殺への謝罪問題を議論に持ち出す構えを取ればよい
のです。
 
 このカードに対しては、米国は有効な反論材料を持っておらず、論争
しても不利であることは明らかです。特に現在は「核なき世界」を目指し
ているオバマ氏が大統領であるだけに効き目が大きいと言えます。

 
 最後の段落の「平和と正義の守護神となる」という箇所も宗教的な表現
ですが、わが国についてこれぐらいの信念と使命感を持っていなければ、
今後予想される中国の軍事的膨張に立ち向かい、これを封じ込めることは
不可能でしょう。
 

 ソ連との冷戦を勝ち抜いたレーガン米大統領も、自国について
「わが国は神を戴く国であり、神がわが国を自由の国にした」
(第1回就任演説)という宗教的な信念を持っていました。
 
 宗教政党・幸福実現党は、残念ながら先の参院選で敗れはしましたが、
これからの政治の展開は「宗教政党こそが日本にとって必要である」という
ことを示すものとなるでしょう。
 
 したがって、安倍氏が今後もし、首相職に耐えかねるようなことがあれば
、かつてのように自民党内で政権をたらい回しにすることなく、直ちに解散
してわが党に国政参画への道を開くべきなのです。

 


◆大川隆法総裁 談話発表
「河野・村山談話は遡って無効である」 歴史問題を永遠に葬り去る
http://the-liberty.com/article.php?item_id=6400


【関連書籍】

幸福の科学出版 『「河野談話」「村山談話」を斬る!—
日本を転落させた歴史認識—』 大川隆法著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=992

アマゾンの同書紹介ページ
http://www.amazon.co.jp/dp/4863953674/

【関連記事】
2013年9月号記事(無料) 河野・村山談話は無効である
歴史問題を永遠に葬り去る 大川談話—私案—
http://the-liberty.com/article.php?item_id=6391

WEB記事 独占スクープ!「"河野談話"の証拠はなかった」
「"村山談話"は朝日記者が作った」 河野洋平氏、村山富市氏の守護霊が激白
http://the-liberty.com/article.php?item_id=6351

2013年7月18日付本欄 【そもそも解説】河野談話・村山談話って何?
http://the-liberty.com/article.php?item_id=6352

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慰安婦は売春婦!証拠はコレだ! 米国国立公文書館よりテキサス親父へ送られて来た封筒と手紙

2013-07-28 00:00:10 | 日記

理想国家日本の条件 さんより転載です。

慰安婦は売春婦!証拠はコレだ!


字幕【テキサス親父】
慰安婦は売春婦!証拠はコレだ!と親父ブチギレ

http://www.youtube.com/watch?v=ggQaYD37Jm4&

 

公開日: 2013/07/22

【動画解説】

以前より慰安婦問題に関して様々な事を調べているテキサス親父が
最近発見したネット上­に上がっている1944年に報告された「尋問調書」
に注目した。
しかし、ネット上にあ­る物の中には、捏造された物が多く存在し、
その米軍の報告書とされている物が本物であ­るかという疑問を持った。

そこで、以前も竹島問題で「マッカーサー電文」が本物であるかどうか
の確認を依頼した­ワシントンDC郊外にある「国立公文書館」
へ問い合わせた。

約2週間後にそこから一通の手紙がテキサス親父に届いた

その中には、そのネット上に上がっていた内容と同じ物の原本のコピー
が同封され、間違­いなく米軍が慰安婦の捕虜達に尋問した一部始終が
記載されている書類だった。

この中には、次のようなことが書いてあった。
 
この書類はこちらからご覧頂けます。

→ http://texas-daddy.com/comfortwomen.htm


・慰安婦達の証言では、志願して雇用され高額の給料を貰っていた。
・町へ出かけて化粧品や洋服など好きな物を買っていた。
・時間の関係で全てのお客(兵士)にサービスができない事を悔やんでいた。
・日本人の兵士達とスポーツをしたり、ピクニックをしたり宴会をしたり
様々なイベント­を一緒に仲良くやていた。
・借入金がある慰安婦は、その返済が終われば希望があれば
国へ帰ることも出来た。
・日本の兵士と結婚する者もいた。さらにこの尋問をした米兵の主観として
「慰安婦達は、日本人の基準でも、白人の基準で­も綺麗な女達ではないと
書かれている。要するに慰安婦は「不細工」だったと言う事が書かれている。

テキサス親父はこの慰安婦問題はアメリカでもプロパガンダに利用できない
位にきっちり­とした規則の上に成り立っており、20万人強制的に「性奴隷」
などにされた事実はない­と言っている。

卑怯者が大嫌いなテキサス親父は、これらの朝鮮人の揺動者に乗せられ、
慰安婦の碑や慰­安婦像を建てた、または、建てる準備をしているいくつか
の米国の自治体に対しても激し­い批判を浴びせている。

米国の最高裁判所では、この慰安婦問題は米国の裁判所が扱う問題では
ないと朝鮮人達の­訴えを2006年に退けており、現在は、地域密着のロビー
活動に専念して、何カ所かで­嘘を誠に歪曲させることに成功し、そこに
騙されている米国人がいるのも事実。

この手法は、日本での朝鮮学校への学費の援助も同様で、日本が国として
各種学校としか­認めていない為、地方自治体を騙し、恐喝して日本国民が
払った税金をむしり取っている­のと同様。

吉田清治の捏造本「私の戦争犯罪」から始まったこの慰安婦問題は、強制が
あったにせよ­無かったにせよ、1965年に調印した「日韓基本条約」で解決済み。

今こそ、日本はこの朝鮮人達のデタラメな振る舞いに対して毅然とした態度
をとり、事実­を突きつけ世界に拡散すべきであることは言うまでもない。


米国国立公文書館よりテキサス親父へ送られて来た封筒と手紙

http://texas-daddy.com/comfortwomen.htm

 アメリカ戦時情報局
 心理作戦班
アメリカ陸軍インド・ビルマ戦域軍所属
APO689


尋問場所:レド捕虜収容所
尋問期間:1944年8月20日~9月10日
報告年月日 1944年10月1日
報告者 T/3 
アレックス・ヨリチ

捕虜 朝鮮:人慰安婦20名
 捕獲日:1944年8月10日
 収容所到着日:1944年8月15日


はじめに
この報告は、1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦に
おいて捕らえられた20名の朝鮮;人「慰安婦」と2名の日本の民間人に対す
る尋問から得た情報に基づくものである。

この報告は、これら朝鮮;人「慰安婦」を募集するために日本軍が用いた
方法、慰安婦の生活および労働の条件、日本軍兵士に対する慰安婦の関係
と反応、軍事情勢についての慰安婦の理解程度を示している。

 「慰安婦」とは、将兵のために日本軍に所属している売春婦、つまり
「追軍売春婦」にほかならない。「慰安婦」という用語は、日本軍特有
のものである。この報告以外にも、日本軍にとって戦闘の必要のある場所
ではどこにでも「慰安婦」が存在してきたことを示す報告がある。しかし、
この報告は、日本軍によって徴集され、かつ、ビルマ駐留日本軍に所属
している朝鮮人「慰安婦」だけについて述べるものである。日本は、1942年
にこれらの女性およそ703名を海上輸送したと伝えられている。


募 集;

1942年5月初旬、日本の斡旋業者たちが、日本軍によって新たに征服され
た東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を募集する
ため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、
それは病院にいる負傷兵 を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に
言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。

これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債
を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地シンガポールにおける新生活
という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が
海外勤務に応募し、2~3百円の前渡金を受け取った。

これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわって
いた者も若干いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。
彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額
に応じて 6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」
のための役務に束縛した。

これらの女性およそ800人が、このようにして徴集され、1942年8月20日ごろ、
「慰安所の楼主」に連れられてラングーンに上陸した。彼女たちは、
8人ないし22人の集団でやって来た。彼女たちは、ここからビルマの諸地方
に、通常は日本軍駐屯地の近くにあるかなりの規模の都会に配属された。
結局、これらの集団のうちの四つがミッチナ付近に到達した。
それらの集団は、キョウエイ、キンスイ、バクシンロウ、モモヤであった。
キョウエイ慰安所は「マルヤマクラブ」と呼ばれていたが、
ミッチナ駐屯部隊長の丸山大佐が、彼の名前に似た名称であることに異議を
唱えたため、慰安婦たちが到着したさいに改称された。

性 質;

 尋問により判明したところでは、平均的な朝鮮人慰安婦は25歳くらいで、
無教育、幼稚、気まぐれ、そして、わがままである。慰安婦は、日本的基準
からいっても白人的基準からいっても、美人ではない。
とかく自己中心的で、自分のことばかり話したがる。見知らぬ人の前では、
もの静かでとりすました態度を見せるが、「女の手練手管を心得ている」。

自分の 「職業」が嫌いだといっており、仕事のことについても家族のことに
ついても話したがらない。捕虜としてミッチナやレドのアメリカ兵から親切
な扱いを受けたために、アメリカ兵のほうが日本兵よりも人情深いと
感じている。慰安婦は中国兵とインド兵を怖がっている。


生活および労働の環境;

ミッチナでは慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋
(普通は学校の校舎)に宿泊していた。それぞれの慰安婦は、そこで寝起きし、
業を営んだ。彼女たちは、日本軍から一定の食料を買っていた。
ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえる
ほどであった。この点はビルマ生活2年目についてとくにいえることで
あった。食料・物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を購入するお金
はたっぷりもらっていたので、彼女たちの 暮らし向きはよかった。

彼女たちは、故郷から慰問袋をもらった兵士がくれるいろいろな贈り物に
加えて、それを補う衣類、靴、紙巻きタバコ、化粧品を買うことができた。
 彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく
過ごし、また、ピクニック、演奏会、夕食会に出席した。
彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に出かけることが許された。

優先順位料金等;

  慰安婦の営業条件は軍によって規制され、慰安所の利用どの高い地域では、
規則は厳格に実施された。利用度の高い地域では、軍は料金、利用優先順位、
および 特定地域で作戦を実施している各部隊のための利用時間割り当て制
を設ける必要があると考えた。尋問によれば普通の料金は次のとおりであった。


 1.兵

午前10時~午後5時

 1.5 円

20~30分

 2.下士官

午後5時~午後9時

 3 円

30~40分

3.将校

午後9時~午後12時

 5 円

30~40分

以上は中部ビルマにおける平均的料金であった。将校は20円で泊まることも
認められていた。ミッチナでは、丸山大佐は料金を値切って相場の半分近く
まで 引き下げた。

利用日割り当て表;

兵士たちは、慰安所が混んでいるとしばしば不満を訴えた。規定時間外利用
については、軍がきわめて厳しい態度をとっていたので、多くの場合、彼らは
用を足さずに引き揚げなければならなかった。この問題を解決するため、軍は
各部隊のために特定日を設けた。その日の要員として、通常当該部隊員二名が、
隊員の確 認のために慰安所に配置された。秩序を保つため、監視任務の憲兵も
見まわった。第18師団がメイミョーに駐留したさい、各部隊のために
「キョウエイ」慰安所が使用した利用日割表は、次のとおりである。

日曜日——第18師団司令部。
月曜日——騎兵隊
火曜日——工兵隊
水曜日——休業日、定例健康診断
木曜日——衛生隊
金曜日——山砲兵隊
土曜日——輜重隊

将校は週に夜7回利用することが認められていた。慰安婦たちは、日割表
どおりでも利用度がきわめて高いので、すべての客を相手にすることはできず、
その 結果、多くの兵士の間に険悪な感情を生みだすことになるとの不満
をもらしていた。
   兵士たちは慰安所にやって来て、料金を支払い、厚紙でこしらえた
約2インチ四方の利用券を買ったが、それには左側に料金額、右側に慰安所
の名称が書かれていた。次に、それぞれの兵士の所属と階級が確認され、
そののちに兵士は「列をつくって順番を待った」。慰安婦は接客を断る
権利を認められていた。接客拒否は、客が泥酔している場合にしばしば
起こることであった。


報酬および生活状態

 「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦 が、契約を結んだ時点でどの程度
の債務額を負っていたかによって差はあるものの、慰安婦の稼ぎの総額の
50ないし60パーセントを受け取っていた。これ は、慰安婦が普通の月で
総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に
750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食料、その他の物品の
代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難
に陥った。
  
1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を
認める胸の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを
許された。
さらにまた、尋問が明らかにしているところによれば、これらの慰安婦の
健康状態は良好であった。彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に
支給されてお り、

また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうからもって来る
場合が多かった。慰安婦は衛生に関して、彼女たち自身についても客に
ついても気 配りすように十分な訓練を受けていた。日本軍の正規の軍医が
慰安所を週に一度訪れたが、罹患していると認められた慰安婦はすべて
処置を施され、隔離された のち、最終的には病院に送られた。

軍そのものの中でも、まったく同じ処置が施されたが、興味深いことと
しては、兵士は入院してもその期間の給与をもらえな くなることは
なかったという点が注目される。

 
日本の軍人に対する反応;

慰安婦と日本軍将兵との関係において、およそ重要な人物としては、
二人の名前が尋問から浮かび上がっただけである。
それは、ミッチナ駐屯部隊指揮官の丸山大佐と、増援部隊を率いて来た
水上少将であった。 両者の性格は正反対であった。前者は、冷酷かつ利己的
な嫌悪すべき人物で、部下に対してまったく思いやりがなかったが、
後者は、人格のすぐれた心のやさしい人物であり、またりっぱな軍人で
彼のもとで仕事をする人たちに対してこの上ない思いやりをもっていた。

大佐は慰安所の常連であったのに対し、後者が慰安所にやって来たという
話は聞かなかった。ミッチナの陥落と同時に丸山大佐は脱出してしまった
ものと思われるが、水上将軍のほうは、部下を撤退させること ができな
かったという理由から自決した。


兵士たちの反応;

慰安婦の一人によれば、平均的な日本軍人は、「慰安所」にいる ところを
見られるのをきまり悪がり、彼女が言うには、「慰安所が大入り満員で
、並んで順番を待たなければならない場合には、たいてい恥ずかしがる」
そうである。しかし、結婚申し込みの事例はたくさんあり、実際に結婚が
成立した例もいくつかあった。

すべての慰安婦の一致した意見では、彼女たちのところへやって来る将校と
兵士のなかで最も始末が悪いのは、酒に酔っていて、しかも、翌日戦前に
向かうことになっている連中であった。しかし、同様に彼女たちが
口を揃えて言うには、日本の軍人は、たとえどんなに酔っていても、
彼女たちを相手にして軍事にかかわる事柄や秘密について話すことは決して
なかった慰安婦たちが何か軍事上の事柄についての話を始めても、将校も
下士官や兵士もしゃべろうとしないどころか、「そのような、女にふさわしく
ないことを話題にするな、といつも叱ったし、そのような事柄については
丸山大佐でさえ、酒に酔っているときでも決して話さなかった」。

しばしば兵士たちは、故郷か らの雑誌、手紙、新聞を受け取るのがどれほど
楽しみであるかを語った。彼らは、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチーフ、
歯ブラシ、小さな人形、口紅、下駄などが いっぱい入った「慰問袋」を
受け取ったという話もした。

口紅や下駄は、どう考えても女性向きのものであり、慰安婦たちには、
故郷の人びとがなぜそのような 品物を送ってくるのか理解できなかった。
彼女たちは、送り主にしてみれば、自分自身つまり「本来の女性」を心に
描くことしかできなかったのであろうと推測した。


軍事情勢に対する反応;

慰安婦たちは、彼女たちが退却し捕虜になる時点まで、さらにはその時点
においても、ミッチナ周辺の軍事情勢については、ほとんど何も知らな
かったようで ある。しかし、注目に値する若干の情報がある。

 「ミッチナおよび同地の滑走路に対する最初の攻撃で、約200名の
日本兵が戦死し、同市の防衛要員は200名程度になった。弾薬量はきわめて
少なかっ た。」

 「丸山大佐は部下を散開させた。その後数日間、敵は、いたる所で当て
ずっぽうに射撃していた。これという特定の対象を標的にしているようには
思われなかったから、むだ撃ちであった。これに反して、日本兵は、一度に
一発、それも間違いなく命中すると判断したときにのみ撃つように命令
されていた。」 

ミッチナ周辺に配備されていた兵士たちは、敵が西滑走路に攻撃をかける前に
別の場所に急派され、北部および西部における連合国軍の攻撃を食い止めよう
とし た。主として第114連隊所属の約400名が取り残された。明らかに、
丸山大佐は、ミッチナが攻撃されるとは思っていなかったのである。その後、
第56歩 兵団の水上少将がニ箇連隊〔小隊〕以上の増援部隊を率いて来たものの、
それをもってしても、ミッチナを防衛することはできなかった。

  慰安婦たちの一致した言によれば、連合国軍による爆撃は度肝を抜くほど
熾烈であり、そのため、彼女たちは最後の時期の大部分を蛸壺〔避難壕〕
のなかで過ごしたそうで ある。
そのような状況のなかで仕事を続けた慰安婦も1、2名いた。
慰安所が爆撃され、慰安婦数名が負傷して死亡した。

宣 伝;

慰安婦たちは、使用されていた反日宣伝リーフレットのことは、ほとんど
何も知らなかった。慰安婦たちは兵士が手にしていたリーフレットを2、3
見たことは あったが、それは日本語で書かれていたし、兵士は彼女たちを
相手にそれについて決して話そうとはしなかったので、内容を理解できた
慰安婦はほとんどいなかった。一人の慰安婦が丸山大佐についての
リーフレット(それはどうやらミッチナ駐屯部隊へのアピールだったよう
であるが)のことうを覚えていたが、しかし、彼女はそれを信じなかった。

兵士がリーフレットのことを話しあっているのを聞いた慰安婦も何人かいたが、
彼女たちたまたま耳にしたからといって、具体的な話を聞くことはなかった。
しかし、興味深い点としては、ある将校が「日本はこの戦争に勝てない」との
見解を述べたことが注目される。

要 望;

慰安婦のなかで、ミッチナで使用された拡声器による放送を聞いた者は誰も
いなかったようだが、彼女たちは、兵士が「ラジオ放送」のことを話して
いるのを確かに聞いた。
   彼女たちは、「慰安婦」が捕虜になったことを報じるリーフレットは
使用しないでくれ、と要望した。彼女たちが捕虜になったことを軍が知ったら、
たぶん他の慰安婦の生命が危険になるからである。しかし、慰安婦たちは、
自分たちが捕虜になったという事実を報じるリーフレットを朝鮮で計画
されていると盂家に活用するのは名案であろうと、確かに考えたのである。


付録A

 以下はこの報告に用いられた情報を得るために尋問を受けた
20人の朝鮮人「慰安婦」と日本人民間人2人の名前である。
朝鮮人名は音読みで表記してい る。

     名  年齢   住 所
 1 「S」 21歳 慶尚南道晋州
 2 「K」 28歳 慶尚南道三千浦〔以下略〕
 3 「P」 26歳 慶尚南道晋州
 4 「C」 21歳 慶尚北道大邱
 5 「C」 27歳 慶尚南道晋州
 6 「K」 25歳 慶尚北道大邱
 7 「K」 19歳 慶尚北道大邱
 8 「K」 25歳 慶尚南道釜山
 9 「K」 21歳 慶尚南道クンボク
             (ママ)
  10 「K」 22歳 慶尚南道大邱
 11 「K」 26歳 慶尚南道晋州
 12 「P」 27歳 慶尚南道晋州
             (ママ)
  13 「C」 21歳 慶尚南道慶山郡〔以下略〕
 14 「K」 21歳 慶尚南道咸陽〔以下略〕
 15 「Y」 31歳 平安南道平壌
 16 「O」 20歳 平安南道平壌
 17 「K」 20歳 京畿道京城
 18 「H」 21歳 京畿道京城
 19 「O」 20歳 慶尚北道大邱
 20 「K」 21歳 全羅南道光州

日本人民間人
 1  キタムラトミコ 38歳 京畿道京城
  2  キタムラエイブン 41歳 京畿道京城

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「大川談話」発表!―今こそ、「河野談話」「村山談話」の白紙撤回を!

2013-07-28 00:00:10 | 日記

理想国家日本の条件 さんより転載です。

「大川談話」発表!—

今こそ、「河野談話」「村山談話」の白紙撤回を!

      

[HRPニュースファイル710]


 ◆村山談話を継承した安倍首相

「村山談話」とは、1995年、戦後50年の終戦記念日にあたって、
当時の村山富市首相(旧・社会党委員長)が閣議決定に基づいて、
過去の「植民地支配」と「侵略」を認めた談話です。

村山談話は、日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけ
アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と述べ、
「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持ち」を表明した卑屈な内容で、
以降、日本の自虐史観と中韓による日本批判の根拠となっています。


安倍首相は2009年、村山談話について下記の通り、見解を語っています。
(月刊「正論」2009年2月号「緊急対談・保守はこの試練に耐えられるか」より)

「侵略と言う言葉にしても、いつの間にか政府見解として定着してしまい
ましたが、実は村山談話以前、政府は侵略という言葉を使って
いないんですね。

平成5年に自民党が野党に転落するまでは、どの首相も侵略という言葉を
使っていない。竹下さんも踏みとどまっていた。

ところが村山談話以降、政権が代わるたびにその継承を迫られるように
なる。まさに踏み絵です。
だから私は、村山 談話に換わる安倍談話を出そうとしていた。」

しかし、その安倍首相も歴代の首相と同じく「踏み絵」を踏み、5月15日の
参院予算委員会で、「村山談話」を受け継ぐことを表明しました。
(5/16 産経「村山談話『継承』安倍首相が軌道修正」)


 ◆更に、河野談話を継承した安倍首相


「河野談話」とは、1993年、当時の河野洋平官房長官による、
従軍慰安婦問題への旧日本軍の関与を認めて謝罪した談話です。

河野談話は「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、
慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは
間接にこれに関与した」と述べています。

更には「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が
数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担した」「慰安所における
生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」として、従軍慰安婦
の強制性を全体として認める内容となっています。

「河野談話」発表後、韓国との間で「従軍慰安婦」問題が更に過熱し、
国際的にも、先の大戦で日本が「性的奴隷(sex slave)」を扱って来た
根拠として「河野談話」が引用されて来ました。


「河野談話」は、軍や官憲が女性たちを強制連行したと読める内容になって
いますが、実際には、強制連行を示す歴史的資料は全く存在せず、第一次
安倍内閣は「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も
見当たらなかった」との答弁書を閣議決定しています。
(2007/3/16 「衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の『慰安婦』問題への
認識に関する質問に対する答弁書」)


また、昨年9月、自民党総裁選の共同記者会見で、安倍氏は「河野談話」
について、「強制連行を事実上証明する資料はなかった。
子孫の代に不名誉を背負わせるわけにはいかない。
新たな談話を出すべきだ」と強調していました。

しかし、安倍首相は、首相就任後、この点を国会で追及されると
「答弁は控えたい」などと継承するかどうかを曖昧にし、更に5月24日の
閣議で、「河野談話」について、安倍内閣として継承する内容の答弁書
を決定しました。(5/24 時事「河野談話を継承−政府答弁書」)


 ◆「大川談話」発表!—
今こそ、「河野談話」「村山談話」の白紙撤回を!

「村山談話」「河野談話」は日本の誇りを深く傷つけ、自虐史観を決定
づけると共に、中国や韓国などによる日本批判の根拠となって来ました。

また、今年の憲法記念日(5月3日)を境に、護憲派が「自虐史観」を根拠にして
「憲法9条を改正すれば、日本は再び侵略国家になる。

憲法改正すべきではない」との主張を強め、米中韓からの歴史認識批判の
包囲網も作られました。

その結果、安倍首相は「村山談話」「河野談話」を受け入れ、安倍政権の
憲法改正論議が急速にトーンダウンするなど、自虐史観・歴史認識問題が
「憲法改正の最大の阻害要因」となっています。


自虐史観の払拭なくして、憲法改正も、国防強化も適いません。


そこで7月17日、幸福実現党・大川隆法総裁は、「河野談話」「村山談話」
を白紙撤回し、真実の歴史認識に基づく安倍政権の新たな談話の参考と
なるよう、「大川談話—私案—」を発表しました。

「大川談話—私案—」の全文につきましては、
下記リンク先プレスリリースをご参照ください。

http://info.hr-party.jp/press-release/2013/1884/

大川隆法談話は「河野談話」「村山談話」について、「先の大東亜戦争で
亡くなられた約三百万人の英霊とその遺族に対し、由々しき罪悪感と戦後に
生きたわが国、国民に対して、いわれなき自虐史観を押しつけ、この国の
歴史認識を大きく誤らせた」として、政府が公式に両談話を遡って
無効とすることを提言。

また、先の大東亜戦争の位置づけとして、「欧米列強から、アジアの植民地を
解放し、白人優位の人種差別政策を打ち砕くとともに、わが国の正当な自衛権
の行使としてなされたものである」として、「先の大戦が侵略戦争だった」
とする歴史認識を180度転換する内容となっています。


これは国師・大川隆法総裁自ら矢面に立つ覚悟で、安倍首相に対して、改憲に
腰砕けになることなく、憲法改正に道筋をつけてほしいという意図を込めて
私案を提言した形です。

今こそ、安倍首相は、「河野談話」「村山談話」を公式撤回し、
「大川談話」をベースに、真実の歴史認識に基づく「安倍談話」を
発表すべきです

(文責・政務調査会長 黒川白雲)


参考:7/31(水)発刊

『「河野談話」「村山談話」を斬る!日本を転落させた歴史認識』
(大川隆法著、幸福の科学出版)⇒ http://info.hr-party.jp/2013/1876/

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「学校側は行先変更をする気がない」…韓国修学旅行予定の高校に対する抗議が呼びかけられる

2013-07-28 00:00:10 | 日記

反日教育をしている韓国へ修学旅行先に選ぶとは、

おすすめする教師も反日なんですぞ!

正しい歴史を教えることができない日本の教育現場

 

日教組の自虐史観よりひどい反日思想で日本の若者が毒されて行きます。

 



☆韓国修学旅行予定の高校に対する抗議が呼びかけられる


1月に韓国修学旅行を予定している滋賀県立国際情報高校に対して、ネットでは抗議を呼びかける運動が行われている。抗議を呼びかけている人物によると、同校の保護者の中には韓国修学旅行について、北朝鮮の問題などがあることから懸念を表明している保護者もいるとのこと。

 
別の投稿者も「今までならともかく(今まででも十分行っても意味のない国ですが)今は特に日韓も南北朝鮮情勢も非常に危うい状態なので絶対に娘を連れて行って欲しくありません」と、保護者のものだとするコメントを紹介。


またその保護者は「昨年のPTA会長も再三訴えてくださったのですが学校側は全く行先変更をする気がないようです」とも明かしているという。

 
冒頭の投稿者によると、同校は同様に安全面に懸念を持つ保護者を学校に呼び出し、外務省が「潜在的に北やテロなどの脅威は存在するが今は落ち着いていて、今すぐどうとかはない」と説明したとし、「国が大丈夫だと言っている」と主張したことを綴る。

 
しかし、投稿者が外務省に問い合わせたところ「100%大丈夫とは言えない」というのが同省の見解だったとし、在韓日本国大使館HPにも有事を想定した注意事項が多数記述されていることを説明。投稿者は同校や、同県の教育委員会、下村博文文部科学大臣などに対して旅行先の変更を求める抗議活動を呼びかけており、この抗議活動に関するツイートに江戸川区議会議員の田中けん氏もリツイートしている。

 
こうした抗議活動は同じく韓国修学旅行が行われている鳥取西高、鳥取東高などに対しても行われているようでネットで抗議の呼びかけが行われている。

http://yukan-news.ameba.jp/20130726-313/

(関連記事)
韓国、子供が反日むき出し 日本人の子供が、韓国人の子供に石を投げられる
「竹島はどこの領土だ?」 バット持った韓国人が”日本人狩り”…韓国、治安崩壊へ朴槿恵暗殺の危機も
「日本人が来ないニダ!」韓国旅行業界が壊滅状態 業界は「日韓正常化」を朴槿恵に要請!





▲広島・世羅高校の男女生徒約200名がソウル・タップコル公園にて強制的に土下座させられる。
平成10年10月、韓国日報が得意げに報じた取材画像。




ある高校では修学旅行で韓国へ行き、自称元慰安婦の老婆と面会させられ、引率教師に強制的に土下座謝罪をさせられたケースも報告されている。



2012年9月、自民党・片山さつき参院議員は、当時の与党民主党政権に質問主意書を提出するとともに、韓国修学旅行の実態を調べたところ、とんでもない「反日洗脳旅行」の一端が明らかになった。




▲「日本政府が『事実と違う』と抗議していることを学ばせようとしている」と片山氏。
今後、韓国への修学旅行の問題点を徹底追及するとした。




当時、片山氏は「民主党政権には危機感がなさ過ぎる。韓国内で反日感情が高まるなか、子供たちの安全確保ができるのか。加えて、不適切な歴史教育が行われている疑いがある。早急に実態を把握すべきです」と語っている。


 
文科省の調べでは、2008年度に韓国へ修学旅行に出かけたのは、中学が24校、高校が196校。安全確保について民主党政権は「外務省が出す渡航情報を 参考に慎重な検討を行うべきことなどを、各都道府県教育委員会などを通じて指導している」という答弁書を出してきたと言う。


 
さらに、片山氏が調査を進めると、韓国への修学旅行での訪問先に、とんでもない場所が選ばれていることも分かった。


 
日本海側の男女共学の私立高校Kが、2012年に予定していた韓国修養会(修学旅行)のレジュメによると、訪問先には、



▼「戦争と女性の人権博物館」




▼「ナヌムの家/日本軍『慰安婦』歴史館」




とあり、説明には…



「日本軍性奴隷(日本軍慰安婦)とされた人々の苦悩の深さと日本軍の扱いの実態を知ることができる」



と書かれていた。


 
片山氏は、



「これはひどい。日本政府が発見した資料からは(慰安婦に)軍や官憲の強制連行を示す証拠がなかったことは閣議決定されている」



「教育の一環である修学旅行で、日本政府が『事実と違う』と抗議していることを学ばせようとしていたのではないか」



「『教育の自主性』では許容できない。国益に反する洗脳教育が行われる危険がある」



と怒る。


 
ある私立高校では保護者などの強い抗議を受けて、修学旅行先を韓国から国内に変更することを発表した。



同校が予定していた訪問先には、



▼「西大門刑務所歴史館」




▼「安重根義士記念館」




など、日本や日本人に敵意や憎悪を植え付けるような場所が並んでいたと言うから驚かされる。



いずれにしても教育現場を舞台にし反日洗脳教育を企てる組織がありそうだ。その正体は民主党と極めて近いところにいる日教組に他ならない。



韓国民団にすり寄っていた民主党政権は、日教組と結託して韓国への修学旅行をさらに積極的に推し進めていたのだ。韓国には金が落ち、生徒には反日自虐史観を植え付けると言う一石二鳥の戦略に見事に乗せられてきたのだ。







韓国への修学旅行に参加予定の生徒たちよ、



インターネット検索で、「韓国 レイプ」、「韓国 性暴行」、「韓国 強姦」、「韓国 レイプ 薬物」、「韓国 肛門」、等々をググって詳しく調べてから参加することをお勧めする。



韓国への修学旅行は、レイプ事件とまではいかなくとも、



・元慰安婦と称する老婆に無理やり土下座させられ謝罪させられた。



・「竹島は韓国の領土」だと繰り返し大声で言わされた。



・ホームステイ先の主人の肩や足を1日中揉まされた。




と言った、とんでもない実例が多数報告されているのだ。



韓国は、国民総精神病患者、国民総犯罪者予備軍と断じてもおかしくない国。その実態を生で見るのはある意味勉強にはなる、しかしあまりにも危険リスクが高過ぎるのである。

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