別に奇跡ではないのです。
民主党に嫌気をさした国民が自民党を選んだだけです。
この嫌気を正論で糾して来た幸福実現党の歯に衣を着せぬ姿勢た国論を変えたのです。
そして、安倍政権が1年持たないであろうことも予告済みですよ。
霊界の仕組みを知らない人は奇跡としか見えないでしょう。
物語は、六年前の安倍退陣劇から始まった。
三年三ヶ月の野党生活を経て、自民党は昨年末、政権を奪還した。この間の政治の流れをつぶさに見てきた人達にとっては、とりわけ自民党を支持する人達にとっては、今日の日が、まるで奇跡のように思えるはずである。
安倍退陣劇は実に衝撃的なものであった。一時は、生命の危機をも噂されたほどの唐突なものであった。そして、その裏でクーデター説が囁かれ、主犯として麻 生の名前が取りざたされた。安倍は自民党総裁選の期間中、完全に沈黙を守り、自らを弁明することも、党の内外に流れる噂を否定することもなかったため、麻 生の汚名は晴れることなく、次期総裁に「賞味期限切れの人物」が選ばれることになった。
安倍退陣の責任論は、本来この一点に絞られるべきであり、病気とそのタイミングに関することは、さしたる問題ではない。安倍の後継を、真逆の人物が占めるようにしてしまったこと、それこそが以後の混迷を引き寄せたのである。
そしてその一年後、遂になった麻生政権で、ようやく元の路線近くに引き戻されるものと期待されたが、リーマンショックの嵐の中で、麻生政権は、これへの対応を内閣の最重要課題とせざるを得なくなった。
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一連の動きの影には、必ずマスコミが存在する。ニュース「ショー」に、政治「バラエティ」にと。何故ニュースが「ショー」であり、政治が「バラエティ」な のか。国民の生命財産に直結した事件事故や、政治の動向がエンタメのネタ扱いなのか。我が国の政治問題のほとんどが、このマスコミ問題なのである。そし て、このマスコミこそが民主党政権を作った主犯なのである。
暗黒の時代は三年三ヶ月の間続いた。そして今、総理の座に安倍が座っている。副総理の座に麻生が座っている。このことを六年前に予言した人が居たとすれば、その人こそ「本物の予言者」であろう。
生死の境を彷徨った安倍と、直近の総理大臣であった麻生が、いきなりの大復権を果たしたのである。ドラマや小説にしても、嘘臭く感じるほどの大逆転劇であ る。今もなお、「日本の将来は明るい」という言葉を残して官邸を去った、麻生の後ろ姿を忘れることはできない。「国の舵取りを間違わないでくれ」とだけ鳩 山に言って、静かに去って行った麻生が、その持てる力を存分に発揮できる表舞台に帰ってきた。残り僅かの総裁任期すら全うすることを許されなかった、あの 麻生がである。
これが奇跡でなくて何であろう。返す返すも残念なのは、この奇跡がペアであり、トリオでないことである。中川昭一今ありせば、どれほど心強い内閣が構成できたであろうか。奇跡の上に、さらに奇跡を求めることは、欲呆けにも程があるが、それでも思わずにはいられないのである。本来なら昨日は、中川昭一が還暦 を迎える日であった。政治家としては如何にも早すぎる旅立ちだった。
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そして、遂に六年前の雪辱を果たす時が来た。六年間の大きな迂回路が、決して無駄ではなかったことを示す時が来たのである。政治家も歳を取った。我々有権 者も同じく歳を取った。亡くなった政治家も、亡くなったブロガーもいる。この場に立ち会うことが出来なくなった多くの人達がいる。全ての人達と、この奇跡 を分かち合いたいと思う。
六年の遠回りの結果、ハッキリしたことが幾つもある。民主党を筆頭に、野党には決して我が国の政治は任せられないこと。マスコミは限界を遙かに超えたレベ ルで腐っており、再生は不可能であること。そして、領土を侵犯し、国際的な謀略活動のみで、自らの主張を押し通そうとする勢力が、ハッキリと国民の眼に見 えてきたこと。また、それを堂々と公言出来る素地が出来たこと。
こうした大成果を胸に、この六年は決して無駄な六年ではなかったことを、心に刻みながら、この奇跡のドラマを思い返してみたい。見事なハッピーエンドとして、このドラマの幕を引くのは、我々有権者である。
さあ行こう、投票所へ!